日蓮正宗のススメ

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戒壇の大御本尊様が本物であることの演繹法的(教学的)論証

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日本の至宝「富士」は、日蓮大聖人御生誕に大地感応して隆起した

戒壇の大御本尊様を「法体」と信じ奉ることが、日蓮正宗僧俗の「信」である。

このようなことは日蓮正宗創価学会時代の創価学会員、そして遥拝勤行に徹している顕正会員にとっては当然のことである。かつての正信会僧俗も。

しかし、「法体」から足が遠のいてしまうと自然に「信」は崩れてしまう。

創価は「法体」たる戒壇の大御本尊様を「受持しない」と公言してしまった。

顕正会は「法体」たる戒壇の大御本尊様を拝したこともなく、「受持」したこともない。いわば観念論的な信仰だ。

正信会も「受持しない」ことを公言し始めている。

そして、五老僧の流れをくむ他門流日蓮宗や、富士派であっても先師に違背した輩の末裔達も受持の対象としていない。

「是好良薬(ぜこうろうやく)。今留在此(こんるざいし)。汝可取服(にょかしゅぶく)」(法華経437)

法華経に説かれ 

第五に寿量品の是好良薬等の文

 

寿量品に云わく「是の良薬を今留めてここ、汝取りて服す可し、いえじと憂うることなか」等云云。
 応に知るべし、此の文
まさしく三大秘法を明かすなり、所謂「こう良薬ろうやくは即ち是れ本門の本尊なり「今留こんる在此」は即ち是れ本門の戒壇なり「にょ取服しゅぶくは即ち是れ本門の題目なり。

日寛上人様は六巻抄に会通されておられます。

しかし、古来より戒壇の大御本尊様への怨嫉誹謗を後を絶ちません。

訳知り顔の仏教学者風人士や、法門知り足りげの創価亜流僧俗は、執拗に手を変え品を変え戒壇の大御本尊様の真贋論を吹っかけてまいります。

私に言わせれば、大聖人様を末法の御本仏と拝するならば、寿量品の「是の好よき良薬を今留めて此ここに在おく、汝取りて服す可し、差いえじと憂うること勿なかれ」を、身で読まれず「法体」を未究竟のまま入滅なさるはずがないと、「信」を取ることが当然であると思うのです。

しかし、考証学ないしは文献学的な「証拠」なるものを、執拗に開示せよと迫ってくる不信心の者に、逆に取り落とされてしまう人が出ないよう、教学的な演繹法による証明をご紹介いたします。

これは「(旧)創価学会員による創価ダメ出しブログ」管理人様が、ブログの中で書いておられたものですが、秀逸な論証だと感銘を受けましたので、転載させていただきます。

ぜひ、日蓮正宗僧俗の諸氏は熟読し、折伏の糧としていただきたいと思います。拡散させて情報共有すべき価値ある論だと思います。

創価教学じゃない御書講義(30年6月座談会御書・単衣抄)

日蓮日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり多宝の証明もなにか せん
十方の諸仏の御語も妄語となりなん、仏滅後二千二百二十余年月氏漢土日本に
一切世間多怨難信の人なし、 日蓮なくば仏語既に絶えなん 
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

今月の座談会御書は「単衣抄」
その昔、大作センセが「永遠の経典御書に学ぶ」
とかなんとかいって講義した御書だったと思う。
男子部時代に何度か講義したから覚えている。

さて、創価座談会風講義をしてみると、大難を受けながら仏法を広めた大聖人と
大作センセや創価をダブらせて、
池田先生がいなければ、創価学会がなければ大聖人仏法の正義を証明できなかった。
大聖人仏法の正義を証明した大作センセ、創価学会こそ仏意仏勅の団体である。
みたいな論調を基本線にして、釈尊の仏法を証明した大聖人は末法のご本仏であるから
大聖人の仏法を証明した創価もまた仏である。それが創価学会仏である。と締めるか、
池田先生が、大聖人の正義・戸田先生の正義を証明したように
今度は我々が池田先生の正義・創価学会の正義を証明していくのだ。
それが創価の師弟である。と締めるか。
壮年部なら前者。男子部なら後者で締めるといい感じじゃね。
まぁ~どっちにしても、御書講義としては間違っているかけどね。

そもそも、大作センセが「大聖人仏法」故に難にあったことなんて一度もないじゃん。
まぁ、確かに世間にバッシングされているのは事実だけど
それは「大聖人仏法」が原因なんかじゃないでしょ。
金絡み、政治がらみ、女絡み、犯罪絡み・・・
全部世法の話であり、自業自得でバッシングされているんでしょ。
いわゆる大阪事件だって、ただの選挙違反の容疑であって大聖人とは無関係。
大作センセが何か起こすたびに迷惑を被ったのは大聖人の方ですよ。
そんな人が大聖人と同じなわけないでしょ。
どこまでご本仏をバカにする気なんだろうね。創価ってヤツは。
もし、創価で難を受けて大聖人仏法を証明した人がいるとしたなら
それは、戒壇大御本尊を信じ悪口罵詈されながら折伏してきた草創の会員さん達だけですね。
大作センセの受けた悪口罵詈なんか足元に及ばないほどの難を受けてきた会員さん達ですよ。
そうした草創の会員さんが守ってきた大御本尊を捨てたのが、大作センセと創価学会なのです。
そしてそれを「当然」としている幹部・活動家。

ご本尊は全て同じ?どこまで馬鹿なんだろうね。
今月の拝読箇所をよく読みなさい。
大聖人様はご本仏です。故に永遠の存在なのです。
鎌倉時代に涅槃された日蓮大聖人は不滅の滅を現されたであり、
滅の不滅を顕さされたのがご本尊なんだよ。
では、数多ある大聖人ご真筆のご本尊の中で、
生身の大聖人と呼べる御本尊はどれか?
それは今回拝読の御文に明確に示されいるだろう。
大聖人滅後に、「一切世間怨多くして信じ難し」の経文に符合するのは
弘安二年の本門戒壇の大御本尊以外にはないのだよ。

この大御本尊は昔から常に、多くの人々から誹謗中傷をされてきた。
いまもなお身延の連中や学者や研究者や
それらを信じる無信心の人々から「後世のニセモノ」と言われ
創価を辞めた人々からは「タダの板曼荼羅」と蔑まされ
現役の創価活動家のなかにも大御本尊を否定する連中もいる。
そして、創価自体も「受持の対象としない」と大御本尊を裏切った。
大作センセみずから「タダの物体」と呼び捨てている。
これだけ、長い期間に多くの人から「悪口罵詈」され続けている大聖人のご本尊は他にあるか?
身延にある真筆本尊が、こんなふうに「悪口罵詈」されいるか?
いや身延の真筆本尊も、他宗の本尊も誰からも何もいわていない。
大御本尊だけが、いつの時代にも人々から「悪口罵詈」されているのである。

その事実をもって知るべきである。
弘安二年の戒壇大御本尊こそが、日蓮大聖人の色心二法の法体であることを。
ご本仏大聖人(大御本尊)は、今もなお「一切世間多怨難信の人」として存在しているということを。
もしも、戒壇大御本尊がなければ、「一切世間多怨難信」のご本尊はひとつもなく
そうなれば仏法はついぞ途絶えてしまうのである。
大御本尊が厳然と存在しているからこそ仏法の正義が証明されるのである。
しかるに創価は、この大御本尊を見捨て
大御本尊への供養を止めて
大御本尊への信を会員から奪っているのである。
そして何よりも大御本尊を捨て去りながら、
大御本尊とそっくりなコピー掛け軸を「本尊」などと言ってる。
このことがどれだけ謗法であるか、
心ある学会員の皆さんはよく思索するべきだ。
いま貴方たちがやっている学会活動なるものは
大聖人仏法を亡きものにしようとする天魔の所為なのである。
全ての学会員が一刻も早く大御本尊への信を取り戻し
正しい信仰に戻ることを祈ってやまない。


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