今日は夕方に五座の勤行をさせていただきました。朝が早くて正式の勤行ができないときは、夜に五座の勤行をさせていただいています。
毎日、丑寅勤行を奉修されている猊下様のことを思えば、未熟さが恥ずかしい限りではありますが。
煩悩充満の私なりの修業です。
『日寛上人御指南』
「若し堪えたらん人は本山の如く相勤むべし、若し爾らずんば十如自我偈題目なりとも五座三座の格式相守るべし」(報福原式治状)
一生むなしく過ごさば万劫かならず悔ゆ 【当流行事抄】方便品篇一
当流行事抄第五 日寛謹んで記す
大覚世尊、教を設くるの元意は一切衆生をして修行せしめんが為なり。
修行に二有り、所謂正行及び助行なり。宗々殊なりと雖も同じく正助を立つ、同じく正助を立つれども行体各異なり。流々の正助は今論ぜざる所なり、当門所修の二行の中に、初めに助行とは方便・寿量の両品を読誦し、正行甚深の功徳を助顕す。譬えば灰汁の清水を助け、塩酢の米麺の味を助くるが如し、故に助行と言うなり。此の助行の中に亦傍正有り、方便を傍とし寿量を正と為す。是れ則ち遠近親疎の別有るに由る故なり、傍正有りと雖も倶に是れ助行なり。次ぎに正行とは三世諸仏の出世の本懐、法華経二十八品の最要、本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思、境智冥合、久遠元初の自受用身の当体、事の一念三千、無作本有の南無妙法蓮華経是れなり。荊渓尊者謂える有り「正助合行し、因って大益を得」云云。
行者応に知るべし、受け難きを受け、値い難きに値う、曇華にも超え浮木にも勝れたり、一生空しく過ごさば万劫必ず悔ゆ、身命を惜まずして須く信行を励むべし、円頂方袍にして懶惰懈怠の者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道の弟子なり云云。慎む可し、慎む可し、勤めよや、勤めよや。
日寛上人様の御指南が耳に痛いです。
朝の出勤が早くて遅い時間の勤行になってしまいました。
でも、気持ちは清々しいです。
五座三座の勤行・唱題は厳しい修行ですが、在家にもその修業をお許しくださっていることを感謝して、変則になっても可能なかぎり頑張っていきたいと思っています。
本山に参詣した折に、宿坊の御住職様からこんなお話を聴かせていただいたことがあります。
「宿泊にての登山参詣、誠にその志、尊いことでございます。一言、御留意いただきたいことがございます。明朝、丑寅勤行に参詣される方もおられるかと思いますが、丑寅勤行に参詣された方は宿坊での朝の勤行はお控えください。丑寅勤行は猊下様の衣の裾にすがって、その根源たる勤行に連ならせていただく修行でございます。重ねて朝の勤行を勤めることは、僭越・非礼となりますのでご注意ください。」
へぇ~って思ったもんです。
勤行論争は異流儀との間で、色々ありますけども、僧俗差別なき修業をお許しくださっているという考え方なんですね。
創価や顕正の発想とは真逆ですね。
彼奴らは在家がなんで僧侶と同じ修業なんですか?っていう愚痴の発想なんです。
愚痴の衆生が増えているから、コロナみたいな疫病がはやるのでしょう。
日本国の人々癡かの上にいかりををこす。邪法をあいし、正法をにくむ、三毒がうじゃうなり。日本国いかでか安穏なるべき。壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり。又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり。飢渇は大貪よりをこり、やくびゃうはぐちよりをこり、合戦は瞋恚よりをこる。今日本国の人々四十九億九万四千八百二十八人の男女、人々ことなれども同じく一つの三毒なり。所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば、人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にのり、せめ、流し、うしなうなり。是即ち小の三災の序なり。 (曽谷入道殿御返事1386㌻)
日蓮正宗では信心していれば、コロナにならないなんて馬鹿げた話はしません。
東日本大震災の際にも、被災されてお亡くなりになられた御信徒様の御話しもされておりました。
宿業によって難を逃れられないこともございます。
大石寺の基礎を御供養された、南条時光さんの御一家にも災難は起こっております。
鬼神に二あり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき。此を答ふべき様は一には善鬼なり。梵王・帝釈・日月・四天の許されありて法華経の怨を食す。二には悪鬼が第六天の魔王のすヽめによりて法華経を修行する人を食す。善鬼が法華経の怨を食らふことは、官兵の朝敵を罰するがごとし。悪鬼が法華経の行者を食らふは、強盗夜討等が官兵を殺すがごとし。例せば日本国に仏法の渡りてありし時、仏法の敵たりし物部大連・守屋等も疫病をやみき。蘇我宿弥・馬子等もやみき。欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給ひてありしかども、外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども、仏と法との信はうすく、神の信はあつかりしかば、強きにひかれて三代の国王疫病疱瘡にして崩御ならせ給ひき。此をもて上の二鬼をも今の代の世間の人々の疫病をも、日蓮が方のやみしぬをも心うべし。されば身をすてヽ信ぜん人々はやまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし。又大悪鬼に値ひなば命を奪はるヽ人もあるべし。例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども、多勢には終にほろびぬ。又日本国の一切の真言師の悪霊となれると、並びに禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり。又梵釈・日月・十羅刹の眷属日本国に乱入せり。両方互ひに責めとらんとはげむなり。而るに十羅刹女は総じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給ひて候へば、一切の法華経を持つ人々をば守護せさせ給ふらんと思ひ候に、法華経を持つ人々も或は大日経はまされりなど申して、真言師が法華経を読誦し候はかへりてそしるにて候なり。又余の宗々も此を以て押し計るべし。又法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経の行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによって憎む人あり。此は法華経を信ずれども信ずる功徳なし。かへりて罰をかほるなり。例せば父母なんどには謀反等より外は、子息等の身として此に背けば不孝なり。父が我がいとをしきめをとり、母が我がいとをしきをとこを奪ふとも、子の身として一分も違はば、現世には天に捨てられ、後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり。何に况んや父母にまされる賢王に背かんをや。何に况んや父母・国王に百千万億倍まされる世間の師をや。何に况んや出世間の師をや。(日女御前御返事1232㌻)