日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

<道徳感情>と因果推察能力

 

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

道徳感情はなぜ人を誤らせるのか ~冤罪、虐殺、正しい心

 

この複雑なメカニズムの中で、ズルをしてシステムを壊そうとする者を見つけて罰するためなんでしょうけど、人間は不正に敏感に反応することが各種の心理実験によって確認されています。自分が直接被害を受けた場合でなくとも、強い<道徳感情>が発動するのです。

さらには、自分が損をしてさえ、不正を行う者を罰しようとする人がかなりの割合でいることも確かめられています。余計なコストを払ってまで不公正者に罰を与える瞬間の脳をスキャンすると、背側線条体という部分の活性が記録されるのです。このような行動によって、満足感を覚えているのではないかという証拠ではあります。

そこまでして人を罰したいという欲求があるために、人間は因果推察能力が発達しました。なにせ、<間接互恵性>は直接見えない部分がほとんどで、言葉による報告もどこまで正しいのか推測しなくてはならないからです。目撃者がまったくおらず、言葉による証言も一切ない場合さえあります。そこで悪を為した者を見つけるには、因果の推察をするしかない。

良いことをした者に評判や報酬を与えるためにも因果推察は使われたはずですが、心理実験を見る限り、どうも人を罰する欲求のほうがかなり高いようです。本来なら、良いほうにも悪いほうにも使えるはずの「因果応報」という言葉が、何故か悪いことをした者には罰が当るという意味でしか使われないのは示唆的です。

科学技術を発達させた人間の因果推察能力は、人を罰したいという欲求のために発達したのかもしれないということです。

さらにその上、<道徳感情>が強く発動すると、因果のないところに因果を見出だすようになります。これが人間最大の認知バイアスです。このバイアスがすべての悲劇を生むのです。

回を改めて詳しく論じることになるでしょうが、ブッダが悟りを開くために、なにゆえ因果を断ち切ろうとしたのか。さらには、因果を断ち切るために、まず人間関係を断ち切って出家することが大切だと考えたのはなにゆえか。

この<間接互恵性>の<道徳感情>から来る認知バイアスをどう克服するかという観点から見ると読み解けるのです。2500年間気づかれてこなかった、ブッダのもうひとつの真の教えも結局はこの認知バイアス克服に関係することになります。

道徳感情>と不平等
<間接互恵性>がはじまったのは、人間が言葉を使うようになった10万年程度前のことでしょう。しかし、それ以前にも、チスイコウモリのような、直接的な見返りの協力関係があったはずです。狩猟採集をやっていた数百万年の人類の歴史があり、直接的な協力がないと滅んでいたはずだからです。

狩猟採集は獲物が捕れる日も捕れない日もあります。どれほどの狩りの名人でも年に1回くらい不運に見舞われ、1週間や2週間なにも捕れないこともあるでしょう。それですぐ餓死することはないにしても、まともに動けなくなって死を待つだけといったことにもなりかねません。

日頃から自分の獲物を分けていれば、いざという時に見返りが期待でき、リスクヘッジになります。仲間が多いほどリスクを分散できる。

さらに大人数で協力することにより、マンモスなどの大型動物を狩ることもできるようになります。そのため、アリやハチのような極めて血縁度の高い群れを成す種族とは違う生物としては、かなり大きな群れを作るようになる。100人から200人程度ですが。

血縁ではないこれだけのグループを形成するのは、動物にとって大変なことです。この群れを維持するためだけに、人間の知能は発達したと云っていいでしょう。

つまり、言葉を使えるようになったから<間接互恵性>がはじまったのではなく、評判を交換する<間接互恵性>でないとこれだけの群れを長期間維持できないので、必要に駆られて言葉を生み出したという可能性もあるわけです。

そうまでして何故、大きな群れを維持しないといけないかと云うと、自分の生存率を上げるため。そのためには食糧を平等に分けることがなりより重要だったはずです。

チスイコウモリのように、お互いに飢えないため。あるいは大人数で協力して大型動物を仕留めるため。

獲物を独り占めする者はこの協力関係を破壊し、群れの全員を危険にさらします。システムを維持するため、平等を破る者は徹底的に罰を受けることになるのです。

逆に云うと、そのような<道徳感情>を多くの者が持てなかった群れは自然淘汰され、絶滅してしまいました。我々はみんな、平等に獲物を分けることを最大の正義と考える<道徳感情>を身に着けて生き延びた御先祖の血を引いているのです。

先に心理実験の話をしましたが、一番判りやすいのは分配に関する実験です。1000円を2人で分ける実験をすると、500円ずつなら当然喜んで受け取りますが、750円以上と250円以下の分配だと低いほうが受け取りを拒否する割合が急激に増えるのです。拒否すると2人とも0円になりますから明らかに損なんですが、それでも多く取ろうとする者を罰しようとするわけです。

この分配を横で見ている者も、自分が損害を受けたわけでもないのに、やはり不公正者を罰しようとします。理屈ではなく感情がそうさせるのです。まさしく、数百万年の進化が刻みつけた<道徳感情>の為せる業です。 

道徳感情論 (講談社学術文庫)

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