日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

創価学会員に本門戒壇の大御本尊様の大事を説いていも、ピン!とこない理由とは?

それは、

f:id:ekikyorongo:20181017103856j:plain

むちもうまい

の一言に尽きるからであります。

大半の創価学会員は、日蓮正宗の教義を知らず、知ろうとせず、目を閉じて耳を塞いでいるのです。

バリ活と呼ばれる人々も、聖教新聞には目を通しても、大聖人様の御書には見向きもしてないのです。

いわんや、それ以下の信仰姿勢の人においては、全く関心がないのです。非活に至っては、創価の批判をするとカッとなって怒るけど、普段はただの一般人となんら変わりありません。謗法の害毒で言動がおかしい人が多いですが。

なぜ、そんなことを断言できるのかと言いますと、私は創価学会員の2世として生まれ、19歳までは創価学会員として組織の人々を見ておりました。中学生頃からは「御書全集」を父に買い与えてもらい、高校生では教学試験3級に合格しておりました。

教学の手ほどきをしてくれたのは、創価学会の青年部・男子部の方でした。

教学試験を教えに来てくれるような男子部の人は、かなり教学の勉強が進んでおられました。しかし、地域のオバチャン・オジチャンたちと言えば、教学とは無縁の組織盲信・功徳乞食な感じの人ばかりだったと記憶しています。

自分の同級生にしても、組織内格差が反映されてか、幹部の子供で勤行・唱題を実行し、創価大学に進学したような人は、そこそこ信心もあるようでしたが、そうでない親の子は「勤行って何?」な感じの、とても創価の2世・3世とは思えないような信仰姿勢でしたね。

自分の創価人生19年を振り返ってみても、大石寺へ参詣したのは中2の時の1回だけ。寺院へは境内の墓参のついでにとか、元旦勤行の時くらいしか通ってませんでした。それが祟って1991年の創価破門の時に、顕正会へと誑かされていく遠因になってしまったのでしょう。

創価学会員で大石寺への参詣や、御開扉を懐かしく思う人は、どれくらいいるでしょうか?平成生まれの会員は参詣すらしてないでしょうし、40歳以下の人々にしても、幼少期の思い出くらいのものでしょうか?

また、年配の方でも数十年も参詣が途絶えれば、大御本尊様の相貌すら思い出せない状態になっているかもしれません。

これは創価学会員だけにとどまらず、顕正会の浅井会長も同じではないでしょうか。あの人は、昭和40年代から御開扉を受けていないはずです。40年以上も御開扉を受けず、何が戒壇の大御本尊様を「恋慕渇仰」でしょうか?

御使の申し候を承り候、是の所労難儀のよし聞え候、いそぎ療治をいたされ候いて御参詣有るべく候。

(中略)其の上此の処は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり、神力品に云く「若しは林の中に於ても若しは樹の下に於ても若しは僧坊に於ても乃至而般涅槃したもう」と云云、此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん、彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が心中の熱気を除愈して其の願を充満する事清涼池の如しとうそぶきしも・彼れ此れ異なりといへども、其の意は争でか替るべき。
 彼の月氏霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、参詣遙かに中絶せり急急に来臨を企つべし、是にて待ち入つて候べし、哀哀申しつくしがたき御志かな・御志かな。

 弘安四年九月十一日 日 蓮 花押
 南条殿御返事

大聖人様の御元へ参ることの大事が記されております。

お亡くなりになる前年の、大聖人様からの南条殿へのお手紙です。

「教主釈尊の一大事の秘法」というお言葉がありますね。

これは、御存命の時は大聖人様の御身体と拝すべきですが、御入滅の後は人法一箇の大御本尊のことと拝すべきなのは、日蓮正宗信徒の基礎ですよね。

f:id:ekikyorongo:20181001124857j:plain

本門の本尊とは

本尊には根本尊崇(こんぽんそんすう)・本有尊形(ほんぬそんぎょう)・本来尊重(ほんらいそんじゅう)という意義があり、この三義がそなわってこそ、万人が信ずるに値する正しい本尊ということができます。大聖人は、 

「本尊とは勝(すぐ)れたるを用ふべし」(『本尊問答抄』御書1275)

と仰せられ、一切に勝れた本尊を選別することの重要性を説かれています。

末法に出現された日蓮大聖人は、久遠本仏(くおんほんぶつ)としての御内証(ごないしょう)を一幅(いっぷく)の大曼荼羅(だいまんだら)本尊として顕されました。この大曼荼羅こそ、あらゆる人々を根本的に救う力用(りきゆう)をそなえる最勝最尊(さいしょうさいそん)の本尊であり、これを「本門の本尊」と称します。

 この本門の本尊には「人」と「法」の義がそなわっています。
 大聖人は、 

「一念三千(いちねんさんぜん)の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり」(『草木成仏口決』御書523)

と示されているように、御自身の御内証の事の一念三千の法を顕されたのが、大曼荼羅本尊(人即法)なのです。また、 

「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(『御義口伝』御書1773)

とも仰せられるように、久遠の法体(ほったい)を所持される日蓮大聖人の当体こそ本尊(法即人)なのです。

これを「人法一箇(にんぽういっか)」とも「人法体一(たいいつ)」ともいいます。

大聖人は多くの曼荼羅本尊を顕されていますが、なかでも弘安(こうあん)二年十月十二日御図顕(ごずけん)の大曼荼羅こそ、まさしく究竟中(くきょうちゅう)の究竟であり、大聖人出世の本懐なのです。この本尊を「本門戒壇(かいだん)の大御本尊」と尊称(そんしょう)し、総本山大石寺に七百年の間、厳護(げんご)されています。

この大御本尊には、三大秘法の意義がそなわっており、全世界の民衆はこの御本尊によってのみ、真の即身成仏の大利益を享受(きょうじゅ)していくことができるのです。

どうか、日蓮正宗に帰依なさってください。

日蓮正宗 寺院紹介 全国

日蓮正宗では、創価学会員さんのご相談をお待ち申し上げてくださってます。