日蓮正宗のススメ

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1155夜:義父の手術が成功したことについて

夫病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医に値ひて急に対治すれば命猶存す。何に況んや軽病をや。業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや。法華経第七に云はく「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云。此の経文は法華経の文なり。一代の聖教は皆如来の金言、無量劫より已来不妄語の言なり。就中此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり。多宝証明を加へ、諸仏舌相を添へ給ふ、いかでかむなしかるべき。其の上最第一の秘事はんべり。此の経文は後五百歳、二千五百余年の時、女人の病あらんととかれて候文なり。阿闍世王は御年五十の二月十五日、大悪瘡、身に出来せり。大医耆婆が力も及ばず、三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき。五十余年が間の大楽一時に滅して、一生の大苦三七日にあつまれり。定業限りありしかども仏、法華経をかさねて演説して、涅槃経となづけて大王にあたえ給ひしかば、身の病忽ちに平癒し、心の重罪も一時に露と消えにき。仏滅後一千五百余年、陳臣と申す人ありき。命知命にありと申して五十年に定まりて候ひしが、天台大師に値ひて十五年の命を宣べて六十五までをはしき。其の上、不軽菩薩は更増寿命ととかれて、法華経を行じて定業をのべ給ひき。彼等は皆男子なり。女人にはあらざれども、法華経を行じて寿をのぶ。又陳臣は後五百歳にもあたらず。冬の稲米、夏の菊花のごとし。当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米、冬の菊花、誰かをどろくべき。されば日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立てゝ御らむあるべし。しかも善医あり。(可延定業御書760㌻)

私の妻の父親が膵臓の手術をしました。
大学の付属病院で受けたのですが、当初の予定では11時間に及ぶ大手術となる予定でした。
妻の話では、手術当日、オペ室に入ってから2時間足らずで義父が出て来たそうで、親族はみな怪訝に思い、「きっと開腹したけど、手の付けられない状態だったのでは?」と想像したそうです。
そう思うのも無理はありません。
医学が進歩し、手術に至るまでには綿密な計画立案と予備検査が行われます。
それでも、実際に内蔵の状態を見るまでは、その損傷の具合はわからないものです。
執刀医の話では、状態が想像よりもはるかによく、手術が順調に終了したとのこと。
「???」信じられないような展開でした。
コロナの影響もあり、お見舞いもできず、主治医の説明も義母のみが聴けるという状況なので、私や妻も義母経由でしか病状が把握できません。
それでも、今年一杯か来年早々には。。と覚悟していたので、驚いております。
義父は、70歳になります。
中学を卒業して大工の徒弟として、大阪で棟梁の家に住み込みで修行していました。
1960年代後半ですから、昭和40年代でしょうか。。
大工の棟梁は創価学会員だったようで、当時は家族に弟子も混じって朝夕の勤行をしていたようです。
義父にしてみれば無理強いされての信心だったのでしょうが。
私の父の通夜式と葬儀に参列してくれた義父が、日蓮正宗の読経に昔を思い出し語ってくれました。
一緒に勤行・唱題して父を見送ってくれました。
初七日の法要にも来てくれたものです。
義父は信心からは遠ざかり、創価ともなんのつながりもありません。
義母は父の葬儀や、自身の病気が縁で御授戒を戴きましたが、義父は頑として受け入れず今に至りました。
それでも、仏縁があるのかなと思っております。
自由な性格の義父にとっては、無理やり強制された信仰がトラウマになっているのでしょう。
それでも、大石寺で御開扉や丑寅勤行に参加したことがあるようでした。
昔の日蓮正宗創価学会は、まじめに信徒団体として修行していたことがわかります。
義父の手術の前に、御住職様に御祈念願いを出しておりました。
私も妻もここまで功徳を戴けるとは、夢にも思っておらず、申し訳ないながらも望外の結果に驚いている様な状態です。
私も義父のおおらかな人柄のおかげで、今の家族を持ち得たと思っています。
長生きしてもらって、なんとか再入信して欲しい。。。
そう願いながら、大聖人様と御住職様に感謝申し上げました。

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