日蓮正宗 法華講員の体験談 「現在の幸せを御本尊様に感謝して、日々、信心を根本に仕事に励んでいます。」
H23.10.01大白法
皆さん、こんばんは。私は、昭和四十七年に大阪で生まれました。
私の家では、祖父の喘息がきっかけで、勧められるまま天理教に入ってしまいました。しかし、治るどころか、その後に生まれた私も喘息となって、幼い頃から救急車で運ばれたり、気絶するほどの発作に襲われてきました。天理教の儀式で体をさすってもらったりしましたが、全く治ることはありませんでした。
転落の道
やがて私が小学校二年生になったとき、大好きだった祖母が亡くなり、その直後には両親が離婚。私たち兄弟三人は父親に引き取られましたが、立て続けに辛い出来事が重なったことから、私の心は歪んでいきました。
学校でまじめに勉強することのできなかった私は、小学四年生の時に万引きで補導されたのを皮切りに、中学に入るとシンナーを覚えて、最初は鑑別所に、次には少年院に入れられてしまいました。
坂道を転がり落ちるように身を持ち崩していく中、更生しようと思ったこともありましたが、誘惑から逃がれることができず、シンナーに加えて喧嘩・窃盗と、悪事を重ねた挙句、とうとうヤクザの世界に足を踏み入れ、体には刺青まで入れました。さらに、義理の兄から勧められて覚醒剤を覚え、たちまちのめり込んでしまいました。
私の場合、覚醒剤を打つと他の人よりも激しい幻覚や幻聴に襲われ、周りの人が皆、敵であるような錯覚に陥ってしまいます。そのため、幻聴や幻覚に惑わされては、たびたび刃物で人を脅したり、自分の手首や首を切るようになりました。
こうして覚醒剤使用・窃盗・暴行・公務執行妨害と、ありとあらゆる犯罪に手を染めた私は、二十代のほとんどを刑務所で過ごす結果となってしまったのです。刑務所を出たり入ったりを繰り返す中で、交際していた女性とも別れてしまいました。
刑務所の中で折伏受ける
そして平成十七年、三十三歳のときに、五回目の刑務所生活をしていた折、妙観講のN.H.班長と出会ったのです。
同じ部屋にいたN.H.班長は刑務所の中で信心をするようになり、毎日、壁に向かって一人で勤行をしていました。その姿を見て、
「偉い奴だなあ」
と思ったのですが、その後、N.H.班長から信心を勧められたときには、素直に話を聞くことができず、
「自分は絶対に信心しない」
と言い張りました。
さらに、その頃、兄が病気で亡くなり、私は兄の供養になると思って、邪宗教とも知らずに般若心経を読み、写経までするようになったのです。
ですが、邪宗教を信仰してよい結果になるはずがありません。仏法では親子の命は黙がっており、一体であると説かれていますが、私が刑務所の中で般若心経に没頭しているとき、今度は父が焼身自殺をしてしまったのです。
父は、私の服役中に再婚をしたそうですが、相手が創価学会員だったことから自分も学会に入って、その後、精神病になって、再婚相手と子供を残し焼身自殺をしてしまったとのことです。
私はこのことを平成十九年に出所してから知ったのですが、かつて母と離婚した後に私たち兄弟三人を引き取って育ててくれた父の悲惨な死は、心を掻きむしられるような辛い出来事でした。父に申し訳なくて涙が出ました。私は、心配ばかりかけて何の親孝行もできないまま亡くしてしまった父のために、せめて、いつかお墓を建ててあげたいと思いました。
更生誓い入信決意
さて、出所後の私は、母の勧めもあって和歌山に住むことにしたのですが、和歌山に向かう途中、以前、N.H.班長からもらった手紙に
「和歌山にいる」
と書かれてあったことを思い出したのです。懐かしくなって連絡を取り、早速会うことになりました。
久しぶりに会ったN.H.班長は、その後も日蓮正宗の信仰を続けていて、まじめに働き、結婚もして、間もなく子供が生まれるということでした。見るからに立派になり、幸せな生活を送っていることが傍目にも判りました。そしてN.H.班長は、信心によっていろいろな問題を解決してきた体験を話してくれ、
「邪宗教では絶対に幸せになれないし、成仏も叶わない。お父さんの追善供養も、日蓮正宗の正しい仏法でなければ成仏させてあげることはできない」
と熱心に折伏してくれたのです。
その話に後押しされ、私はとうとう日蓮正宗に入信することにしました。平成十九年十二月のことでした。
しかし、入信はしたものの、元来怠け者だった私は、土日は仕事が休みなのだから信心も休みと勝手に決めて、勤行も講中の会合も怠け放題に怠けていました。もちろん、折伏など絶対にしたくないと思っていました。
そんな私に手を焼きながらも、班長は一緒に勤行をしてくれ、
「僕も折伏が得意なわけではないけど、折伏をしないと幸せになれないんや。だから折伏をしているんや」
と、一生懸命に話してくれました。
そうした班長の粘り強い育成のお陰で、私も何とか信心を続けることができ、入信三カ月が過ぎて自宅に御本尊様をお迎えすることができたのですが、その頃から、私の信心に対する思いが少しずつ変わってきたのです。
覚醒剤を断ち切れた
実は、幼少の頃よりずっと苦しんできた喘息の発作が、勤行をするようになってから、いつの間にか、全く起きなくなっていることに気がついたのです。こうした出来事によって御本尊様の御力を確信した私は、それ以来、欠かさず朝夕の勤行に励むようになりました。
また、その頃の私は、覚醒剤の誘惑と常に闘い続けていました。せっかくまじめに生きようと決めたのに、再び覚醒剤を打ったりしたら、元の木阿弥です。しかし、覚醒剤は一度覚えてしまうと、生半可なことでは断ち切ることができません。もう、どうでもよくなって、負けてしまいそうになることもたびたびでした。
ところが、御本尊様に向かって勤行をしていると、
「絶対に誘惑には負けられない、もう二度と薬に手を出してはならない」
という強い気持ちが起きてくるのです。この実感がはっきりと掴めたことから、私は、覚醒剤の誘惑をはねのけるためには毎日、絶対に勤行を怠けてはいけないのだと思いました。朝寝坊をして勤行ができないまま出勤したときには、朝礼を終えてから仕事開始までの時間で、同僚に
「俺、勤行するから」
と断って勤行をしました。
その結果、多くの人が止めることができずにいる覚醒剤を、完全に断ち切ることができたのです。本当に御本尊様の功徳であると、日々、感謝しております。
また、折伏は勤行以上に苦手でしたが、講中の会合に参加して日蓮大聖人の教えを学んでいく中で折伏の大切さが判り、自然に実践できるようになっていきました。平成二十年九月に、折伏した知人が初めて入信できたときの感激は忘れられません。
折伏に奔走する中 次第に生活が安定
それからは
「もっと折伏していこう」
「とにかく、できることは何でもやろう」
と、公明党のポスターを見つけては、バイクで『慧妙』を配布し、電話帳で学会員を探しては折伏していきました。こうして折伏を進める中で、さらに御本尊様からたくさんの功徳を戴いたのです。
まず、平成二十一年四月には、刑務所を出て以来の念願であった今井家の墓を、入信二年目にして建てることができました。日々の勤行はもちろん、お盆やお彼岸でお塔婆を立てて父の追善供養をし、さらに日蓮正宗の御題目を刻んだお墓を建立することができ、少しは親孝行ができたのではないかと思っています。
また、仕事のほうも、和歌山に来た当時は不安定なゴミ収集のアルバイトをしていたのですが、そこから待遇のよい汲み取りの仕事に就くことができ、さらに、そこの社長の紹介で、市役所のゴミ収集車の運転手をさせていただけるようになって、収入が格段に増えて安定してきました。この不景気で失業者があふれる中、私のような者に、次々とよい条件の仕事が見つかって収入が増えてきたことは、本当に不思議なことで、御本尊様の功徳としか言いようがありません。
さらに平成二十一年七月、かつて私が刑務所に入ったことによって交際を止めた女性から突然の電話があり、数年ぶりに会いました。折伏すると素直に聞いてくれて、入信することができ、結婚を前提に再びお付き合いするようになりました。
ところが、彼女の両親は以前のひどい私を知っているため、絶対に結婚は許さないと猛烈に反対してこられました。親御さんとしては当然のことです。これはもう御本尊様に助けて戴くしかないと思い、二人で勤行・唱題に励み、折伏に回っていきました。
仕事場の後輩や以前の刑務所仲間にも連絡を取って折伏していきました。
かつて、木刀を振り回して脅迫してきた私から、
「まじめに信心していったら幸せになれるから」
という話をされた昔の友人たちは皆、度肝を抜かれて驚き、その中から
「自分も幸せになりたい」
と言って入信する人たちも出ました。こうして折伏を続けていったところ、突如として、彼女の両親が私が更生したことを認めてくれ、結婚を承諾してくれたのです。嬉しくて舞い上がりそうになり、心から御本尊様に御礼申し上げました。そして昨年の七月七日、無事結婚できました。
班長と力合わせ折伏 総勢百三名入信
その後、念願だったマイホームも手に入れることができ、現在の幸せを御本尊様に感謝して、日々、信心を根本に仕事に励んでいます。刑務所から体一つで出てきてから三年半、まるで夢のような人生に大転換しました。
また、御報恩のために、今日までに、私の姉夫婦と姪・甥をはじめ十二名の人たちを入信に導くととができました。姉の一家が入信できたことは本当に嬉しく、中でも甥は一生懸命に折伏に励んでいったところ、悩んでいた斜視が治るという大功徳を戴きました。家族五人で一生懸命に信心に励んでいる姿を見ると、嬉しくてなりません。
こうして、N.H.班長と力を合わせて折伏を進めた結果、班長と私の家族・親戚、仕事仲間、かつての友人、そして刑務所仲間、刑務官の方々などで、総勢百三名もの人たちが入信し、信心に励むようになったのです。班長一人から始まって、わずか数年でこれだけの人たちが喜んで信心をするようになっているという現実は、御本尊様の絶対の御力によるものと確信しております。
入信前、他人が泣こうが苦しもうが自分さえよければどうでもいいと思っていた自分が、他人の幸せを願って折伏に励むようになろうとは、考えてもみませんでした。御本尊様に巡り合えた有り難さを心から噛み締め、
「生きていてよかった」
と思う毎日です。この大功徳に報いていけるよう、これからも、さらにさらにがんばってまいります。