1101夜:東京オリンピック開幕~その現証が意味するもの~
無観客という前代未聞の状況下で東京オリンピックが開幕いたしました。
私個人としては、戦前の東京オリンピックのように中止されなくてホッとしています。
中国や韓国もボイコットしなかったしね。
歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む。
The past does not repeat itself, but it rhymes.
-マーク・トウェイン-
大会関係者が次々と不祥事で去って行ったのも象徴的でした。
サンドイッチマンの富澤さんが、炎上の炎で聖火を点火する発言に爆笑。。
何はともあれ始まってしまえば、メダルの獲得数に沸くジャパン。
悲嘆はひとりでに癒されるが、喜びの真価は他人と分かち合わなければ得られない。
Grief can take care of itself, but to get the full value of a joy you must have somebody to divide it with.
フィクションは可能性を持っていなければならないが、真実はそうではない。
Fiction is obliged to stick to possibilities. Truth isn't
真実は小説より奇なり。
Truth is more of a stranger than fiction.
-マーク・トウェイン-
マーク・トウェイン の警句が胸に刺さるのは僕だけなのでしょうか?
未来は誰にも分かりません。
今後の世界が、日本がどのようになっていくのか予測は至難の技ですが、仏法を鑑としてその現証が意味するものを照覧していけば、暗雲が立ち込めているように思えるのです。
オリンピックに観客の熱狂は必須条件かどうかは、意見の食い違いが生じる事柄でしょう。
種目によってはガラガラの会場もありますから。
でも、僕には50年前のあの出来事が韻を踏んでいるように思われてなりません。
創価学会は初めからダブルスタンダードの組織でしたが、それでも日蓮正宗公認団体でした。
だからこそ、「御利益宗教じゃない、国家を、ひいては世界を救うんだ!」「新興宗教団体ではない!700年の伝統宗教の信徒なんだ!」「公明党は国立戒壇の発議を党是とする!」として、折伏大行進を実践し、平仄を合わせるように日本も復興から高度成長を成し遂げたのです。
GDP世界第二位が長らく看板の国でした。
それが、「国立戒壇やめます」「折伏やめます」「正本堂が事の戒壇です」ってなって、一気に凋落の一途をたどって参りました。
こんなにも現証ってはっきりしているのか?
それほどのインパクトを受けている僕は、信心がおかしいのでしょうか?
若い頃の期待の星だった顕正会も迷走を続け、正本堂が解体されても解散せず邪難と法盗人の道をひた走っています。
正信会も創価批判から、血脈相承否定、果ては戒壇の大御本尊様否定に至り、風前の灯火に。
正系門家界隈はグダグダの醜態を演じ続けています。
何よりも恥ずべきは、大聖人様御生誕800年にかこつけての、法華講員80万体制構築の運動でした。
折伏とは名ばかりの勧誘が横行し、未達の住職が左遷されたり隠居させられたり、自死された方まで出る始末。
前年比10%増のノルマって何を根拠に策定したのでしょうか?
折伏は家族ですらもなかなか本物になりません。
いや自分自身ですら信心修行は不完全です。
己心の魔、三障四魔、この世界は魔の領地です。
凡夫の民衆に広めることが、自由意思に基づいて行われるなら永遠にその日は来ないのも道理でしょう。
されば鹿は味ある故に人に殺され、亀は油ある故に命を害せらる。女人はみめ形よければ嫉む者多し。国を治むる者は他国の恐れあり。財有る者は命危ふし。法華経を持つ者は必ず成仏し候。故に第六天の魔王と申す三界の主、此の経を持つ人をば強ちに嫉み候なり。此の魔王、疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに、古酒に人の酔ひ候如く、国主・父母・妻子に付きて法華経の行者を嫉むべしと見えて候。(種種御振舞御書)
しかし、
此に日蓮大いに疑って云はく、仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。故に梵釈等は此の仏を或は木像、或は画像等にあがめ給ふ。須臾も相背かば梵王の高台もくづれ、帝釈の喜見もやぶれ、輪王もかほり落ち給ふべし。神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身のごとくあがめ給う。 『神国王御書』
との御指南もあります。
第六天の魔王が現時点では領主として君臨しているけれども、本来は仏の所領であるということでしょうか。
そして、人界の王は釈迦仏(本仏)の垂迹であるとお示しです。
- 戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり。『三大秘法稟承事』
- 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。『日蓮一期弘法付嘱書』
時を待つとはどのような意味でしょうか?
どのような時を待つのでしょうか?
僕は天皇陛下が戒壇の大御本尊様を受持される時だと思っております。
そこから広宣流布が始まるのだと。
現在の天皇陛下は本来の威徳を喪失されております。
原因は『神国王御書』【依義判文抄】に明白です。
此の日本国は外道一人もなし。其の上神は又第一天照太神・第二八幡大菩薩・第三は山王等三千余社、昼夜に我が国をまぼり、朝夕に国家を見そなわし給ふ。其の上天照太神は内侍所と申す明鏡にかげをうかべ、内裏にあがめられ給ひ、八幡大菩薩は宝殿をすてゝ主上の頂を栖とし給ふと申す。仏の加護と申し、神の守護と申し、いかなれば彼の安徳と隠岐と阿波・佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて、或は殺され、或は島に放たれ、或は鬼となり、或は大地獄には堕ち給ひしぞ。日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山々寺々に、いさゝかの御仏事を行なふには皆天長地久・玉体安穏とこそいのり給ひ候へ。其の上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給ひて云はく、我が国家開闢以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり。天之日嗣は必ず皇緒を立つ等云云。又大神、行教に付して云はく、我に百王守護の誓ひ有り等云云。されば神武天皇より已来百王にいたるまではいかなる事有りとも玉体はつゝがあるべからず、王位を傾くる者も有るべからず、一生補処の菩薩は中夭なし、聖人は横死せずと申す。いかにとして彼々の四王は王位ををいをとされ、国をうばわるゝのみならず、命を海にすて、身を島々に入れ給ひけるやらむ。 『神国王御書』
第三に時を知るとは、今末法に入り一切の仏法悉く皆滅尽す。故に大集経に「後五百歳白法隠没」と云うなり。正に爾の時に当たりて三大秘法広宣流布す、故に薬王品に「後五百歳広宣流布」と説くなり、宗祖云わく「後五百歳に一切の仏法滅する時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめ、謗法一闡提の輩の白癩病の良薬と為す」云云。具さには撰時抄の如し。此くの如く知るを則ち之時を知ると謂うなり。
第四に国を知るとは、通じて之を論ずれば法華有縁の国なり、別して之を論ずれば本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり。
日本の名に且く三意有り。
一には所弘の法を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日は是れ能譬・本は是れ所譬、法譬倶に挙げて日本と名づくるなり。経(薬王品)に云わく「又日天子の能く諸の闇を除くが如し」云云。宗祖云わく「日蓮云わく、日は本門に譬うるなり」云云。日は文底独一本門に譬うるなり、四条抄に「名の目出度きは日本第一」と云う是れなり云云。
二に能弘の人を表わして日本と名づくるなり。謂わく、日蓮の本国の故なり。
故に顕仏未来記に云わく「天竺・漢土に亦法華経の行者之有るか如何。答えて云わく、四天下の中に全く二の日無し、四海の内豈両主有らんや」云云。故に知んぬ、此の国は日蓮の本国なり云云。
三には本門流布の根本を表して日本と名づくるなり。謂わく、日は即ち文底独一の本門三大秘法なり、本は即ち此の秘法広宣流布の根本なり、故に日本と云うなり。応に知るべし、月は西より東に向う、日は東より西に入る、之を思い合わすべし。然れば則ち日本国は本因妙の教主日蓮大聖の本国にして本門の三大秘法広宣流布の根本の妙国なり。
問う、若し爾らば蓮祖出世の後、応に日本と名づくべし、何ぞ開闢已来日本国と名づくるや。
答う、是れ霊瑞感通し嘉名早く立つる故なり、例せば不害国の名の如し。記の一末に云わく「摩訶提は此に不害と云う。劫初より已来刑殺無き故なり、阿闍世に至りて指を截るを刑と為す、後自ら指を齧むに痛し、復此の刑を息む。仏当に其の地に生まるべき故に吉兆預め彰わる、所以に先ず不害国の名を置く」等云云。
今復是くの如し。蓮祖当に此の国に生まれ独一本門の妙法を弘通すべき故に吉兆預め彰わる。所以に先より日本国の名を置くなり、彼此異なりと雖も其の趣是れ同じきなり、豈之を信ぜざるべけんや。此くの如く知るを則ち之国を知ると謂うなり。【依義判文抄】
日本の国の使命、国主の使命を思い出すことが肝要かと。
其の上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給ひて云はく、我が国家開闢以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり。天之日嗣は必ず皇緒を立つ等云云。又大神、行教に付して云はく、我に百王守護の誓ひ有り等云云。『神国王御書』
私は民主主義体制を否定するつもりはありません。
しかし、国主は国民ではないと思っています。
主権在民思想は啓蒙主義思想家によるでっち上げです。
国家主権は国家元首のもとに存在します。
いかに皇室の衰運甚だしいとはいえ、未だその余命は尽きておりません。
ここを深く感じ取ることが、末法の根本の妙国に生まれ、戒壇の大御本尊様を受持するものの務めだと思っております。
天皇陛下を軽んじてはなりませぬ。
真実が靴を履こうとしている間に、嘘は既に世界の半分に広まっている。
"A lie can make it half way around the world before the truth has time to put its boots on."
-マーク・トウェイン-