日蓮正宗のススメ

広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし

祝!! 日蓮大聖人様御生誕の佳き日に、創価学会員さんが勧誡式(かんかいしき)を受けられました。

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日蓮大聖人様御誕生会御聖訓

予此の記の文を拝見して両眼滝の如く一身悦びを徧くす、「此の経典東北に縁有り」云云西天の月支国は未申の方・東方の日本国は丑寅の方なり、天竺に於て東北に縁有りとは豈日本国に非ずや、遵式の筆に云く「始め西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」云云、正像二千年には西より東に流る暮月の西空より始まるが如し末法五百年には東より西に入る朝日の東天より出ずるに似たり、根本大師の記に云く「代を語れば則ち像の終り末の初・地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり(曾谷入道殿許御書)

日蓮大聖人様御生誕798年の佳節、おめでとうございます。

本日は、日蓮大聖人様御生誕の日でございます。

この目出たき日に、創価学会員さんの勧誡が叶いました。

心からお慶び申し上げます。

御住職様も佳き日に信仰の寸心を改められたことを、寿いでおられました。

日蓮大聖人様の御誕生に際しましては、様々の謂れがございます。

御住職様は広範に渡り、そのありがたいお話を説いて聴かせて下さいました。

1 産湯相承事

我父母に後れ奉りて已後詮方なく遊女の如くなりし時御身の父に嫁げり、或夜の霊夢に曰く叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗うて富士の山より日輪の出でたもうを懐き奉ると思うて打ち驚いて後・月水留ると夢物語りを申し侍れば、父の太夫我も不思議なる御夢想を蒙むるなり、虚空蔵菩薩貌吉き児を御肩に立て給う、此の少人は我が為には上行菩提薩埵なり日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり、亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり、是を汝に与えんとのたもうと見て後御事懐妊の由を聞くと語り相いたりき、さてこそ御事は聖人なれ。(産湯相承事)

叡山の頂に腰をかけて・・・爾前迹門の破折の意

近江の湖水を以て手を洗うて・・・爾前迹門の謗法罪障消滅

富士の山より日輪の出でたもうを懐き奉る・・・末法の三大秘法・大百法が富士に建立される意

日蓮大聖人様の御両親が、大聖人様御懐妊に際して見られた不思議な霊夢は、仏法上重大な意義のあることを御教示くださいました。拝聴していた私も、ほほぉ~!と感動したものです。

配布された日蓮大聖人様御誕生会御聖訓の「両眼滝の如く」に目を奪われていましたので、目が覚めたような思いがしたものであります。

顕正会の歌の題名の由来って、もしかして「これ?」などと想像しておりました。

当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げ給えり、仍て竜神王・即時に青蓮華を一本荷い来れり、其の蓮より清水を出して御身を浴し進らせ侍りけり、其の余れる水をば四天下に灑ぐに其の潤いを受くる人畜・草木・国土世間・悉く金色の光明を放ち四方の草木花発らき菓成る。
 男女座を並べて有れども煩悩無く淤泥の中より出れども塵泥に染まず、譬えば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し、人天・竜畜・共に白き蓮を各手に捧げて日に向つて今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・唯我一人・能為救護と唱え奉ると見て驚けば則聖人出生し給えり、毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身と苦我渧き給う。(産湯相承事)

大聖人様の産声は「毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身」だったそうです。スゲ~!意味は。。。

『毎(つね)に自らこの念を作(な)さく 何を以(も)ってか衆生をして 無上道に入り 速(すみや)かに 仏身を成就することを得せしめんと

通解
私(釈尊)はつねにこのことを念じている。すなわち、どのようにすれば、衆生を、無上の道に入らせ、速かに仏身を成就させることができるだろうか、と。

産声が法華経如来寿量品第十六の最後の偈だったのです。 釈迦入滅(陰暦2月15日)の次の日にお生まれになり、釈迦仏法最肝要の最終偈を産声にお生まれになる。。。

御本仏様ですよね。すご過ぎます。

泣き声が「苦我渧き給う」ですよ。「く~が~」「く~が~」と泣かれたそうです。苦しみは自分に集まれとの思いで泣かれたのだそうです。

一般人の赤ん坊の泣き声は「おぎゃぁ」ですよね。これは、生苦の叫び声なのだそうです。生まれてくることの苦しみ。娑婆世界の苦悩に対する恐怖の声なんだそうです。

死ぬこととはベクトルが正反対ですが、生まれてくるというのも苦しみなんですね。

ふと思ったのですが、般若心経の最後に出てくる「羯諦羯諦(ぎゃあてい ぎゃあてい)」、わたしは言葉の意味はなく、音としての呪文であると思ったのです。そして、「ぎゃあてい ぎゃあてい」という古代インド語の響きは日本語の「おぎゃー おぎゃー」、すなわち赤ん坊の泣き声であるということに思い至りました。
 人は、母の胎内からこの世に出てくるとき、「おぎゃあ、おぎゃあ」と言いながら生まれてきます。「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」という呪文は「さとった人に幸いあれ」という大意だそうです。赤ちゃんの泣き声に喩えて、正法に出会うことを祈念していたのかもしれません。

ちなみに、大聖人様は厳寒の日にお生まれになったのかと思っておりましたが、陰暦では、今年だと3月22日になります。初春のよい季節にお生まれになっておられるのです。また、末法の始めを意味しておられるのかもしれません。

2 両眼滝の如く

顕正会では私が在籍していたころ「両眼滝のその日まで」という歌を歌っておりました。


両眼滝のその日まで

シングルCDで販売されていたのを購入したような。。。

さすが、浅井センセー。

御書から曲名を引用されていたのですね。

当時の顕正会では、広布達成後、天母山までの4Kmの道のりを行進する際、歓喜の涙がまさに両眼滝の如く流れるという、感動的妄想を想定して歌ったのですが。。。

御書の前文を確認してみると、大聖人様が何に対して「両眼滝の如く一身悦びを徧くす」となられたのかがわかります。

「予此の記の文を拝見して」とありますから、此の記の文とは何であるかと確認してみました。

大集経の五十一に大覚世尊・月蔵菩薩に語つて云く「我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固・次の五百年は禅定堅固已上一千年次の五百年は読誦多聞堅固・次の五百年は多造塔寺堅固已上二千年次の五百年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」等云云、今末法に入つて二百二十余年・我法中闘諍言訟・白法隠没の時に相当れり、法華経の第七薬王品に教主釈尊・多宝仏と共に宿王華菩薩に語つて云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶して悪魔・魔民・諸の天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむこと無けん」大集経の文を以て之を案ずるに前四箇度の五百年は仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ、第五の五百歳の一事豈唐捐ならん、随つて当世の為体大日本国と大蒙古国と闘諍合戦す第五の五百に相当れるか、彼の大集経の文を以て此の法華経の文を惟うに後五百歳中広宣流布・於閻浮提の鳳詔・豈扶桑国に非ずや、弥勒菩薩の瑜伽論に云く「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」云云、慈氏菩薩仏の滅後九百年に相当つて無著菩薩の請に赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す、是れ或は権機に随い或は付属に順い或は時に依つて権経を弘通す、然りと雖も法華経の涌出品の時・地涌の菩薩を見て近成を疑うの間仏・請に赴いて寿量品を演説し分別功徳品に至つて地涌の菩薩を勧奨して云く「悪世末法の時能く是の経を持たん者」と、弥勒菩薩自身の付属に非ざれば之を弘めずと雖も親り霊山会上に於て悪世末法時の金言を聴聞せし故に瑜伽論を説くの時末法に日本国に於て地涌の菩薩法華経の肝心を流布せしむ可きの由兼ねて之を示すなり、肇公の翻経の記に云く「大師須梨耶蘇摩左の手に法華経を持し右の手に鳩摩羅什の頂を摩で授与して云く仏日西に入つて遺耀将に東に及ばんとす此の経典東北に縁有り汝慎んで伝弘せよ」云云(曾谷入道殿許御書) 

どうも、浅井センセーの思いとは隔たりがあるような。

つまり、日本の国が「後五百歳中広宣流布・於閻浮提の鳳詔」の当事国であることを御確信され、その日本において法華経を流布されれているのが、御自身御一人であることを実感された感動の故であることが拝察されます。

御本尊七箇相承にも記されておりますが、

一、明星直見の本尊の事如何、師の曰はく末代の凡夫・幼稚の為めに何物を以つて本尊とす可きと・虚空蔵に御祈請ありし時・古僧示して言はく汝等が身を以つて本尊と為す可し・明星の池を見給へとの玉へば、即ち彼の池を見るに不思議なり日蓮が影・今の大曼荼羅なり云云、 此の事を横川の俊範法印に御物語りありしを法印讃歎して言く善哉々々・釈迦古僧に値ひ奉つて塔中に直授せるなり貴し貴しと讃め被れたり、日興は浪の上にゆられて見へ給ひつる処の本尊の御形なりしをば能く能く似せ奉るなり、仍つて本尊書写の事・一向日興之を書写し奉る可き事勿論なるのみ。 弘安五壬午十月十日 日蓮在御判 右此の七箇の大事・唯授一人の秘伝なり聊爾に口外す可からず云云、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無日蓮大聖人。 御判形の貌・一閻浮提のなりにて御座すなり、梵字は天竺・真は漢土・艸は日本・三国相応の表事なり。 

大聖人様御自身が三大秘法の当体であられることの、御確信を再確認されながら、御身で法華経を読まれたことが、「南無妙法蓮華経」 の真の意味であるとの感動。頭で法華経に帰命することが「南無妙法蓮華経」と分かることとは次元の違うことであります。

「南無妙法蓮華経」の直下に「日蓮」とお認めの意味は、「南無妙法蓮華経」=「日蓮」ということですから、法華経に命を捨てたという意味になるのです。法華経に命を捨てることができたのは、古今東西大聖人様唯一人であります。

顕正会は今日の日をどのように受け留めているでしょうか?

冨士大石寺という俗事を当て字にして、世間を惑わし日蓮正宗富士大石寺を詐称しております。

その重罪幾何なりや。

私は、幸いにも日蓮正宗に戻ることが叶いましたが、未だ現役・非活・無信仰に堕したままの顕正会・元顕正会諸君!一日も早く戒壇の大御本尊様のもとへ帰依したまえと、訴えたい。

必ず現世において道は開けるから。

自分の間違いに気づいた時、凡夫の両眼も滝の如く涙溢れ、その涙を通して御戒壇様を拝したとき、真の血脈が流れ通ってくるでありましょう。

 

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