日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

創価学会員さんとの対話:前回の対話にお返事をいただき、メール転載の許可もいただきました。

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ご覧いただいている皆様の参加をお待ちしております

対話集カテゴリー開設に合わせて、対話へのお申し込みを下さった創価学会員さんからお返事をいただきました。

とてもうれしいです。どのような立場の方でもけっこうですので、対話に参加してください。コメント欄も自由書き込みですのでどうぞ。

とっかかりの質問をいただいても、急に音信不通になる方や、怒り出す方、一方的に打ち切る方など、今まで、やりとりが普通に続いた人ってなかなかいませんでしたので、ホッとしています。

顕正会員さんの場合は、一方的なマシンガン系の人が多いのですが。

では、ご本人さんから許可をいただきましたので、創価学会員さんからの返信を転載させていただきます。真摯な回答をいただきましたので、これから真摯さんと呼ばせていただこうと思います。

僕のメールの内容をブログに掲載していただいて構いません。より多くの方との対話の場となることを期待します。

長くなりますのでまずは①「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」に関する問題についてのみお伺いします。

本因妙抄は、日蓮大聖人が実際に仰せになった部分が一言でも存在するのかどうか僕には判断できませんが、ご存知のようにポリ銀さんが引用された該当箇所は後加文であり、この文を以て主張の正当性を証明することはできないと思います。

日蓮大聖人はこのように仰せです。
「是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし是の時当に諸の悪比丘有るべし是の経を抄掠して分つて多分と作し能く正法の色香美味を滅す是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除して世間荘厳の文を安置し無義の語を飾り前を抄(とっ)て後に著け後を抄て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如き諸の悪比丘は是魔の伴侶なり」守護国家論42
「私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり」善無畏三蔵抄882
つまり、経典に自分の言葉を付け加える者は魔であり、それに騙されてはいけないと仰せになっているのです。
またこのようにも仰せになっています。「私に会通を加えば本文を黷が如し」観心本尊抄246 御本仏日蓮大聖人でさえも経論にご自身の解釈を加えることをはばかられていたのです。
これらの御文を拝せば、誰が書いたのかわからない後加文など絶対に信受してはならないことは明瞭と思います。

また、百歩譲って後加文を引用することを認めるとしても該当箇所の文から「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」という結論を導くことはできないと思います。
引用された箇所をわかりやすく言い換えると「弘教における重要な法門である産湯相承事・御本尊七箇相承の両書は唯授一人の血脈相承として代々の法主に伝えるべき書である」となると思います。この文から「唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」という結論を導くことは明らかに論理的に飛躍していますが、いかがでしょうか。
また、「秘す可し秘す可し」とあるにもかかわらず、産湯相承事・御本尊七箇相承ともに日亨上人によって一般公開され誰でも閲覧できる状態にあります。

宗門は「此の経は相伝に有らざれば知り難し」一大聖教大意398 の御文を引用して「相伝を受けた法主にしかわからない秘法がある」などと主張していますが、僕はその主張は全くの嘘だと思います。
日蓮大聖人はこの様に仰せになっています。
「仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり」星名五郎太郎殿御返事1207
「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云」行敏訴状御会通181
「此の経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ」新池御書1443
「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」開目抄219
「文証無き者は悉く是れ邪義、彼の外道に同じ」真言見聞148 
「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず」唱法華題目抄9
これらの御文を拝すれば「相伝を受けた法主にしかわからない秘法がある」という主張を信じてはいけないことは明白と思います。

相伝とは師から弟子に法門を伝えるということであり、師とは日蓮大聖人にほかなりません。法華経の真髄は一念三千であり、これは末法においては結要付嘱を賜った日蓮大聖人にしか広めることはできないから「相伝に有らざれば知り難し」と仰せなのではないでしょうか。
日蓮大聖人は「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」観心本尊抄254 と仰せになっています。日蓮大聖人が法華経の会座において上行菩薩として相伝された一念三千を、末法においては御本仏日蓮大聖人が御本尊を顕すことによって衆生に授けてくださることが観心本尊抄に示されています。ただ御本尊に対して南無妙法蓮華経と唱えることによって一念三千の珠を授かることができるのですから、その間に誰人も介入する余地はないはずです。当然、法主に随従する必要などありません。
また日蓮大聖人は「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」御義口伝753 と仰せになっています。日蓮大聖人は数多の御書の中で成仏するための法を説いています。すなわち、ただ御本尊を信受して南無妙法蓮華経と唱えることです。御書のどこにも、法主に従わなければならないとは書いてありません。

長くなりますのでまずはここまでご確認ください。異論はありますか。
On 2019/04/15 15:25, ポリ銀 wrote:

非常に冷静かつ論理的な回答をいただきました。

しごく真っ当なご意見だと思います。

宗教組織のしがらみがなければ、特に文句をつけようもない話ですよね。

それで、私の返信した回答は下記のとおりです。

真摯様

 お返事をいただき、ありがとうごいます。


本因妙抄 「又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」の御文によれば、「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」との結論に至ると考えています。戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承は一体ということになりますから。私なりに会通させていただくと、日蓮正宗の信仰というのは猊下様の御内証によって導かれるものだと拝察しております。

さらに言うと、私は日蓮正宗信徒ですから、現在自分の所持している学会版御書全集と平成新編日蓮大聖人御書を信受しております。学会版は中学1年生の時に購入したものです。日蓮正宗側も使用を差し止めていませんので、今回の対話ではWeb版から引用させていただきました。

貴殿の論を拝見させていただいた限り、論理的な文章の更生や、思索の展開に異論はありません。ただ、貴殿には物足りないかもしれませんが、真蹟・曾存、後加文等、一次史料の判定には与しない立場です。信徒の分際で、そちらに足を踏み入れるときりがありませんので。

貴殿が引用されている「此の経は相伝に有らざれば知り難し」一大聖教大意398は、Web版では削除されていますね。創価学会さんにとっては、都合が悪いのでしょう。一大聖教大意も真偽論が存在するようですが、私にはあまり興味のない世界です。

まあ、戒壇の大御本尊を信受しないのであれば、どの御本尊を信受するのですか?という話になり、実体のない法を根本にするというのであれば、真言や念仏のような法身仏を崇敬する人々や、教外別伝の禅宗の人々とも違いがないように思いますが。

さて、話は変わるのですが、貴殿の信仰履歴なども教えていただければうれしいです。

せっかく、対話をさせていただくのに、どんな人なのかわからないのも寂しいですし。

私は昭和47年生まれの創価2世です。平成4年に顕正会に入会し、平成22年に日蓮正宗へ再入信しました。創価大学の法学部への進学を考えておりましたが、高校3年時に例の11.16スピーチがあって、中央大学へ進学しまして、4年間だけ東京生活を満喫いたしました。

貴殿がどの世代に属する方で、創価学会についてどのように考えてらっしゃるのかも知りたいです。よろしくお願いいたします。

敬具

みなさん、後加文って分かりますか?

本因妙抄は猊下様に伝わる相伝書で、元々の御文に歴代猊下の御内証が書き加えられて伝わっているんです。卑近な言い方をしますと、メモ書きや注意書きと言ったところでしょうか。

創価の御書も、正宗の御書も科段を分けて違いが分かるようになっています。創価の御書は文字の大きさが変えられているので、より分かりやすい編集になっています。

つまり、私の引用した文証は後加文だから、質問の答えになっていないと真摯さんは仰っているわけです。

本因妙抄は真蹟は残っておらず、日時上人様の古写本が大石寺相伝されていると、正宗版の御書には書かれています。 

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

 

私は日蓮正宗の信徒ですので、後加文を血脈相伝の法門と解する立場です。

また、大学の哲学科を出ていますので、学問的には文献の一次史料の重要さは理解していますが、信徒の立場はテキスト史料精査の当事者の立場ではないと思っています。

ですから、二次史料からの思索となります。

ただ、真摯さんは後加文を認めるとしながらも、 

引用された箇所をわかりやすく言い換えると「弘教における重要な法門である産湯相承事・御本尊七箇相承の両書は唯授一人の血脈相承として代々の法主に伝えるべき書である」となると思います。

との解釈を展開されましたので、私としては、

 本因妙抄 「又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」の御文によれば、「必ず戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を信仰の根本としなければならない」との結論に至ると考えています。

再度、述べさせていただいたわけであります。

真摯さんの解釈は、本因妙抄の

又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり、又此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり、相構え相構え秘す可し秘す可し伝う可し、法華本門宗血脈相承畢んぬ。

 「又日文字の口伝・産湯の口決・二箇は両大師の玄旨にあつ、本尊七箇の口伝は七面の決に之を表す教化弘経の七箇の伝は弘通者の大要なり」の解釈で、「此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり」の部分をあえて読み飛ばしているからなのです。

そして「塔中相承の禀承唯授一人の血脈」は、「第廿五建立御本尊等の事 御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。」や「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に介爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。」との、大聖人の御金言を拝すれば、単なる「弘教における重要な法門である産湯相承事・御本尊七箇相承の両書は唯授一人の血脈相承として代々の法主に伝えるべき書である」ではないとわかるでしょう。

さて、真摯さんが引用された「『此の経は相伝に有らざれば知り難し』一大聖教大意398」はWeb版の全集から削除されていることを示して本日の対話集を締めくくろう。

自由語検索 検索結果一覧

一大聖教大意での検索結果は0件でした。

自由語検索 検索結果一覧

相伝での検索結果は46件でした。
それぞれの御書名をクリックすると御書の本文がご覧になれます。

 

1蓮盛抄

 

153ページ

あつて人を度す可し汝此れに依つて世を度す可し云云、若し爾れば猥に教外別伝と号せんや、次に不伝の言に至つては冷煖二途・唯自覚了と云つて文字に依るか其れも相伝の後の冷煖自知なり是を以て法華に云く「悪知識を捨て善友に親近せよ」文、止観に云く「師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林に曲木を曳くが如く出づ

2撰時抄

 

266ページ

法華経をば用いざるべき随つて馬鳴・竜樹・提婆・無著等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給へ、天親菩薩は千部の論師・法華論を造りて諸経の中第一の義を存す真諦三蔵の相伝に云く月支に法華経を弘通せる家・五十余家・天親は其の一也と已上正法なり、像法に入つては天台大師・像法の半に漢土に出現して玄と文と止との三十

3報恩抄

 

304ページ

かたがた不審ありし故に去る延暦二十三年七月御入唐・西明寺の道邃和尚・仏滝寺の行満等に値い奉りて止観円頓の大戒を伝受し霊感寺の順暁和尚に値い奉りて真言相伝し同延暦二十四年六月に帰朝して桓武天王に御対面・宣旨を下して六宗の学生に止観真言を習はしめ同七大寺にをかれぬ、真言・止観の二宗の勝劣は漢土に多く子

4下山御消息

 

354ページ

文字とののしる、此の三の大悪法鼻を並べて一国に出現せしが故に此の国すでに梵釈・二天・日月・四王に捨てられ奉り守護の善神も還つて大怨敵とならせ給う然れば相伝の所従に責随えられて主上上皇共に夷島に放たれ給い御返りなくしてむなしき島の塵となり給う詮ずる所は実経の所領を奪い取りて権経たる真言の知行となせし

5諸宗問答抄

 

378ページ

次に禅宗の法門は或は教外別伝・不立文字と云ひ或は仏祖不伝と云ひ修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ或は即身即仏とも云つて文字をも立てず仏祖にも依らず教法をも修学せず画像木像をも信用せずと云うなり、反詰して云く仏祖不伝にて候はば何ぞ月氏の二十八祖・東土の六祖とて相伝せられ候や、其の上・迦葉尊者は何ぞ一

6聖愚問答抄上

 

478ページ

禅と云うなり、愚人云く願くは我聞んと思ふ、非人の云く実に其の志深くば壁に向い坐禅して本心の月を澄ましめよ爰を以て西天には二十八祖系乱れず東土には六祖の相伝明白なり、汝是を悟らずして教網にかかる不便不便、是心即仏・即心是仏なれば此の身の外に更に何にか仏あらんや。  愚人此の語を聞いてつくづくと諸法を観

7聖愚問答抄下

 

487ページ

華微笑して此の法門を迦葉に付属ありしより已来・天竺二十八祖・系乱れず唐土には六祖次第に弘通せり、達磨は西天にしては二十八祖の終東土にしては六祖の始なり相伝をうしなはず教網に滞るべからず、爰を以て大梵天王問仏決疑経に云く「吾に正法眼蔵の涅槃妙心実相無相微妙の法門有り教外に別に伝う文字を立てず摩訶迦葉

8聖愚問答抄下

 

489ページ

、此の文をもつて当世を見るに宛も符契の如し汝慎むべし汝畏るべし、先に談ずる所の天竺に二十八祖有つて此の法門を口伝すと云う事其の証拠何に出でたるや仏法を相伝する人・二十四人・或は二十三人と見えたり、然るを二十八祖と立つる事・所出の翻訳何にかある全く見えざるところなり、此の付法蔵の人の事・私に書くべきに

9聖愚問答抄下

 

490ページ

に頸の中に血無く只乳のみ出ずべし、是の時に仏法を相伝せん人絶ゆべしと定められたり、案の如く仏の御言違わず師子尊者・頸をきられ給う事・実に以て爾なり、王のかいな共につれて落ち畢んぬ、二十八祖を立つる事・甚以て僻見なり禅の僻事是より興るなるべし、今慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時師子

10当体義抄

 

512ページ

と同じく共に一法身にして清浄妙無比なるを妙法蓮華経と称す」文、他経に有りと雖も下文顕れ已れば通じて引用することを得るなり、大強精進経の同共の二字に習い相伝するなり法華経に同共して信ずる者は妙経の体なり不同共の念仏者等は既に仏性法身如来に背くが故に妙経の体に非ざるなり、所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信

11法華初心成仏抄

 

546ページ

我が経は法華経に勝れたり我が宗は法華宗に勝れたりと云はん人は下﨟が上﨟を凡下と下し相伝の従者が主に敵対して我が下人なりと云わんが如し何ぞ大罪に行なはれざらんや、法華経より余経を下す事は人師の言にあらず経文分明なり、譬えば国王の万人に勝れたりと名乗り侍の凡下を下﨟と云わんに何の禍かあるべきや、此の経は

12三世諸仏総勘文教相廃立

 

568ページ

蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して其の中に四十二年の方便の諸経を丸かし納れて一仏乗と丸じ人一の法と名く一人が上の法なり、多人の綺えざる正しき文書を造つて慥かな御判の印あり三世諸仏の手継ぎの文書を釈迦仏より相伝せられし時に三千三百万億那由佗の国土の上の虚空の中に満ち塞がれる若干の菩薩達の頂を摩で

13御義口伝巻上

 

724ページ

有りと。 御義口伝に云く此の文を以て鏡像円融の三諦の事を伝うるなり、惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し、又云く鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮

14御義口伝巻下

 

752ページ

究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云。 第二如来秘密神通之力の事 御義口伝に云く無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振

15御義口伝巻下

 

767ページ

塔中の礼拝なり、其の故は塔婆とは五大の所成なり五大とは地水火風空なり此れを多宝の塔とも云うなり、法界広しと雖も此の五大には過ぎざるなり故に塔中の礼拝と相伝するなり秘す可し秘す可し云云。 第十八開示悟入礼拝住処の事 御義口伝に云く開示悟入の四仏知見を住処とするなり、然る間方便品の此の文を礼拝の住処と云

16御義口伝巻下

 

781ページ

なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、此因無易故云直至の釈之を思う可し、此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎

17御義口伝巻下

 

782ページ

束するなり、本門は而二の上の不二なり而二不二・常同常別・古今法爾の釈之を思う可し、此の去の字は彼の五千起去の去と習うなり、其の故は五千とは五住の煩悩と相伝する間五住の煩悩が己心の仏を礼して去ると云う義なり、如去の二字は生死の二法なり、伝教云く「去は無来之如来無去之円去」等と云云。 如の字は一切法是心

18御義口伝巻下

 

783ページ

を礼す故に作礼而去とは説き給うなり、彼彼三千互遍亦爾の釈之を思う可し秘す可し秘す可し唯受一人の相承なり、口外す可からず然らば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極と為すなり云云。  無量義経六箇の大事 第一無量義経徳行品第一の事 御義口伝に云く無量義の三字を本迹観心に配する事、初の無の字は迹門

19御義口伝巻下

 

784ページ

源が実相なる故に観心と云うなり、此くの如く無量義の三字を迹門・本門・観心に配当する事は法華の妙法等の題と今の無量義の題と一体不二の序正なりと相承の心を相伝せむが為なり。 第四処の一字の事 御義口伝に云く処の一字は法華経なり、三蔵教と通教とは無の字に摂し別教は量の字に摂し円教は義の字に摂するなり、此の

20御講聞書

 

810ページ

とは耳の主と釈せり、聞とは名字即なり、如是の二字は妙法なり、阿難を始めて霊山一会の聴衆・同時に妙法蓮華経の五字を聴聞せり仍つて我も聞くと云えり、されば相伝の点には如は是なりきと我れ聞くといえり、所詮末法当今には南無妙法蓮華経を我も聞くと心得べきなり、我は真如法性の我なり、天台大師は同聞衆と判ぜり同じ

21御講聞書

 

814ページ

る事・三世の諸仏の御舌を切るに非ずや、然るに此の妙法蓮華経の具徳をば仏の智慧にてもはかりがたく何に況や菩薩の智力に及ぶ可けんや、之に依つて大聖塔中偈の相伝に云く、一家の本意は只一言を以て本と為す云云、此の一言とは寂照不二の一言なり或は本末究竟等の一言とも云うなり、真実の義には南無妙法蓮華経の一言なり

22四十九院申状

 

848ページ

 爰に真言及び諸宗の人師等・大小乗の浅深を弁えず権実教の雑乱を知らず、或は勝を以て劣と称し或は権を以て実と号し意樹に任せて砂草を造る、仍て愚癡の輩・短才の族・経経顕然の正説を伺わず徒に師資相伝の口決を信じ秘密の法力を行ずと雖も真実の験証無し、天地之が為に妖孼を示し国土之が為に災難多し、是れ併ら仏法

23百六箇抄

 

854ページ

んで之を結要す。  万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云云、脱種合して一百六箇之れ在り、霊山浄土・多宝塔中・久遠実成・無上覚王・直授相承本迹勝劣の口決相伝譜、久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す。 理の一念三千・一心三観本迹 三世諸仏の出世成道の

24義浄房御書

 

892ページ

心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、叡山の大師・渡唐して此の文の点を相伝し給う処なり、一とは一道清浄の義心とは諸法なり、されば天台大師心の字を釈して云く「一月三星・心果清浄」云云、日蓮云く一とは妙なり心とは法なり欲とは

25佐渡御書

 

961ページ

給へ、世間にまさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず当時の軍に死する人人実不実は置く幾か悲しかるらん、いざはの入道さかべの入道いかになりぬらんかはのべ山城得行寺殿等の事いかにと書付て給べし、外典書の貞観政要すべて外典の物語八宗の相伝等此等がなくしては消息もかかれ候はぬにかまへてかまへて給候べし。

26観心本尊得意抄

 

972ページ

日蓮は之を知る可からず併ながら釈迦仏に任せ奉り畢んぬ。  抑も今の御状に云く教信の御房・観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが其の通りを以て御教訓有る可く候、所詮・在在・処処に迹門を捨てよと書きて候事は今

27富城入道殿御返事

 

994ページ

石の小丸を始と為て二十余人王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし皆頸を獄門に懸けられ骸を山野に曝す関東の武士等・或は源平・或は高家等先祖相伝の君を捨て奉り伊豆の国の民為る義時が下知に随う故にかかる災難は出来するなり、王法に背き奉り民の下知に随う者は師子王が野狐に乗せられて東西南北に馳走

28曾谷入道殿許御書

 

1,029ページ

当つて竜猛菩薩・月氏に出現して釈尊顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し大日の密教をば自ら南天の鉄塔を開拓し面り大日如来と金剛薩埵とに対して之を口決す、竜猛菩薩に二人の弟子有り提婆菩薩には釈迦の顕教を伝え竜智菩薩には大日の密教を授く竜智菩薩は阿羅苑に隠居して人に伝えず其の間に提婆菩薩の伝うる所の

29秋元殿御返事

 

1,070ページ

・帝釈・日月・四大天王等なり、法とは法華経なり、童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり、「臨兵闘者皆陳列在前」是又「刀杖不加」の四字なり、此等は随分の相伝なり能く能く案じ給うべし、第六に云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」云云、五節供の時も唯南無妙法蓮華経と唱へて悉地成就せしめ給へ、委細は

30秋元御書

 

1,073ページ

誑らかして代を失いしが如し、かかる悪法・国に流布して法華経を失う故に安徳・尊成等の大王・天照太神・正八幡に捨てられ給いて或は海に沈み或は島に放たれ給い相伝の所従等に傾けられ給いしは天に捨てられさせ給う故ぞかし、法華経の御敵を御帰依有りしかども是を知る人なければ其の失を知る事もなし、「智人は起を知り蛇

31四条金吾殿御返事

 

1,116ページ

身となれば・よろこばしく候。  天台伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給うすら・なを怨嫉の難にあひ給いぬ、日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等・相伝して弘め給ふ、第十八代の座主・慈慧大師なり御弟子あまたあり、其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします、法門又二つに分れたり、檀那僧正は

32四条金吾殿御返事

 

1,139ページ

申し合いたりと云云、今経は出世の本懐・一切衆生皆成仏道の根元と申すも只此の諸法実相の四字より外は全くなきなり、されば伝教大師は万里の波濤をしのぎ給いて相伝しまします此の文なり、一句万了の一言とは是なり、当世・天台宗の開会の法門を申すも此の経文を悪く意得て邪義を云い出し候ぞ、只此の経を持ちて南無妙法蓮

33日女御前御返事

 

1,245ページ

法においてをや、法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、此の事伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求る事なかれ、神力品に云く、委くは又又申す可く候、穴賢穴賢。  建治三年八月二十三日 日 蓮 花押  日

34妙一女御返事

 

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密教を伝受す、伝教大師の両界の師は順暁和尚・弘法大師の両界の師は慧果和尚・順暁・慧果の二人倶に不空の御弟子なり、不空三蔵は大日如来六代の御弟子なり、相伝と申し本身といひ世間の重んずる事日月のごとし、左右の臣にことならず末学の膚にうけて是非しがたし、定めて悪名天下に充満し大難を其の身に招くか然りと雖

35妙一女御返事

 

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大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずと・をもはれたるか・あへて即身成仏の義をしらざる人人なり。  求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり・汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、答えて云く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづね・あきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩

36十八円満抄

 

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之を記す  問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を見たりや、答えて云く伝教大師修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし。  問うて云く十八円満の名目如何、答えて云く一に理性円満・二に修行円満・三に化用円満・

37十八円満抄

 

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の八相は無作三身の故に四句の成道は蓮教の処に在り只無作三身を指して本覚の蓮と為す、此の本蓮に住して常に八相を唱へ常に四句の成道を作す故なり已上、修禅寺相伝の日記之を見るに妙法蓮華経の五字に於て各各五重玄なり蓮の字の五重玄義・此くの如し余は之を略す 、日蓮案じて云く此の相伝の義の如くんば万法の根源、一

38十八円満抄

 

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は伝転の義無しと云云、故に知んぬ証分の止観には別法を伝えざることを、今止観の始終に録する所の諸事は皆是れ教行の所摂にして実証の分に非ず、開元符州の玄師相伝に云く言を以て之を伝うる時は行証共に教と成り心を以て之を観ずる時は教証は行の体と成る証を以て之を伝うる時は教行亦不可思議なりと、後学此の語に意を留

39十八円満抄

 

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門は御存知為りと雖も書き進らせ候なり、十八円満等の法門能く能く案じ給うべし並びに当体蓮華の相承等日蓮が己証の法門等前前に書き進らせしが如く委くは修禅寺相伝日記の如し天台宗の奥義之に過ぐべからざるか、一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出でず敢て忘失すること勿れ敢て忘失すること勿れ、伝教大師

40浄蔵浄眼御消息

 

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主・南方・西方・北方・上下の一切の仏の主なり、釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは民の王を恐れ星の月を敬ふが如し、然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者・地獄・餓鬼・畜生等に押し籠められて気もつかず朝夕獄卒を付けて責むる程に、兎角して法華経に懸り付きぬれば釈迦仏等の十方の仏の御子とせさせ給へば

41妙法比丘尼御返事

 

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国の人人・皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず。  此大科・次第につもりて人王八十二代・隠岐法皇と申せし王並びに佐渡の院等は我が相伝の家人にも及ばざりし、相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給いしのみならず・島島にはなたれて歎かせ給いしが・終には彼の島島にして隠れさせ給いぬ

42神国王御書

 

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かべ内裏にあがめられ給い・八幡大菩薩は宝殿をすてて主上の頂を栖とし給うと申す、仏の加護と申し神の守護と申しいかなれば彼の安徳と隠岐と阿波・佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて・或は殺され或は島に放れ或は鬼となり或は大地獄には堕ち給いしぞ、日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山山寺寺

43神国王御書

 

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は我が身に五逆を作らずして無間地獄に入り・此れを帰依せん檀那も阿鼻大城に堕つべし何に況や智人・一人・出現して一代聖教の浅深勝劣を弁えん時・元祖が迷惑を相伝せる諸僧等・或は国師となり或は諸家の師となり・なんどせる人人・自のきずが顕るる上人にかろしめられん事をなげきて、上に挙ぐる一人の智人を或は国主に訴

44大白牛車書

 

1,543ページ

歳御作  与南条七郎次郎  夫れ法華経第二の巻に云く「此の宝乗に乗り直ちに道場に至る」と云云、日蓮は建長五年四月二十八日初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり、而るに諸宗の人師等・雲霞の如くよせ来り候、中にも真言・浄土・禅宗等・蜂の如く起りせめたたかふ、日蓮大白牛車の牛の角最第一なりと申し

45南条殿御返事

 

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き果報なるかな。  其の上此の処は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思

46五人所破抄

 

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相伝して鎮に国家を祈り奉る詮を取る。  天台法華宗の沙門日向・日頂謹んで言上す。  桓武聖代の古風を扇ぎ伝教大師の余流を汲み立正安国論に准じて法華一乗を崇められんことを請うの状。  右謹んで旧規を検えたるに祖師伝教大師延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したもう云云。  又云く法華の道場に擬して