広宣流布の暁の自然界の妙相が信じられない…
【質問】
広宣流布が達成され、立正安国が実現した暁には
「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」(御書六七一頁)
という、天変地異によって人畜が被害を受けることのない理想的な自然環境になる、といわれます。しかし、いかに時代が変わっても、秋になれば台風も来るでしょうし、日本海プレートの沈み込み帯に位置する日本で地震がなくなることはありえません。
そう考えると、この教えをそのとおりに信じることができないのですが。
【回答】
このことは、法華経の極理に基づく「依正不二の理」がわからないと、なかなか領解できないと思います。
依正不二とは、意識をもって主体的行動をする私たち衆生(これを正報といいます)と私たちが身を置く依り処である環境・国土(これを依報といいます)とが、分離することのできない、一体不可分の関係になっていることをいいます。
この依正不二(依報と正報とが不可分であること)について、日蓮大聖人は
「夫十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし」(御書九一八頁)
と仰せられています。
つまり、私たち衆生と、私たちを取り巻く自然環境とは、あたかも体と影のように不可分の関係となっていて、体の形や動きが影となって映し出されるように、そこに住む私たち衆生の生命の状態が国土・環境にそのまま反映されていく、というのです。
そのようなことが本当にあるのか、と思うかもしれませんが、このことは近年のさまざまな研究や実験により、その正しさが裏付けられつつある、といえます。
一九六四年、アメリカの元CIA尋問官で、ウソ発見器(ポリグラフ)の第一人者であるクリーブ・バクスターという人が、“植物は、人間の愛憎等の心に反応を示す”という事実を発見しました。
それは、鉢植えのドラセナの葉にポリグラフを取り付けて行なった実験で、ドラセナに対し危害を加えるイメージを心に懐いたところ、いきなりポリグラフの針が激しく反応したことから発見されたもので、この実験結果をみた細胞学者は、「全ての生物は細胞レベルで意識がつながっているのではないか」との意見を述べています。
さらに、これは別な実験ですが、同じ植物の種を二つ同時に植え、毎朝、水をやる時に、片方には心から愛でる言葉をかけ続け、もう片方には心から憎悪を込めた罵り言葉を投げかけた、というのです。
すると、愛でる言葉をかけ続けた方は、発芽した後、茎がスクスクと上へ伸びて育ったのですが、憎悪の言葉をかけ続けた方は、茎がすっかりイジケてしまったかのように、か細く、土の上を這うようにしか育たなかった、ということで、両者の生育に大きな違いが生じたそうです。
このように、私たち衆生の生命の状態は、私たちを取り巻く自然環境に反映していく、ということの一端が、これらの実験によって裏付けられつつある、といえましょう。
以上は、植物についての実験でしたが、近年では、無生物である“水”についても、人間の生命の状態が反映するという実験結果が報告されています。
これは、日本のある研究所で行なわれたもので、水を凍らせて結晶を作ると、その結晶の形が、接する人間の心や言葉によって全く違うものになる、というのです。
概ねは、前の植物の場合と同様なのですが、特に注目されるのは――マグニチュード七・三の大地震(二〇〇〇年十月六日の島根東部地震)があった場所において、たまたま地震の七時間前に井戸水を採取して実験したところ、まったく結晶の態をなさない不気味な形となってしまい、その後、予期せぬ大地震が起こった。そして、地震の一時間後に同じ井戸水を採取したところ、七割がた結晶の形を復活しており、翌朝に採取した水では、通常どおりの美しい結晶を形成した――との実験結果です。
このことは、そこに住む私たち衆生の生命が謗法によって地獄・餓鬼・畜生の境界に堕すると、それが国土・環境に反映して、大地震や大暴風雨などの天変地異をもたらす(その天変地異が起こった後は、謗法の業因が果報となって現われ終わったので、いったん謗法の業因は薄くなる)、という理をそのまま表わしているかのようです。
以上は、近年のさまざまな研究と実験の一端ですが、これらの実験結果は、遠い昔に仏が説かれた「依正不二の理」の正しさを分々に証明するものである、と確信する次第であります。
さて、この「依正不二の理」からいうならば、将来、正しい仏法を信仰して自らの胸中に仏界を開きつつある人達が、国の大多数を占める状態(すなわち広宣流布)となれば、その衆生の生命状態が国土・環境にも反映し、必ず平穏にして安泰な国土が現出し、立正安国が実現します。
その時の相を大聖人は「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」と説かれているわけで、この状態は、吹く風も順風で、雨も適度な水分をもたらす程度であって、まさに人畜に大被害をもたらすような天変地異は収束する、ということです。
では、御質問のように、台風が来なくなるのか、地震がなくなるのか、といえば、それは道理として、季節の変わり目には台風も発生するでしょうし、海洋プレートが移動するのにつれて地震も起こるでしょう。
しかし、国土に重大被害をもたらすような大型台風が幾度も上陸して猛威を振るったり、何十年も溜まりに溜まった地震エネルギーが巨大地震を引き起こすようなことはなくなる。
そして秋には通常の台風が訪れ、また、エネルギーを溜め込まない程度に時々地震も起こる――という様相こそが、道理に適った、「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」の相であると拝するものであります。
おわかりになりましたか。
そもそも広宣流布が信じられない?
広宣流布が達成され、立正安国が実現した暁には
「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」(御書六七一頁)
という、天変地異によって人畜が被害を受けることのない理想的な自然環境になる、といわれます。しかし、いかに時代が変わっても、秋になれば台風も来るでしょうし、日本海プレートの沈み込み帯に位置する日本で地震がなくなることはありえません。
そう考えると、この教えをそのとおりに信じることができないのですが。
【回答】
このことは、法華経の極理に基づく「依正不二の理」がわからないと、なかなか領解できないと思います。
依正不二とは、意識をもって主体的行動をする私たち衆生(これを正報といいます)と私たちが身を置く依り処である環境・国土(これを依報といいます)とが、分離することのできない、一体不可分の関係になっていることをいいます。
この依正不二(依報と正報とが不可分であること)について、日蓮大聖人は
「夫十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし」(御書九一八頁)
と仰せられています。
つまり、私たち衆生と、私たちを取り巻く自然環境とは、あたかも体と影のように不可分の関係となっていて、体の形や動きが影となって映し出されるように、そこに住む私たち衆生の生命の状態が国土・環境にそのまま反映されていく、というのです。
そのようなことが本当にあるのか、と思うかもしれませんが、このことは近年のさまざまな研究や実験により、その正しさが裏付けられつつある、といえます。
一九六四年、アメリカの元CIA尋問官で、ウソ発見器(ポリグラフ)の第一人者であるクリーブ・バクスターという人が、“植物は、人間の愛憎等の心に反応を示す”という事実を発見しました。
それは、鉢植えのドラセナの葉にポリグラフを取り付けて行なった実験で、ドラセナに対し危害を加えるイメージを心に懐いたところ、いきなりポリグラフの針が激しく反応したことから発見されたもので、この実験結果をみた細胞学者は、「全ての生物は細胞レベルで意識がつながっているのではないか」との意見を述べています。
さらに、これは別な実験ですが、同じ植物の種を二つ同時に植え、毎朝、水をやる時に、片方には心から愛でる言葉をかけ続け、もう片方には心から憎悪を込めた罵り言葉を投げかけた、というのです。
すると、愛でる言葉をかけ続けた方は、発芽した後、茎がスクスクと上へ伸びて育ったのですが、憎悪の言葉をかけ続けた方は、茎がすっかりイジケてしまったかのように、か細く、土の上を這うようにしか育たなかった、ということで、両者の生育に大きな違いが生じたそうです。
このように、私たち衆生の生命の状態は、私たちを取り巻く自然環境に反映していく、ということの一端が、これらの実験によって裏付けられつつある、といえましょう。
以上は、植物についての実験でしたが、近年では、無生物である“水”についても、人間の生命の状態が反映するという実験結果が報告されています。
これは、日本のある研究所で行なわれたもので、水を凍らせて結晶を作ると、その結晶の形が、接する人間の心や言葉によって全く違うものになる、というのです。
概ねは、前の植物の場合と同様なのですが、特に注目されるのは――マグニチュード七・三の大地震(二〇〇〇年十月六日の島根東部地震)があった場所において、たまたま地震の七時間前に井戸水を採取して実験したところ、まったく結晶の態をなさない不気味な形となってしまい、その後、予期せぬ大地震が起こった。そして、地震の一時間後に同じ井戸水を採取したところ、七割がた結晶の形を復活しており、翌朝に採取した水では、通常どおりの美しい結晶を形成した――との実験結果です。
このことは、そこに住む私たち衆生の生命が謗法によって地獄・餓鬼・畜生の境界に堕すると、それが国土・環境に反映して、大地震や大暴風雨などの天変地異をもたらす(その天変地異が起こった後は、謗法の業因が果報となって現われ終わったので、いったん謗法の業因は薄くなる)、という理をそのまま表わしているかのようです。
以上は、近年のさまざまな研究と実験の一端ですが、これらの実験結果は、遠い昔に仏が説かれた「依正不二の理」の正しさを分々に証明するものである、と確信する次第であります。
さて、この「依正不二の理」からいうならば、将来、正しい仏法を信仰して自らの胸中に仏界を開きつつある人達が、国の大多数を占める状態(すなわち広宣流布)となれば、その衆生の生命状態が国土・環境にも反映し、必ず平穏にして安泰な国土が現出し、立正安国が実現します。
その時の相を大聖人は「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」と説かれているわけで、この状態は、吹く風も順風で、雨も適度な水分をもたらす程度であって、まさに人畜に大被害をもたらすような天変地異は収束する、ということです。
では、御質問のように、台風が来なくなるのか、地震がなくなるのか、といえば、それは道理として、季節の変わり目には台風も発生するでしょうし、海洋プレートが移動するのにつれて地震も起こるでしょう。
しかし、国土に重大被害をもたらすような大型台風が幾度も上陸して猛威を振るったり、何十年も溜まりに溜まった地震エネルギーが巨大地震を引き起こすようなことはなくなる。
そして秋には通常の台風が訪れ、また、エネルギーを溜め込まない程度に時々地震も起こる――という様相こそが、道理に適った、「吹く風枝をならさず、雨土くれをくだかず」の相であると拝するものであります。
おわかりになりましたか。
広宣流布成就のプロセスが知りたいです。
事相については語ってはならないことになっちゃいましたから。
私が子供の頃は、まずは日本の広宣流布が達成されて、外交ルートを通じて世界の賢人に伝わっていく。。。そんな話が流布してました。
知ってる方がいましたら、コメントください。