日蓮正宗のススメ

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分身散影(ふんじんさんよう)とリモート

記に云はく「問ふ、諸の仏菩薩は共に未熟を熟す、何の彼此有らん。分身散影して普く十方に遍す。而るを己任及び廃彼と言ふや。答ふ、諸の仏菩薩は実に彼此無し。但機に在無有り、無始法爾なり、故に第二の義を以て初めの義を顕はして結縁事浅と云ふ。初め此の仏菩薩に従って結縁し、還って此の仏菩薩に於て成就す」云云。又云はく「子父の法を弘むるに世界の益あり」云云。記の八に云はく「因薬王とは、本薬王に託して茲に因せて余に告ぐ。此流通の初めなり。先づ八万の大士に告ぐとは、大論に云はく、法華は是秘密なれば諸の菩薩に付すと。下の文に下方を召すが如きは尚本眷属を待つ。験らけし、余は未だ堪へず」云云。(上行菩薩結要付嘱口伝942㌻)

分身散影とは

分身とは、一つの本体が多数のものに分散することです。仏や菩薩が様々な境遇にある衆生を救済するために、その身を分散し変化(へんげ)させて出現することが、さながら本体とその影像のような関係にあることを、分身散影・分身散体といいます。

天台大師は、「法華本門寿量品」の久遠本仏を天の一月に譬え、その分身の三世十方の諸仏を無数の池月(ちげつ)に譬えています。池月とは池の水に映った月の影のことです。

さらに、文底下種仏法の立場から言えば、弘安二年十月十二日に建立された、本門戒壇の大御本尊様を本体として、日蓮正宗の各寺院・家庭の御本尊様はその分身散影の御本尊様とみることができます。

まさにリモート!

リモートとは遠隔操作のことですが、単なるリモコンではなく、パソコンやスマホで離れた場所にいる人の顔を見ながら、対面会話したり会議までできる技術を指すようになりました。

科学技術は外道の一部分ですが、科学技術の発展は仏法の理解や広宣流布への、助縁となるようですね。開目抄に、

夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂、儒・外・内これなり。(開目抄㊤523㌻)

とありますが、外道(諸科学)を学ぶことも大切なことであります。

昨今、コロナの影響でリモートをテレビで見るという、不思議な現象を目の当たりにしています。テレビ技術は一方通行ですが、インターネットのリモートは双方向です。

まさに、日蓮正宗の寺院や家庭の御本尊様は、この双方向のリモートのような関係だと思ったのです。

単なる影ではありません。分身散体のほうが言い得て妙ですね。

人法体一であるが故に

人法体一とは、仏と法に勝劣がなく、一体不二であるという意味です。

つまり、戒壇の大御本尊様とは日蓮大聖人様の御悟りがそのまま、御本尊様として顕された生身の仏様なのです。

観念論的な宇宙の法とか、概念を具現化したものでありません。詳しくは、過去記事をご参照ください。 

nichirendaihonin.hatenablog.com

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人法体一について、日寛上人様の六巻抄を引用させていただきます。

人法体一の明文を明かす【文底秘沈抄第二】本門の本尊篇

 

今此等にじゅんずれば法は是れ諸仏の主師親なり、なん人法体一と言うや、若し明文無くんば誰人か之を信ぜんや。

答う、所引の文みな迹中化他の虚仏こぶつ色相しきそう荘厳の身に約す故に勝劣有り、若し本地自行の真仏は久遠元初の自受用身、もと是れ人法体一にして更に優劣有ること無し、今明文を出だして以て実義を示さん。

法師品に云く「若しは経巻所住の処、此の中すで如来の全身有り」云云。

天台釈して云く「此の経は是れほっしん舎利しゃり等云云。

宝塔品に云く「若し能く持つ有らば則ち仏身を持つ」云云、

げん経に云く「此の経を持つ者は則ち仏身を持つ」云云。

文句第十に云く「法を持つは即ち仏身を持つ」云云。

又涅槃経に如来行と云い今経には安楽行と云う。

天台文八-六十五に之をして云く「如来は是れ人、安楽は是れ法、如来は是れ安楽の人、安楽は是れ如来の法、総じて之を言わば其の義異ならず」云云。

記八末に云く「如来涅槃、人法名殊なことなれども大理別ならず、人即法の故」に云云。会疏えしょ十三-二十一に云く「如来は即ち是れ人の醍醐だいご、一実諦は是れ法の醍醐、醍醐の人、醍醐の法を説く。醍醐の法、醍醐の人を成ず。人と法と一にして二無し」云云。

法華経に云く「六万九千三八四、一々文々是真仏」云云。

諸抄の中文字は是れ仏なりと云云。

御義口伝に云く「自受用身即一念三千」。

伝教大師秘密荘厳論に云く「一念三千即自受用身等」云云。

報恩抄に云く「自受用身即一念三千」。

本尊抄に云く「一念三千即自受用身」云云。

 宗祖示して言わく「文は睫毛まつげの如し」云云。の言まことに由有るかな、人法体一の明文赫々かくかくたり、誰か之を信ぜざらんや。

人法体一の明文赫々(かくかく)たり!との御断言に大確信を持つべきですね。

そして、日蓮正宗猊下様がその御内証(御悟り)を御書写くださるのです。

毎日の勤行・唱題は、大聖人様の見ておられる前で修行していると思ったほうが良いですね。

譬へば金粟王と申せし国王は沙を金となし、釈摩男と申せし人は石を珠と成し給ふ。玉泉に入りぬる木は瑠璃と成る。大海に入りぬる水は皆鹹し。須弥山に近づく鳥は金色となるなり。阿伽陀薬は毒を薬となす。法華経の不思議も又是くの如し。凡夫を仏に成し給ふ。蕪は鶉となり山の芋はうなぎとなる。世間の不思議以て是くの如し。何に況んや法華経の御力をや。犀の角を身に帯すれば大海に入るに水身を去る事五尺、栴檀と申す香を身にぬれば大火に入るに焼けることなし。(本尊供養御書1075㌻)

大石寺への参詣、御開扉を賜ることは、大聖人様御本人にお目通りさせていただくことです。

ありがたいことではないですか。

私も一日も早くコロナが沈静化し、支部総登山が再開される日を心待ちにしております。

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リモート会議にリモート飲み会。。。リモートから分身散影を連想しました。。

 

六巻抄

六巻抄