1212夜:竜の口法難の際の「光り物」は何だったのか?
竜の口法難の際の「光り物」は何だったのか?
【質問】
竜の口法難の際、江ノ島の方角から飛来して大聖人の御命を救った「光り物」とは、いったい何だったのでしょうか。これが、あまりに常識を超えた出来事であるため、学者の中には、“竜の口法難それ自体が後世の作り話で、捕えられた日蓮はそのまま佐渡へ流されたのだ”等と言う人までいますが…。
【回答】
自分の頭で理解できないからといって、それを「作り話だ」と決めつけてしまうとは、学者とも思えない、あまりに乱暴な話ですね(笑い)。
そもそも、日蓮大聖人が竜の口の法難に遭われ、首を刎ねられるという危機を辛くも免れられたことは、大聖人御自身が御書の随所に御示しですし、その法難の場には、急を聞いて駆け付けた四条金吾等も御供をしていました。これを根拠もなく、「自分には信じることができない内容だから作り話だ」としてしまうことは、あまりに無理が過ぎるといえましょう。
では、竜の口法難において飛来してきた「光り物」とは、本当に現代の科学にも反する、ありえないものなのでしょうか。
今日の科学的知識において言えば、稀に「球電」という現象が観測されることがあります。「球電」とは、数十キロ以内の所で落雷が起きている時などに、空中に球状の発光体(大きさは長さ1センチから1メートルくらいまで)が発生し、飛び跳ねるように浮遊する現象で、その正体は雷の電流が作り出したプラズマの固まりである、といわれています。
文永八年九月十二日の深夜、竜の口に現われた「光り物」、そして翌・九月十三日の夜、依智の本間邸の庭先に降りた「星下り」の現象は、その状況(『種々御振舞御書』御書一〇六〇頁から一〇六二頁参照)から見て、いずれも、この「球電」であったであろう、と考えられます。
ですから、けっして、非科学的なありえない現象などではなく、十分、科学的に説明できることなのです。
ただし、このような科学的な説明だけで、全てが解明しきれたことにはなりません。
すなわち、竜の口の刑場に向かわれる途中、大聖人が諸天善神の八幡大菩薩に対し、大音声をもって
「いそぎいそぎ御計らひあるべし」(御書一〇五九頁)
と叱咤し、その後、いよいよ竜の口において太刀取りの役人が刀を振り上げた、まさにその瞬間に、どうしてジヤスト・タイミングで、この場所に光り物が現われたのか。
また、翌日の夜、本間邸の庭で、大聖人が空に光る月に向かって法を説き、
「誓願のしるしをばとげさせ給ふべし。(中略)いかに月天いかに月天」(御書一〇六一頁)
と責められたところ、たちどころに一天かき曇り、天より明星のような星が庭先に下ったのは、どうしてなのか。
この「どうして」ということについては、科学的な側面からでは説明ができません。これを仏法上から申し上げるならば、これらは、日蓮大聖人が宇宙法界を一念の中に収められた久遠元初の自受用身であられるが故に、太聖人の御一念に呼応して現われた大現証である、と拝するのであります。また、それ以外に、この大現証が何故起こったかを説明することはできません。
竜の口の大現証を「信じられない」という人達には、以上のような、科学的側面からの説明、そして、仏法上からの根本的な説明を、きちんと教えてあげてください。
竜の口法難の際、江ノ島の方角から飛来して大聖人の御命を救った「光り物」とは、いったい何だったのでしょうか。これが、あまりに常識を超えた出来事であるため、学者の中には、“竜の口法難それ自体が後世の作り話で、捕えられた日蓮はそのまま佐渡へ流されたのだ”等と言う人までいますが…。
【回答】
自分の頭で理解できないからといって、それを「作り話だ」と決めつけてしまうとは、学者とも思えない、あまりに乱暴な話ですね(笑い)。
そもそも、日蓮大聖人が竜の口の法難に遭われ、首を刎ねられるという危機を辛くも免れられたことは、大聖人御自身が御書の随所に御示しですし、その法難の場には、急を聞いて駆け付けた四条金吾等も御供をしていました。これを根拠もなく、「自分には信じることができない内容だから作り話だ」としてしまうことは、あまりに無理が過ぎるといえましょう。
では、竜の口法難において飛来してきた「光り物」とは、本当に現代の科学にも反する、ありえないものなのでしょうか。
今日の科学的知識において言えば、稀に「球電」という現象が観測されることがあります。「球電」とは、数十キロ以内の所で落雷が起きている時などに、空中に球状の発光体(大きさは長さ1センチから1メートルくらいまで)が発生し、飛び跳ねるように浮遊する現象で、その正体は雷の電流が作り出したプラズマの固まりである、といわれています。
文永八年九月十二日の深夜、竜の口に現われた「光り物」、そして翌・九月十三日の夜、依智の本間邸の庭先に降りた「星下り」の現象は、その状況(『種々御振舞御書』御書一〇六〇頁から一〇六二頁参照)から見て、いずれも、この「球電」であったであろう、と考えられます。
ですから、けっして、非科学的なありえない現象などではなく、十分、科学的に説明できることなのです。
ただし、このような科学的な説明だけで、全てが解明しきれたことにはなりません。
すなわち、竜の口の刑場に向かわれる途中、大聖人が諸天善神の八幡大菩薩に対し、大音声をもって
「いそぎいそぎ御計らひあるべし」(御書一〇五九頁)
と叱咤し、その後、いよいよ竜の口において太刀取りの役人が刀を振り上げた、まさにその瞬間に、どうしてジヤスト・タイミングで、この場所に光り物が現われたのか。
また、翌日の夜、本間邸の庭で、大聖人が空に光る月に向かって法を説き、
「誓願のしるしをばとげさせ給ふべし。(中略)いかに月天いかに月天」(御書一〇六一頁)
と責められたところ、たちどころに一天かき曇り、天より明星のような星が庭先に下ったのは、どうしてなのか。
この「どうして」ということについては、科学的な側面からでは説明ができません。これを仏法上から申し上げるならば、これらは、日蓮大聖人が宇宙法界を一念の中に収められた久遠元初の自受用身であられるが故に、太聖人の御一念に呼応して現われた大現証である、と拝するのであります。また、それ以外に、この大現証が何故起こったかを説明することはできません。
竜の口の大現証を「信じられない」という人達には、以上のような、科学的側面からの説明、そして、仏法上からの根本的な説明を、きちんと教えてあげてください。
ロシアに隕石が落ちた時、衝撃波が起こりました。
アレだと思うのです。
みなさんはどう思われますか?