年初の広布推進会の時、ふと耳にした言葉に。。。
∑( ̄ロ ̄|||)なんと!?
思わずとある御僧侶の方を二度見してしまいました。
同じ地方部のお寺の御僧侶で、10年くらい前に推進会の後の座談会か何かで、お話を聴かせていただいた時のことが脳裏に甦ったからです。
たしか、ご婦人が悩みを告白したことからの流れで。。。
御僧侶
「私共僧侶も自身の抱える悩みを御祈念いたします。
私であれば、お寺に信徒がほぼいない。居ても活動しない。信心があるのかどうかもわからない。途方にくれています。
御本尊様に向かって『私が住職でよろしいのでしょうか?』と問いかけながら、唱題させていただいております。
涙を流しながら御祈念申し上げております。『どうか、このお寺に赴任させていただいた使命を果たさせてください。』と。
今、ご質問くださった方も、お顔の表情から察しますに、相当深刻に悩んでいらっしゃるのでしょう。
どうぞ、そのお気持ちのまま御本尊様に唱題してください。
唱題したら、じゃあ明日には解決しているか?職場の人間関係がこじれた相手と仲良くなっているか?それはわかりません。あなたにも宿業や罪障がおありでしょうし、お相手の方との因縁もございましょう。
それでも、せっかく日蓮正宗の信心をされているのですから、一人じゃない。大聖人様がついててくださるんだ。その思いで祈り続けてください。
私も無責任なことを言うつもりはございません。あなたと一緒に今日から御祈念申し上げます。私はお預かりしているお寺の発展と信徒の成長。そして折伏の成就を。あなたは、その方との関係修復と職場環境の改善を。
関係が修復してくれるのが一番ですが、仏様がご覧になってベストな方向に向けてくださるということもございます。もっと良い職場に換わって救われるということもございます。
一緒に頑張っていきましょう。あせらず、長い目でみてください。そして、そうですね。10年くらいたったら、もう一度この場に集まったみんなで、どうなったか話し合いましょう。。。」
一同「はい。」
その当時は、日蓮正宗の僧侶も大変なんだなぁって思ったくらいでした。
うちの支部は当時からすでに隆盛で、他のお寺の御住職様からうらやましがられていましたので、いいお寺に縁出来てよかったぁくらいな感覚でした。
そして、今回、驚いた進行役の方のアナウンスの言葉とは。。。
「〇〇寺支部様は、昨年度470名の折伏誓願を達成され、地方部ナンバーワンの結果を出されております。」
ではもう一度。。。
びっくりしました。
座談会の社交辞令あるあるかと思ってたのに。
たしかに、その御僧侶のお寺に人材が出てきていたのは、知ってました。
折伏に熱心な家族が入信したことを。
その御家族が信心し始めたころに見かけたことがありました。
何らかの悩みがあったのでしょう、可哀そうな感じのするご家族でした。
しかし、その時、私の目に参詣者席に列席している現在の、その御一家の後ろ姿が目に飛び込んできたのです。
そう、神々しさを感じるような、頼もしさすら覚えるような。一家五人のまっすぐに伸びた背中が。。。。
しつこいですが。。。
ウソぅ。。。
「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という慣用句があります。原文は『三国志演義』が出典で、呉(ご)の武将(ぶしょう)呂蒙(りょもう)の故事から出ています。
こんな逸話(いつわ)です。
呂蒙という人は、呉王(ごおう)孫権(そんけん)に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたそうです。そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」とからかっていたのです。「阿蒙」というのは、今で言う「蒙ちゃん」といったニュアンスで、さげすんだ言い方ではなく、親しみを込めて、「おばかな蒙ちゃん」的な感じでからかっていました。
そんないつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かねた呉王孫権は呂蒙に学問を勧めましたが、はじめのうち呂蒙は「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と言い返していました。しかし、孫権は「博士になろうとしなくていいから、歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えたともいいます。国王にそこまで言われたら、やらざるをえません。呂蒙は発奮して、勉学にも本腰を入れ、やがて本職の儒学者たちをもしのぐほど読書をし、勉強を続け、見る見るうちに教養を身につけます。
勇猛(ゆうもう)なだけで無学であった呂蒙を軽蔑(けいべつ)していた知識人の魯粛(ろしゅく)は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶(あいさつ)に向かいました。実際に語り合った呂蒙は、以前とは比べ物にならないくらい豊かな学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。
おどろいた魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛(しょうさん)しました。これに対して呂蒙は「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば大いに成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたのです。人間だれもが能力を持っている。外見からはわからないほど、色々な能力をもっているのである。この慣用句も、三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っているのですが、この呂蒙の逸話から、みなさんには3つの大切な事をわかってもらいたいのです。
一つは、孫権が呂蒙に学問を勧めたこと。つまり、変わるための「きっかけ」があったとうこと。
一つは、呂蒙が変わることができたのは、変わるために勉学に励むなど努力を続けたということ。つまり、人は自分の考え方や行いを「変える」ことで、変わるんだということ。
一つは、呂蒙は、自分のためを思って言ってくれる孫権の言葉を「素直」に受け入れたこと。
つまり呂蒙は、孫権の言葉を「きっかけ」に、「素直」にその言葉に従い、自分を「変える」ための努力を惜しまなかったことで大いに成長できたのです。
人は、特に信心に励む人は、冥益の力でどんどん変わっているんですね。
しょっちゅう顔を合わす人は、その変化に気付きにくいかもしれませんが、10年も会わないでいると大化けしていることがあるんですね。
いやはや。
仏法説話でも
日蓮正宗・法華講 修利槃特〜すりはんどく〜 法華経の教え・女人成仏
Nichiren Shoshu True Buddhism , Young Tree Theater Company , The Story of Hokekyo
(すりはんどく)の話は有名ですね。