昨日の箱根駅伝、かなり盛り上がりましたね。
創価大学の健闘が一因といいますか、大きな要因だったようです。
TV各局、ダイジェストで放送しまくっていました。
普段は、創価批判は御法度らしいですからねぇ。
最後に追い抜かれた選手が、追い込みをかけられていなければいいのですが。。。
それだけが心配です。
創価学会員さんは、箱根唱題会でもしていたのでしょうか?
劇的な大逆転、これこそが諸天善神の力用だったのではないでしょうか?
1970年を思い出します。
共産党(谷口善太郎)という国賊のツッコミで、広宣流布が泡沫となった、あの瞬間を。
創価学会の存在意義が問われた瞬間でした。
公明党の議席を犠牲にしてでも、日蓮正宗の本義を護持するという立場に徹するか否か?
問われたのは、そこだけでした。
国立戒壇を言い続けたら、御宗門は取り潰されますと。
お守りできましぇんと。
今から思えば、諸天善神様の試金石だったのではないか?
そんな風にも思えます。
名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。嗚呼、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。(持妙法華問答抄296㌻)
人間という種族は、進化の性質上、名聞名利をこよなく愛する存在です。
このことは、アダムスミスが道徳感情論で証明しました。
nichirendaihonin.hatenablog.com
ま、それはさておき、祖道の恢復ですわ。
祖道の恢復とは何ぞや?
この疑問に回答を示した人を知りません。
何でか?
簡単なことですわ。
あのお方を蔑ろにしたことですやん。
そう!
日寛上人様ですやん。
六巻抄ですわ。
日蓮正宗では、教学の源泉でしたやん。
なんでか?
わかりますか?
日寛上人様の憂慮されたことは、日蓮大聖人様の御書を誤解することですやん。
今風に言えば異流儀の出現ですやんか。
「この書、六巻の獅子王あるときは、国中の諸宗諸門の狐兎一党して当山に集来すといへども、あえて驚怖するに足らず、もっとも秘蔵すべし」
この六巻の師子王があるならば、広宣流布のとき国中の邪宗および不相伝の日蓮宗等(異流儀・創価・顕正)の狐兎が、こぞって富士大石寺に襲来してくるとも、少しも驚怖するには及ばない。この六巻抄を心肝に染め、最も秘蔵せよ――と。
祖道の恢復を目指して、六巻抄を熟読して参りましょう。
日寛上人様の御志は、御書の読み間違いを正すことであったのですから。
「未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は戒壇なり」(寿量品談義)
「義理の戒壇とは、本門の本尊所住の処、即ちこれ義理・事の戒壇に当たるなり。」(法華取要抄文段)
日達上人はこの日寛上人の御指南に基づいて「現時における事の戒壇」と仰せられたのではないかと思われる。
日寛上人が事の戒壇を広宣流布の時に建立されるものとしているのは明らかである。これを日達上人がご存じないわけがない。この大前提を踏まえて考えるべきである。わたくしの云く、未だ広宣流布の時に至っていないので事の戒壇は存在しない、けれどもすでに本門戒壇の大御本尊がここにまします、ゆえに義理においては事の戒壇に等しい、と。
しかし、浅井センセー以下顕正会員一同は「それを義の戒壇というのだ」というに違いない。
「またまた当に知るべし、広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りといえども仍これ枝流にしてこれ根源にあらず。まさに本門戒壇の本尊所住の処すなわちこれ根源なり」(法華取要抄文段)
ここでわたくしが注目したいのは、広宣流布の時はすべての寺院が歴代書写の御本尊を安置し、そこがすべて義理の戒壇になる、という部分である。
二つの点に注目している。
ひとつは、広宣流布の暁には事相の戒壇が建つとされているのに、ここでは義理の戒壇と仰せであられること。
ふたつめは、先には「義理・事の戒壇に当たる」と御指南であるが、ここでは単に「義理の戒壇」と仰せであられること。これらの答えはおそらく本尊の相違によるのだろう。
ひとつめは、広宣流布の後の事・義の定義を意味していると思われる。
すなわち、広宣流布の時には戒壇の大御本尊まします大本門寺の戒壇堂だけが事の戒壇であり、それ以外は義の戒壇となるわけである。これを根源と枝流の関係に当てたものと思われる。ふたつめは、文面では広宣流布の時云々となっているけれども、文意としては広宣流布以前の戒壇の大御本尊と歴代書写の御本尊の関係を仰せになっていると拝して差し支えないものと思われる。
すなわち、戒壇の大御本尊のまします処は「義理・事の戒壇」であり、歴代書写の御本尊は「義理の戒壇」である。これまた根源と枝流である。このように拝するならば、日達上人の「現時における事の戒壇」もまた明瞭である。
つまり、「現時における」を入れることによって、広宣流布の暁に建立される御遺命の事の戒壇とは明確に分別されると同時に、「事の戒壇」とすることによって、戒壇の大御本尊と歴代書写の御本尊の関係を明確にされていらっしゃるのである。わたくしは日寛上人の御指南をほとんど存じ上げないけれども、どうやら上人の御指南には戒壇の大御本尊ましますところを直ちに事の戒壇と仰せられたものはないようである。しかし、意味合いにおいては「現時における事の戒壇」と拝し得ることは明らかであろう。逆に何が何でも「義の戒壇」と主張することは、かえって摧尊入卑のおそれがあるのではないかと思う。