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1022夜:キングダムの本当のすごさを教えよう

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主人公は嬴政(えいせい)だぜ

始皇帝って日本じゃ評価低いよな。

でも、始皇帝から歴史は始まるんだ。

度量衡の統一って聞いたことがあるかい?

始皇帝の統一政策

 初めて広大な中国の国土を統一的に支配した秦の成立は、新たに創り出されたものであり、後の中国の各王朝に継承されて皇帝政治の基礎となる、画期的なものであった。その政策はの多くはブレーンであった李斯によって考案された。1911年の辛亥革命で清が終わるまで、実に、2000年以上存続することになる皇帝政治の始まりとなった。
皇帝の称号 秦王政は、秦帝国の建設することをめざし、あらたに世襲の帝位である「皇帝」の称号をみずから考案した。同時に、従来の諡(おくりな、死後に称号を贈ること)の制度を止め、みずからは始皇帝と称し、後継者は二世皇帝、三世皇帝と称することをあらかじめ定めた。ただし、彼が存命中は皇帝とだけ呼ばれ、死後に始皇帝と言われた。また、李斯ら学者の進言により、皇帝の命令を「制」、布告を「詔」、皇帝の自称を「朕」などの皇帝専用語を用いることとした。
郡県制の採用 まず周以来の封建制を廃止し、郡県制を採用し、中央集権体制の確立を図った。全国を36の郡にわけ、その中をそれぞれ県を置いた。現在の日本は県の中に郡が含まれるが、郡県制では郡が上位の単位であった。また、封建制では地方の国に王が置かれたが、秦では国号と王号は廃止された。
さまざまな統一事業 全土を統一的に支配するのに必要であったのが、貨幣・度量衡・文字の統一であった。貨幣は、戦国の各国が発行した青銅貨幣は布貨、刀貨、円貨など流通するものが違っていたので半両銭という統一通貨を発行した。また度量衡ではまず長さ(度)の単位の一歩を6尺と定め、量をはかる「ます」(秦量)と重さ(衡)をはかる「はかり」(秦権)の標準器を製造して全国に分配した。文字では秦で使われていた大篆をもとに簡略体を作り、それを小篆として、全国共通の統一字体と定めた。また、「車軌」を統一して、馬車が同じ轍で走れるようにした(具体的な車幅などは判っていないが、現代でいえば鉄道車両のゲージを統一してJRも私鉄も同じ電車が走れるようにすること)。
全国巡幸 秦は他の六国を滅ぼし、中国を統一したが、その統一戦争が一段落してからは、始皇帝は盛んに地方巡行を行った。三皇五帝などにかかわる各地の著名な遺跡を訪ねて顕彰し、神々に祈った。前219年には皇帝となったしるしとして、泰山で天地を祀る封禅の儀式を行っている。始皇帝の全国巡幸は、前210年に死去するまでに、前後5回にわたって行われた。
対外戦争と土木事業 中華帝国を統一支配する国家としての、引き締め策として、新たな外敵が想定された。それは北方の匈奴と南方の南越だった。前215年には動きが活発になった匈奴を討つために、将軍蒙恬に50万の軍を指揮させて派遣した。匈奴を後退させた蒙恬は、その南下に備えて万里の長城を建設した(戦国時代の各国が築いたのをつなげるとともに、新たな長城も建設した)。また翌前214年には軍隊30万を南越に派遣して、中国南部に南海郡(現在の広東)、桂林郡(広西地方)と象郡(ベトナム北部)の3郡を置き、領土を拡大した。北方の匈奴に備えて、オルドス地方を南北に縦断する直道や、南越出兵のために運河を建設している。
焚書・坑儒 前213年、法家思想を標榜する李斯の建言により、実用書を除く儒家などの書物を禁書として廃棄する焚書を行い、さらに翌年は始皇帝の政治に批判的な学者を生き埋めにするという焚書・坑儒を行った。これは匈奴・南越との戦争を遂行する上での戦時思想統制という意味合いが強かった。
首都・宮殿・陵墓の造営 前221年、皇帝政治を開始した始皇帝は、首都咸陽に全国の富豪12万戸を移住させ、咸陽を中心に全国に通じる道路を建設した。さらに渭水の南岸に咸陽城を拡張し、宮殿や霊廟を建造した。また、すでに秦王として即位した前247年に、自分の墳墓である驪山陵の建造を開始していた。前212年には新たな宮殿として阿房宮を造営した。

ヨーロッパって今でもバラバラじゃん?

EUも崩壊寸前だしな。

じゃ、なんで、同じくらいの広さと民族的多様性が存在する、東アジアは中国に統一されてんのか?って考えたことあるかい?

始皇帝のお陰様なんだよ。

もっと言うと李斯のお陰様。

李斯は荀子の弟子。

韓非子の兄弟分。

つまり、荀子韓非子を勉強すれば、今の中国が分かるってこと。

李斯は師匠と兄弟弟子の思想を活用して、立身出世しただけのことなのよ。

最期は趙高の権謀術数にハマって誅殺されたけどね。

キングダム的に中国史を概説すれば、嬴政が秦による中華統一を実現し、李信の子孫である太宗皇帝が模範的善政の見本を残したってこと。

おもしろいよね。

で、始皇帝だけど、不老不死の追窮が有名だよね。

これも真相は、仏法を求めていたって話なのさ。

法華取要抄文段 三六  本門の戒壇の本尊、即ち是れ不死の薬なり

 


 三には正しく王城の鬼門に当る故に。義楚ぎそ六帖ろくじょう二十一・五 に云く「日本国またこくと名づく。東海の中に在り。都城とじょうの東北千里に山有り。即ち富士山と名づく」等云云。台家の類聚るいじゅ一末五十三に云く「天竺の霊山は王舎おうしゃじょう丑寅うしとらなり。しんたん天台山かん陽宮ようきゅう丑寅なり。日本の比叡山は平安城丑寅なり。共に鎮護国家の道場なり」云云。
 上野殿御返事
の五・七に云く「仏法の住処じゅうしょ・鬼門のかたに三国ともにたつなり此等は相承そうじょうの法門なるべし」云云。

四に富士は亦蓬莱山ほうらいさんと名づくる故に。義楚の六帖に又云く「富士また蓬莱と名づく。じょふくこことどまり今に至る。子孫皆はたう」云云。当に知るべし、蓬莱山は不死の薬の在処なり。当初そのかみ、秦王、不死の薬を求む。不死の薬はただ蓬莱ほうらいに在り。故に徐福、 五百の童男五百の童女ひきいてたずねて富山に入る。然りと雖も其の時未だ此の薬有らず。故に徐福、本国に帰ることあたわず。ついに此の処に止まれり。今いわく、是れ徐福のいつわりには非ず。後にまさに不死の薬有るべき故に、自然にあらかじめ蓬莱山の名を立つる故なり。是れ則ちれいずい感通かんつうし、嘉名かみょうそうりゅうするなり。今は現に不死の薬有り。蓬莱山の名、豈りゅうすべけんや。  

問う、不死の薬、今何処いずこに在りや。

  答えて云く、本門の戒壇の本尊、すなわち是れ不死の薬なり。

  問う、証拠は如何いかん

  答う、寿量品に云く「良薬ろうやくを、今留めてここく」等云云。薬王品に重ねて之を説いて云く「此の経は則ちれ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことをば、病即ち消滅して不老不死ならん」等云云。「是好良薬」とは本門の本尊なり。本門の本尊あに不死の薬に非ずや。是の故に、兼ねて其の処を蓬莱山と名づくるなり。むしろ嘉名早立に非ずや。

  五には大日蓮華山と名づくる故に。神道深秘二十六に云く「駿河するがの国には大日蓮華山」云云。今之を案ずるに、山のかたち八葉の蓮華に似たるが故にしか名づくるなり。神社考四・二十に云く「富士縁起に云く、孝安天皇の九十二年六月、富士山じゅつす。すなわち郡名を取って富士山と云う。かたち蓮華に似て絶頂に八葉あり」等云云。古徳の富士の詩に云く「根は三州にまたがりてえんじゅ老い、嶺は八葉に分れてせっ重なる」等云云。即ち此の意なり。

  日順詮要せんよう抄に云く「天台大師は漢土の天台山に於て之を弘通し、彼の山の名を取って天台大師と号す。富士山また日蓮山と名づく。最も此の山に於て本門寺を建つべし」等云云。いわんまた此の義は、一致門流も未だかつ之をあらそわず。故に弘経寺のにちごんの抄に云く「伝教大師は山門に迹門の戒壇を建立したもうなり。此のほかに本門の戒壇とて有るべきなり。富士門徒は是をふとこわきざしにするなり。駿河国富士山に本門の戒壇立つ可きなり。富士山を天下晴れて大日蓮華山と云うなり」等云云。若ししからば、富士山に於て之を建立すべきこと文理もんり明白なり。

  御書外十六・四十一に御相承を引いて云く「日蓮一期いちご弘法ぐほう白蓮びゃくれん阿闍あじ日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、の戒法と云うは是なり」等云云。

徐福は淡路島に一族郎党を率いて潜伏します。

国産み神話が淡路島から始まるのはそれ。

神武征伐が鳴門海峡を渡って、阿波国平定から始まるのもそれ。

そして、阿波国安房への繋がり。

大聖人様生誕逸話へも繋がってくるのです。

また、徐福は秦氏の先祖ですが、秦氏ユダヤ十二支族とも。

キングダムは始皇帝の英雄譚を世界で初めて描いた作品ですが、ヒットの裏側には深い因縁があるんですよ。 

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読まなきゃソン。