日蓮正宗のススメ

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日蓮正宗 法華講員の体験談 「いつでもどこでも御指南通りに御本尊様のすばらしさ伝えたい」

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フィードバックとは、簡単にいうと体験談ことです。

    法光寺支部 H泓 華子さん  (西九州地方部総会より)
 私は約四年前、総本山の従業員として勤めさせていただきましたが、その日々の中で貴重な折伏の体験ができました。
 それ以前、地元にいたときの折伏は、大切な友人や悩みを相談してきた友人をお寺に誘い、常に母の応援で折伏が成就していました。総本山に行ってからは、仕事の環境は皆さん信心をしている方ばかりですし、なかなか新しい友人ができず、折伏したいという気持ちはあっても、打開するための行動ができませんでした。
 そのときの私は、悩みを抱えていました。気を抜いて唱題を怠ると気持ちが沈みがちになり、それが体調にも現われる、という日々が続きました。今思うと、仏様のお使いをすることを忘れていたため、もともと持っていた自分の悪業に振り回されていたのだと思います。

そこに一人で あっても折伏

 御住職様にご相談すると、「そこに、一人であっても折伏していきなさい」との御指導でした。
 心を入れ替え、以前からの趣味であったサーフィンを再開し、サーブショップのオーナーを折伏しました。
 次に何かできることはないだろうかと考え、リーフレットを手渡しながらの折伏をしようと思いました。と言っても当時の私は、この街頭折伏には、「まず成果はあがらないだろう。それに、新興宗教だと思われてしまうのではないか。知らない人に声をかけるのは恥ずかしい」と否定的でした。
 しかし、全く知り合いのいない土地ですから、これしかやれることがないと思い、富士宮駅前を通る人や、総本山内の見学者にリーフレットを配り始めました。
 初めは緊張して恐る恐るやってぃましたが、気持ちがどんどん明るくなり、いっの間にか知らない人に笑顔でお話できるようになりました。街頭折伏でお寺へお連れできる人はありませんでしたが、中学時代からの友人である大塚舞子さんから電話があり、悩みを打ち明けてくれました。折伏して、その後、大塚さんとその息子さんが御授戒を受けられました。
 そしてある日、駅の近くで街頭折伏をしていると、創価学会員にひどい罵声を浴びせられました。そして、翌日から、悩んでいたことが解決し、全く気にならなくなったのです。これで確信を得てからは、折伏が楽しくて、いつでも折伏したいという気持ちが涌いてきました。

 総本山境内で折伏 功徳を目の当たりに

 そのような中で声をかけ、入信された一人の山内見学者のことをお話させていただきます。
 ある日、御影堂へ唱題にいく途中、その方が山内地図の看板を見ておられました。
 声をかけると、五重塔が見たくて、静岡市内から自転車で四時間かけて大石寺まで来たそうです。塔中坊にお連れしようと思って誘いましたが、
「今さら話を聞いても、もう遅い。本当にいろいろあって、簡単に解決できる問題じゃないんです。五重塔を見たら、富士の樹海で死ぬつもりだから」
と言いました。
 とにかく御本尊様の前でお話しようと思い、御影堂へお連れしました。中に入って御宝前に座ると、不思議にも、これまであった出来事を詳しく話し出しました。
 仕事中に交通事故に遭って、腕と肋骨を骨折。胸ポケットに入れていた携帯電話と折れた肋骨が肺に突き刺さり、やっと退院すると、信じていた人に騙されて全財産を失い、八方塞がりになった。家財道具はすべて処分し、富士の樹海に行く前に、大石寺五重塔を見たかった、というものでした。
 御僧侶のお話を伺うことを強く勧め、塔中坊に一緒に行きました。御住職様と奥様がお話くださり、その日、その方は御授戒を受けて帰られました。
 自転車で片道四時間はたいへんですが、今の状況から抜け出すためには、毎日ここへ通って勤行をするようにと勧め、坊の本堂で待ち合わせることにしました。
「携帯電話もないから、就職しようにもなかなか仕事が決まりませんよ。本当に変わるんですかね」
と弱音を吐くこともありましたが、そのたびに
「一緒に御題目を唱えましょう。絶対に大丈夫だから」
と励ましました。坊の奥様も厳しい激励と、帰りにはいつもお弁当を用意してくださいました。
 それから一週間後、仕事を終え、その方が待つ本堂へ急ぐと、会うなり
「泓さん、昨日とても不思議なことが起こったんですっ!」

と言われました。
 話を聞くと、お寺からの帰り道に公園でお弁当を食べていたら、警祭官から一時間ほど職務質問をされて落ち込んでしまった。気分を変えようといつもと違う道で家に向かうと、途中でかつての職場の人に会い、
「結婚のため一人退職したので、すぐにでも仕事に来てくれ」
ということだった。しかも、寮に一人分の空きがあるから、そこに入るようにと勧められた、と言うのです。
 嬉しいのと、衣食住を含め物心両面に功徳があったことを通し、
「此の題目の五字、我等衆生の為には三途の河にては船となり、紅蓮地獄にては寒をのぞき、焦熱地獄にては涼風となり、死出の山にては蓮華となり、渇せる時は水となり、飢ゑたる時は食となり、裸なる時は衣となり、妻となり子となり眷属となり家となり、無窮の応用を施して一切衆生を利益し給ふなり」(御書八三五頁)
との大聖人様の御金言通りだと、御本尊様のすばらしさに目頭が熱くなりました。

 どんなときも 仏様のお使いを

 私は、当初は消極的だった街頭折伏や訪問折伏によっても、本当に苦しんでいる人を救うことができる歓喜を味わえ、反発を受けることで過去からの罪障を絞り出すように消滅できること、すぐに街頭折伏や訪問折伏で成果に繋がらなくても縁故の折伏が実ること、などを体験できました。
 基本である縁故折伏の縁は無限にはありません。合間に訪問折伏や街頭折伏をするなど、どんなときでも仏様のお使い、御法主上人猊下の御指南を忘れないことが大事だと実感しました。
 また、いろいろな信仰をしている人に出会うことで、教学を勉強するようにもなりました。そして、思っていた以上に、すれ違う人が皆、悩みを持っていました。
 こうして、塔中の御住職様方、奥様方のご協力のもと、十二名の方が入信されました。

 邪教で苦しむ人が 多いことを痛感

 その後、佐世保へ帰ってくると、講頭より、法光寺支部折伏進捗が、よい状況ではないことを聞きました。
 すぐに動くことを決意し、心を引き締めて友人、知人への折伏、訪問折伏に街頭折伏と、やれることをやれるだけやり、昨年は、友人、知人、街頭折伏による方々など、計四十二名が御授戒を受けることができました。佐世保の街頭折伏で入信された福岡の方は、私か最低でも月に一度はその力が預かり信徒となっている福岡のお寺に通い、一緒に勤行をしてきましたが、今は親御さんを折伏したいと言っています。
 また、ある地域で学会員宅を訪問折伏していた際、あるお宅で話を勧めていくと、すごい剣幕で怒り出し、
「私は池田先生についてきて本当に幸せ!あんたが生まれる前から、私は戦後のあぜ道を子供を負ぶって広宣流布してきたんだから!」
と、吐き捨てるように言われました。
 「幸せ」だと言ったそのご婦人は、片方の目が義眼で、片足を失っておられました。「毎年、子供たちが花を持って会いにくる」と言いましたが、たしかに玄関には、埃が積もった造花がいくつか飾ってありました。体の調子も悪いようで、ふだん私たちは当たり前に空気を吸ったり吐いたりしていますが、この方の場合は、障りになるものが肺に入り込んでしまうため、五年間も咳で苦しんでいるとのことでした。
 私は、もしも学会が本当に仏様のお使いをしているのなら、このような姿になるなんておかしいことに気づいて欲しい、との思いで。「騙されているんですよ」と、平成二年からの学会問題について真剣に間いかけましたが、聞き入れることはありませんでした。
 純粋な信仰心を持った人を言葉巧みに騙す創価学会により、不幸の一途をたどる人々の実情を目の当たりにして、悔しい思いをしました。それからは自然と、毎日「学会員を折伏させてください」と真剣に祈るようになりました。
 そのような中、別の学会員宅を訪問折伏し、断られながらも日を置いて何度も通い、最後は講頭に応援を頼んで、十二月二十九日、学会婦人部の方が勧誡を受けられました。

 信心の躾に感謝

 思い返せば我が家は、私たち子供四人が小さい頃から父は信心に厳しく、いつも
「題目唱えたか。今日は何人に下種した」
と言っていました、それがあまりに厳しく感じ、恨めしく思うこともありました。
 子供の頃、「私には折伏なんてできん」と言った私に、父は
「華子、よかか、なんも心配するな。折伏は御本尊様がしてくださるとぞ。この信心は口先だけでやるもんじゃない。しっかり題目あげて、ただ御本尊様を信じて、どんどん折伏しろ」
と言いました。
 あの時は解らなかったけれど、大人になり様々な体験をさせていただく中で、信心を厳しく教えてくれた父と、父が亡くなった後、折伏実践を身をもって教え、鍛えてくれた母に心から感謝しています。
 今日お話したことも、指導教師の桑原慧道御尊師をはじめ、総本山塔中坊の御住職様方、奥様方、法光寺支部の皆さんに支えられ、このような折伏の体験を積ませていただくことができました。

 折伏、育成に命がけ  喜びと使命感持って

 折伏誓願目標はけっしてノルマなどではなく、私たちが救っていかなければならない人の数です。
 御法主日如上人猊下は、
「よく『自折折他』と言いますように、他の人を折伏することは、また自分自身を折伏していることになるのです。ですから、これは非常に大事な修行なのです。信心から折伏を取ってしまったら、我々の一生成仏の修行にはなりません。仏道修行というのは、まさしく折伏なのです」(大白法九四二号)
と御指南されています。
 この御指南に沿い奉り、何があっても絶対に乗り越え、幸せになれるこの日蓮大聖人様の仏法を一人でも多くの方に伝えてまいります。
 また、今年は特に、これまでに折伏した方々がきちんと功徳を戴けるよう育成に力を入れて、皆さんと共にがんばっていきたいです。
大白法H290316号より

全財産を失いつつも最期に大石寺に行ってみようと思い立ったのは、天然の仏性の発動でしょうか。大石寺だったからよかったのです。これがもし大石寺でなかったならば決してこうはならなかったでしょう。