日蓮正宗のススメ

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宗祖、日蓮大聖人、御生誕800年の大佳節、おめでとうございます。

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御生誕800年、おめでとうございます。

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産湯相承事
 
                           日興之を記す    
  御名乗りの事、始めは是生、実名は蓮長と申し奉る。後に日蓮と名乗り有りし御事は、悲母梅菊女は童女御名なり平の畠山殿の一類にて御坐すと云云。法号妙蓮禅尼の御物語之有る事は、我に不思議の御夢相有り、清澄寺に通夜申したりし時、汝が志真に神妙なり、一閻浮提第一の宝を与へんと思ふなり。〔父母夫婦先表の口伝〕東条の片海に三国大夫と云ふ者あり、是を夫と定めよと云云。七歳の春三月廿四日の夜なり、正に今も覚え侍るなり。我父母に後れ奉りて已後、詮方無く遊女の如くなりし時御身の父に嫁げり。〔聖人托胎の口伝〕有る夜の霊夢に曰はく、叡山の頂に腰をかけて近江の湖水を以て手を洗ひ、富士の山より日輪の出でたまふを懐き奉ると思ふて、打ち驚きて後月水留まると夢物語を申し侍れば、父の大夫我も不思議なる御夢相を蒙るなり。虚空蔵菩薩貌吉児を御肩に立て給ふ。〔聖人上行菩薩の口伝、並びに是生の口伝〕此の少人我が為には上行菩提薩埵なり。日の下の人の為には生財摩訶薩埵なり。亦一切有情の為には行く末三世常恒の大導師なり。是を汝に与へんとの給ふと見て後、御事懐妊の由を聞くと語り相ひたりき。さてこそ御事は聖人なれ。
  〔聖人の御生まれ仏の御誕生に殊ならざる口伝〕
  又産生たまふべき夜の夢に、富士山の頂に登りて十方を見るに、明らかなる事掌の内を見るが如く三世明白なり。梵天・帝釈・四大天王等の諸天悉く来下して、本地自受用報身如来垂迹上行菩薩の御身を凡夫地に謙下したまふ。御誕生は唯今なり、無熱池の主阿那婆達多竜王・八功徳水を持ち来たるべし、当に産湯に浴し奉るべしと諸天に告げたまへり。仍って竜神王即時に青蓮華を一本荷ひ来たれり。其の蓮より清水を出だして御身に浴し進らせ侍りけり。其の余れる水を四天下に灑ぐに、其の潤ひを受くる人畜・草木・国土世間悉く金色の光明を放ち、四方の草木華発き菓成る。男女座を並べて有れども煩悩無し。淤泥の中より出づれども塵泥に染まざること、譬へば蓮華の泥より出でて泥に染まざるが如し。人・天・竜・畜共に白き蓮を各手に捧げて、日に向かって「今此三界、皆是我有、其中衆生、悉是吾子、唯我一人、能為救護」と唱へ奉ると見て驚けば、則ち聖人出生したまへり。「毎自作是念、以何令衆生、得入無上道、速成就仏身」と苦我啼き玉ふ。我と少し未寝し様なりし時、〔諸天頌の口決〕梵帝等の諸天一同音に唱へて言はく、善哉善哉善日童子末法教主勝釈迦仏と三度唱へて作礼而去し給ふと寤に見聞きしなりと、慥かに語り給ひしを聞こし食し、さては某は日蓮なりと言ひしなり。聖人重ねて曰ふ様は、日蓮が弟子檀那等悲母の物語と思ふべからず、即ち金言なり。其の故は予が修行は兼ねて母の霊夢にありけり。日蓮は富士山自然の名号なり。富士は郡名なり、実名をば大日蓮華山と云ふなり、我中道を修行する故に此くの如し。国をば日本と云ひ、神をば日の神と申し、仏の童名をば日種太子と申し、予が童名をば善日、仮名は是生、実名は即ち日蓮なり。
  久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神の、我が国に天下り始めし国は出雲なり。出雲に日御崎と云ふ所あり。天照太神始めて天下り給ふ故に日御崎と申すなり。
  我が釈尊法華経を説き顕はしたまひしより已来十羅刹女と号したてまつる。〔生仏法界一如の口伝〕十羅刹と天照太神釈尊日蓮とは一体異名にして、本地垂迹の利益広大なり。日神と月神とを合して文字を訓ずれば十なり。十羅刹女と申すは、諸神を一体に束ね合はせたる深義なり。日蓮の日は則ち日の神、昼なり。蓮は即ち月の神、夜なり。

月は水を縁とす、蓮は水より生ずる故なり。又是生とは日の下の人を生むと書きたり。〔本門下種の口伝〕日蓮天上天下一切衆生の主君なり、父母なり、師匠なり。今久遠下種の寿量品に云はく「今此三界皆是我有主君の義なり 其中衆生悉是吾子父母の義なり 而今此処多諸患難国土草木 唯我一人能為救護師匠の義なり」と云へり。三世常恒の〔仏と聖人同体の口伝〕日蓮は今此三界の主なり。「日蓮大恩、以希有事、憐愍教化、利益我等、無量億劫、誰能報者」なるべし。
  若し日蓮が現在の弟子並びに未来の弟子等の中にも、日文字を名乗りの上の字に置かずんば、自然の法罰を蒙ると知るべし。予が一期の功徳は日文字に留め置くと御説法ありし儘、日興謹みて之を記し奉りしなり。
  聖人言はく、此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ。(平成新編御書1708㌻)

「 悲母梅菊女は童女御名なり平の畠山殿の一類にて御坐すと云云。」

「東条の片海に三国大夫(さんごくだいぶ)と云ふ者あり、是を夫と定めよと云云。七歳の春三月廿四日の夜なり、正に今も覚え侍るなり。我父母に後れ奉りて已後、詮方無く遊女の如くなりし時御身の父に嫁げり。」

お父様は土御門帝。お母様は平家の御息女。三国大夫は、三国一の男という意味で、天皇陛下のことであります。

大夫には三通りの読み方がありますが、私は「だいぶ」を採用しております。

大夫の称は日本の律令制度にも取り入れられ、『公式令』の規定では太政官においては三位以上*1、寮においては四位以上、中国以下の国司においては五位以上の官吏の称とされた。すなわち、五位以上の男性官吏を指す称号であるといってよい。官職としての大夫はだいぶと読み(「東宮大夫」など)、単に五位を意味する場合にはたいふと読み分ける。訓読みにおいては、「まえつきみ」である(鬼頭清明大和朝廷と東アジア』 吉川弘文館 1994年 p.14)。また五位以下相当の官職の者が五位に叙せられた時、官職の下に大夫と付記する(例えば六位相当の官職である左衛門尉が五位に昇った際、左衛門大夫と称する)。五位にありながら散位即ち無官の者は無官大夫と称される。また従五位下の者は唐名を朝散大夫と称した。

「みくにのたゆう」なんて読むのは失礼でしょう。「たゆう」は芸人の称ですわ。

「東条の片海」ですが、この地を安房と申します。

これは、阿波の隠喩であります。

阿波忌部氏渡航した先が、千葉県安房忌部氏であります。

大聖人様の師匠、道善坊は元は北面の武士。阿仏房も同じく。

阿仏房夫妻の忠誠は、佐渡に流された大聖人様の御尊顔を拝し、即座に皇子であることに気付いたためと思われます。

阿仏房は土御門帝の弟君、順徳天皇島流しに付き添った御仁であります。

大聖人様のお父様、土御門帝は仁徳の高いお方でした。

承久3年(1221年)の承久の乱のおりには、何も関与していなかったので処罰の対象にはなりませんでした。

しかし、父である後鳥羽院が遠流であるのに自分が京にいるのは忍びないと、自ら申し出て土佐国に流され、後に、より都に近い阿波国に移されたとか。

鎌倉幕府も後鳥羽・順徳両上皇とは違って、守護に対して阿波の宮殿を造営させるなどの厚遇振りを見せているようです。

大聖人様のお兄様でいらっしゃる、後嵯峨天皇は、南北朝を通じて天皇家の血統を残された帝であります。

つまり、今上陛下は大聖人様の傍系子孫ということになります。

王仏冥合とは、色心共に大聖人様の血脈を相承される天子様を、国王として奉じ奉ることであります。

それ故、日蓮一期弘法付嘱書には、

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
   弘安五年壬午九月 日                日蓮花押    
血脈の次第 日蓮日興

と、認められているのです。

「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。」の、「せらるべきなり」は、尊敬語です。

「天子様が日蓮正宗に帰依なさった時には、富士山に本門寺の戒壇を建立していただくようにしてくださいね」ってこと。

富士一跡門徒存知事には、

一、本門寺を建つべき在所の事。
   彼の天台・伝教は在生に之を用ひらるゝの間、直ちに寺塔を立てたまふ、所謂大唐の天台山、本朝の比叡山是なり。而るに此の本門寺に於ては、先師何れの国何れの所とも之を定め置かれず。

爰に日興云はく、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり。然れば駿河富士山は是日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ。仍って広宣流布の時至り国王此の法門を用ひらるゝの時は、必ず富士山に立てらるべきなり。
一、王城の事。
   右王城に於ては殊に勝地を撰ぶべきなり。就中仏法と王法と本源体一なり。居処随って相離るべからざるか。仍って南都の七大寺・北京の比叡山、先蹤之同じ後代改まらず。然れば駿河国富士山は広博の地なり。一には扶桑国なり、二には四神相応の勝地なり。尤も本門寺と王城と一所なるべき由、且つは往古の佳例なり、且つは日蓮大聖の本願を祈る所なり云云。

と、ございます。

つまり、天皇陛下は御所を大石寺の西南に遷し、紫宸殿御本尊様を紫宸殿に奉祀して、毎朝毎夕の五座三座の勤行にて鎮護国家(世界平和)と、経世済民の御祈りをされることが、御公務となります。

そして譲位されたのちは、日蓮正宗の御僧侶に得度され、法皇様となられるのであります。

法皇様はもちろん、猊下様となられ、色心二法に亘る血脈相承を万年尽未来際まで、永劫に護持されていくのです。

血脈相承とは、戒壇の大御本尊を別して所持され、信心の血脈を皇統と合一して保持していくことなのです。

その皇室の使命については、神国王御書に隠喩されております。

大聖人様の出自が秘匿されたのは、亡き者にしようとする勢力から御護りするためです。

本日より、我ら日蓮正宗信徒は、毎朝の勤行において、四座の御祈念には、

天皇陛下護持妙法、外道・爾前迹門・他門・異流儀の謗法退治、本門事の戒壇建立、一天四海本因妙広宣流布、大願成就の為に」との祈りを捧げようではありませんか。

そして、初座においては、「生身妙覚自行の御利益・・・大明星天王」のあとに「天照大神・正八幡大菩薩」を必ず御祈念すべきでしょう。

その意味は、各人が「諌暁八幡抄」や「神国王御書」にて研鑽されることを期待いたします。

国立戒壇放棄の年から、日本の国は傾き続けて、今日に至りました。

それまでの日本は、銀行に預金すれば10年で倍になる環境でした。

実際、正本堂は御供養金の金利で建立されたと言われています。

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当時の金利で100万円を定期預金すると。。。

それが、正本堂建立後の1973年に始まった、第四次中東戦争を機に第1次オイルショックが始まり、七年後の1979年に起こったイラン革命を機に第2次オイルショックが始まり、経済成長は水泡に帰すことになったのです。

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公定歩合金利)の推移も仏法を体にしていますね

国立戒壇放棄は、戒壇義をグダグダにしてしまい、御遺命をぼやけさせてしまったようです。

800年紀の開始が疫病蔓延と、世界大戦前夜の不穏な雰囲気の中始まってしまったことは、誠に残念ではありますが。

総罰が出るというのは、富士大石寺戒壇の大御本尊が厳然と生きていらっしゃる証拠でもあると思うのです。

今こそ正信に覚醒すべき時なのであります。

 

*1:大宝律令以降の日本の律令制では、正三位従三位の二つの位階があり、三位はその総称である。四位以下は正・従がそれぞれさらに上下に分割されたが、三位以上は正従の二つだけである。また三位以上は貴とされ、四位・五位の通貴と区別された。清涼殿の殿上(てんじょう)の間に昇れるのは三位以上。ほかに四位、五位から特別に選ばれた者と六位の蔵人(くろうど)が昇殿を許されており、殿上人(てんじょうびと)と呼ばれた。『源氏物語』に「うへ人」と書かれているのがそれ。