日蓮正宗のススメ

広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし

 日蓮正宗の御授戒について

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【此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや】
 日蓮正宗の御授戒について

《はじめに》
 皆さんの中には、幼少の頃お寺にて御授戒を受けたという記憶が、かすかに残っているだけで、未だに御授戒の深い意味など分からないという方も、いらっしゃると思います。
 また、最近入信された方でも、色々と説明はされたけれど、緊張して内容が入ってこなかったという方もいらっしゃると思います。
 とにかく、我々日蓮正宗の信心は「折伏」に尽きます。その折伏は、相手が「御授戒」を受けて、初めて成就するのです。
 ですから、私たちが御授戒の意味をしっかりと学ぶことはとても大事なことなのです。

《仏法で説く戒定慧(かいじょうえ)》
 仏法の信仰は、戒・定・慧の修行が中心です。
この「戒」とは戒律のことで、悪や非とされる行いから離れて善を顕すことであり、「定」とは禅定のことで、心を安定させる法をいい、「慧」とは智慧のことで、仏の真理を体得することをいいます。  仏法に帰依しようとする人は、まず戒を授かって、我が身の振る舞いを仏の教えに基もとづいて正すことが大切であり、この戒を授かることを「御授戒」といいます。
 御本尊の前で読経の後、戒師の僧侶によって守るべき戒法が示され、その戒法を受持して信仰を全うすることを誓う儀式を言います。 
釈尊の仏法においては
 不殺生戒(ふせっしょうかい)(生き物を殺してはならない)
 不妄語戒(ふもうごかい)(嘘をついてはいけない)
 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)(盗みをしてはならない)
 不邪淫戒(ふじゃいんかい)(夫婦以外の邪しまな関係を持ってはいけない)
 不飲酒戒(ふおんじゅかい)(酒を飲みすぎてはいけない)
等の小乗の五戒に始まって、大乗の十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)、四十八軽戒(しじゅうはちきょうかい)等のたくさんの戒律が説き明かされています。 
 しかしこれ等はすべて釈尊の方便の権教中の戒律であり、現在ではインド・中国・日本や東南アジア各国の仏教徒にあっても、こうした戒律を守って生活している人はほとんどありません。

法華経で説く戒》 
 釈尊は72歳を過ぎて本懐の真実の経として説き明かされた法華経において、久遠の妙法蓮華経と言う成仏の種子を開顕され、その妙法の種子を持つ一行に、一切の仏法の戒徳が具わるという根本の戒法を示されたのです。 
 釈尊法華経の「見宝塔品」に、
 「今仏の前に於いて自ら誓願を説け此の経は持ち難し、若し暫(しばら)くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦(また)然(しか)なり、是くの如きの人は諸仏の歎(ほ)めたもう所なり是れ則ち勇猛(ゆうみょう)なり、是れ則ち精進なり、是れ戒を持ち頭陀(ずだ)を行ずる者と名づく」(開結419頁)
妙法蓮華経の大法の受持者を釈尊のみならず、一切の諸仏が歓喜して、その人を守り、またその人こそ勇猛精進の人であり、真の戒を持つ修行者だと賞賛されています。

《大聖人様の戒とは》 
 日蓮大聖人の末法の時代における下種仏法にあっても、こうした釈尊法華経中の戒法と同様に、久遠元初の妙法蓮華経の五字、すなわち三大秘法の本門の御本尊に帰依し、本門の本尊を受持し、本門の題目を唱えつつ日蓮大聖人の弟子としての信仰を貫いて行くことが末法の唯一の戒であります。 

 日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。」(御書653頁)
と説かれています。 
 つまり本門の本尊を受持して、本門の題目を唱えて勤行唱題を貫く人には自然に久遠元初の釈尊、すなわち久遠元初の御本仏の因位の修行の功徳と仏果の一切が具わって来るとの御指南なのです。
 さらにまた『教行証御書』には、
 「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為り。此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし。三世の諸仏は此の戒を持って、法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ。」(御書1109頁)
と仰せになっています。 
 すなわち本門の本尊には久遠元初の御本仏のみならず三世の一切諸仏の万行、万善の功徳が具わり、最高・最勝の御本尊でありますから、此の御本尊の受持者、帰依者は必ず自らの命に持っている正因・了因・縁因の三因仏性を法身・報身・応身の三身相即の仏へと転換出来るとの仰せなのです。 
 しかもこの妙法蓮華経の本門の戒は一度受持したならば、火にも焼けず、水にもさびず、永劫に朽ちることなく、誰れ人も破る事の出来ない戒法の故に、金剛の如くに強く、また何物に替えがたい尊い宝器の戒として「金剛宝器戒」と言われています。 
 日蓮正宗においては入信を決意し、日蓮大聖人の弟子信徒として、信仰を始めるに当たって、こうした尊い御授戒の儀式を受けて、始めて正真正銘の日蓮正宗の信徒となることが出来るのであり、妙法蓮華経の大法の一切の功徳はその人々の身の上に必ず顕れます。

 また此の本門の戒法たる御授戒を受けていない人々は如何なる人も日蓮正宗の宗旨の根本である総本山大石寺の本門戒壇の大御本尊に参詣内拝させて頂く事が許されないという事を知って下さい。

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日蓮正宗の御授戒》 
 御授戒は伝統的に本宗の寺院、または御宗門の許可の元、御本尊様が御安置されている御宝前にて執り行われます。 
 御授戒は御本尊の御前にて法華経の読誦で始まり、題目へと続きます。そして観念文で終わります。
 その後僧侶が御信徒に向かい「御授戒の誓いの文」が唱えられます。この時、御授戒を受ける方々は僧侶の前に座ります。僧侶は以下の3つの「授戒文」を読み上げます。
◎「今身より仏身に至るまで爾前迹門の邪法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師の正義を持ち奉るや否や」(あなたは今までの間違った教えを捨てて、日蓮大聖人の教えを信心することを誓いますか?)

◎「今身より仏身に至るまで爾前迹門の謗法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を持ち奉るや否や」 (あなたは今までの間違った教えの本尊等を捨てて、三大秘法の御本尊をお守りすることを誓いますか?)

◎「今身より仏身に至るまで爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや否や」(あなたは今までの間違った教えの戒律を捨てて、日蓮正宗の戒を持つことを誓いますか?)

 受戒者、並びに出席している全ての人は「御授戒の誓いの文」のそれぞれの質問の後に
 「持ち奉るべし(はい、誓います)」と答え、題目三唱します。
 「持ち奉るべし」と答えることによって受戒者は御本尊様に決意を明確にするのです。
 他の出席者にとっては新しい御信徒と共に信心していく、また異体同心して世界広布をめざす励みとなります。 
 僧侶と信徒は「御授戒の誓い」が執行されると共に唱題を致します。その唱題の中、僧侶は入信者の頭に常住御本尊を乗せます。御本仏の生命である御本尊を受戒者の頭にのせることは、御本仏と入信者の永遠の絆を結ぶことであり、入信者の命に、成仏と功徳の種を植えていただけるのです。 
 御授戒の後に御本尊下附が行われます。御本尊は開いた経本か袱紗の上にお受けします。御本尊は御本仏、日蓮大聖人の生命でありますので、当然最高の尊敬と誠意をもって扱われるべきです。 
 御授戒は題目三唱にて終了します。その後僧侶による激励のお話しがあるのが通例です。
 御授戒の基本的な式次第
1.題目三唱
2.読経
1.御授戒
2.御本尊下附
3.僧侶による激励
4.題目三唱 
 式の後、受戒者は信心を根本とした新しい生活を始めます。

《御本尊御安置》
 御本尊様を自宅に御安置する意味について申しあげます。
 日蓮大聖人の仏法の根幹をなすものは、「三大秘法」です。
 この三大秘法とは、「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」のことをいいます。

 我々が入信し、日蓮大聖人の信心をしていくためには、まず、この三つをしっかりと護らなければなりません。
 「本門の本尊」とは、総本山にまします本門戒壇の大御本尊の御事です。
この大御本尊には、末法のご本仏・日蓮大聖人様の大慈悲心と御法魂(ほうこん)のことごとくが、そのまま具わっています。
 よって、末法の一切衆生を救われる仏様は、日蓮大聖人以外には絶対におられないとの確信を持つことが大事なのです。これらの意義をよく知って、信心に励むことを、正しく「本門の本尊」を受持することと言えます。

 次の「本門の題目」とは、「本門の本尊」に向かって、南無妙法蓮華経と唱えることです。どんなに懸命(けんめい)に題目を唱えていても、仏像に向かって唱えていれば、それは「本門の題目」にはなりません。
 またこの「本門の題目」には、自行(じぎょう)と化他(けた)のふたつの意義が具わります。みずから御本尊に向かって唱題する自分の修行と、化他といって、周りの人々に「一緒にお題目を唱えましょう」と勧めていく(折伏)こと。この二つを同時に行なって、初めて「本門の題目」を唱えきることになるのです。

 そして三つめの「本門の戒壇(かいだん)」とは、すべての他の信仰を捨てて、ただ、大御本尊と日蓮大聖人を堅く信じ護るとの戒律を持つことです。
これには、事と義のふたつの意義が具わり、事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊と、大御本尊が安置されている総本山大石寺を護ること。
 義の戒壇とは、広義でいえば、菩提寺の御本尊を護るとの法華講員としての務めを果たすことと、自宅に御本尊を安置して謗法を我が家に寄せ付けず、一心に妙法を唱えつづけて御本尊を護る修行を行なうこと。これが「本門の戒壇」を受持する意義となります。
 これらの三大秘法のすべてを受持し護るために、自宅・自室には、御本尊を安置することが必要となるのです。
 御本尊はできるだけ早くその家の最も良い場所に御安置するのが良いでしょう。適当な仏壇や仏具は前もって準備しておくべきです。
仏壇はこれからその一家を守護し、繁栄をもたらす源である御本尊のお住まいです。お仏壇、仏具の購入は各家庭の経済事情や信心の度合いに合わせて行ってください。
 仏壇の荘厳さや威厳を考えることは重要ですが、高価なものが必ずしも適当というわけではありません。

 また、もう一つの意義は、日寛上人は
 「御本尊等願いの事、これあるにおいては、遠慮なく申し遣(つか)うべし…たとえ授戒候とも、本尊なくば、別して力も有るまじく候」
(福原昭房氏へのお手紙より)
と示されています。
 自宅に御本尊を安置することにより、我々はいつも御本尊を身近に感じながら生活が出来ます。
 そうすれば、たとえ周りの人から信心を反対されるような障害にあったとしても、それを強く乗り越えていける功徳を重ねていくことができます。そのためにも、早く御本尊を自宅・自室に安置しなさいと、日寛上人は強く勧められているのです。

 様々な理由で御本尊様の御安置が出来ない方であっても、「仕方ない」とあきらめては、以後の信心の成長は望むべくもありません。
 一日、一刻も早く御本尊様を自宅・自室にご安置できるような環境を整えていくのです。
 御安置が出来ないというのは、その人の身に福徳が無いからです。身の福徳を付けるためにも、信行に励まなければなりません。自室に御本尊様をご安置するとの願いが叶ったとき、その方の境界は、大きく変わっていきます。

日蓮正宗の信心とは折伏なり》
 我々の折伏は楽ではありませんが、大事な、実に尊い修行です。一人ひとりが御授戒の意義を理解し、家族・親族・友人・知人など縁ある方に、御授戒の意味を理解しながら折伏し、自分一人でも御本尊を御安置して、勤行・折伏が出来るまで育成していくことが大切です。

 また、創価学会員をはじめ、かつて御授戒を受けながら退転してしまった方々が世の中には大勢おります。
 たとえ文底下種の妙戒を受けたとしても、そこから退転し、また正法を誹謗(ひぼう)したならば、その大罪によって必ず地獄に堕ち、無量の時を苦しまなければなりません。しかし、それでも一度受けた下種本因妙の「金剛宝器戒」はダイヤモンドのように固く、失われないので、遠い未来、熟脱の化導によってその戒徳を顕し、必ず成仏を遂げることはできます。
 とはいえ、成仏の根幹は下種仏法にあるのですから、堕獄必定の創価学会員をはじめとする退転した方をも、今生において救済していくことが我々の尊い使命であることを再確認しましよう。
 「いくら行っても聞かない」とあきらめたり、放置してしまえば、我々が無慈悲のそしりを御本尊様から受けてしまいます。

 この信心は、有り難く、歓喜にあふれています。それを一人でも多くの方へ笑顔で伝えて参ろうではありませんか。

平成三十年九月度 御報恩御講拝読御書

異体同心事 弘安二年八月 五十八歳

 

異体同心なれば万事を成(じょう)じ、異体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候(中略)日本国の人々は多人なれども、異体異心なれば諸事叶う事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々少なく候へども大事成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。
               (御書一三八九㌻一二行目~一三九〇㌻二行目)

 

 

日寛上人御書文段

日寛上人御書文段

 
六巻抄

六巻抄

 
平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

平成新編 日蓮大聖人御書(大石寺)

 
一念三千法門

一念三千法門