日蓮正宗のススメ

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罰について

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罰に気付くには、幸福洗脳からの脱却がカギですね

 罰には四つあります。総罰・別罰・顕罰・冥罰です。因果の道理を理解せず人生を無謀に生きていくと「罰」が当たったと世間ではいいます。「罰」は一種の警告であり、「罰」が当たる前に気づく事が必要です。正しい仏法を学ぶことで、未然に「罰」が当たらないように出来ます。言い換えると仏法を学ばないところに「罰」が当たることになります。 
 しかし、現代末法では「罰」に当たっても「罰」という認識を全く持たない人が大勢います。その背景には様々ありますが、「罰」とは何かについて教える人がいなくなっていることが上げられます。「罰」はどうすれば受けるのか、「罰」にはどんなものがあり、「罰」が当たったらどういう行動をとればよいのか、主師親の三徳に縁していない人が迷い悩むところです。
 世の中には主人や師や親はいますが、外見だけで本当の資格を持たない主人や師や親が横行しています。これが原因となり「罰」の認識が薄くなっています。その「罰」の理解力がないために、まともな精神が失われ悩乱しているような人もいます。正しく末法濁悪の様相を示しています。
 日蓮大聖人は四つの罰について『聖人御難事』に、
 「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり。過去・現在の末法法華経の行者を軽賤(きょうせん)する王臣・万民、始めは事なきやうにて終(つい)にほろ(亡)びざるは候はず、日蓮又かくのごとし。始めはしるし(験)なきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそ(恐)ろしく想ふ間、今は各々はげ(励)むらむ。大田親昌(ちかまさ)・長崎次郎兵衛尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるゝか。罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰四つ候。日本国の大疫病(やくびょう)と大けかち(飢渇)とどしう(同士討)ちと他国よりせめらるゝは総ばち(罰)なり。やくびゃう(疫病)は冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばち(罰)なり」(御書1397)
と御指南であります。『種々御振舞御書』に、
 「今の世の人々は皆頭(こうべ)阿梨樹の枝のごとくにわ(割)れたれども、悪業ふかくしてしらざるなり。例せばてを(手負)いたる人の、或は酒にゑ(酔)ひ、或はねい(寝入)りぬれば、をぼえざるが如し。又頭破作七分と申すは或は心破作七分とも申して、頂(いただき)の皮の底にある骨のひヾた(狂)ぶるなり。死ぬる時はわるヽ事もあり。今の世の人々は去ぬる正嘉の大地震、文永の大彗星(すいせい)に皆頭われて候なり。其の頭のわれし時ぜひぜひ(喘息)やみ、五蔵の損ぜし時あかき(赤痢)腹をやみしなり。これは法華経の行者をそし(謗)りしゆへにあたりし罰とはし(知)らずや」(御書1071)
と「罰」が厳然と現れても全く解らない人がいると仰せです。この御指南は法華経である御本尊様を信じ御題目を唱える人を謗ったり悪口を言った人に起きる「罰」です。悪業が深いために「罰」を受けた自覚症状がありません。
 日蓮正宗を謗ることで悪道に進む道に入り、結果として「罰」が出るのであります。「罰」は日蓮正宗の信心に目覚め、今までの言動を悔い改めることで「罰」を罪障消滅させられます。

罰について - 正林寺法華講員手引書

 

 

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