日蓮正宗のススメ

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「自惟孤露。無復恃怙。”自ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして復恃怙無(またじこな)し。”」の時こそ

寿量品

「是時諸子。聞父背喪。心大憂悩。而作是念。若父在者。慈愍我等。能見救護。今者捨我。遠喪他国。自惟孤露。無復恃怙。常懐悲感。心遂醒悟。乃知此薬。色香味美。即取服之。毒病皆愈」


「是の時に諸の子、父背喪(はいそう)せりと聞き、心大いに憂悩(うのう)して、是の念を作さく、若し父在(ちちおわ)しなば、我等を慈愍(じみん)して、能く救護せられまし。今者、我を捨てて、遠く他国に喪(そう)したまいぬ。自ら惟(おもんみ)るに孤露(ころ)にして復恃怙無(またじこな)し。常に悲感(ひかん)を懐(いだ)いて、心遂(こころつに)に醒悟(かくせい)しぬ。乃ち此の薬の色香味美を知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈(やまいみない)ゆ」 

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職場で干されているのは”私”だけ

日顕上人は当経文を
 「毒にあてられて本心を失い、惑乱・顛倒した子供たちは、素直に父の言葉を信ぜず、良薬を飲もうとしません。したがって、その苦しみはいよいよますばかりであります。父の良医は、この子らを愍れみ、方便を設けてこの薬を服用せしめようとされます。その方便とは、子らの毒に酔った心を覚醒せしめるために、父が死去すると語り示すことであります。すなわち、父は毒に酔った子らに対し、『私は既に年老いて身体も衰え、まもなく死ぬであろう。此の良き良薬を今、ここに留て在くから、必ずおまえ達はこの薬を飲みなさい。飲めば必ず病苦が治癒するのだから、疑ってはならないよ』という教えを遺して、遠く他国へ旅立ちました。そして他国より使いを遣わして、子らに、『あなた方の父は、既に他国で亡くなりました』と伝えさせたのであります。
 子供たちはこれを聞いて心に大きな憂い、悩みを生じました。『慈悲深き父がおいでになれば、我らを慈しみ愍れんで、種々に救い護ってくださるであろう。しかし今、我々を捨てて遠い他国で亡くなられ、私たちはもう全く頼りない孤児になってしまった』と落胆し、常に悲しみに閉ざされてしまったのであります。
 この悲しみによって、父の慈愛と力をいまさらのように思い起こし、父がましますことに慣れてその言葉を信じないような、わがままの惑った状態から覚醒し、ついに本心に立ち返りました。そこで、父の残してくれた良薬の色も香りも味わいも勝れて美しいことを知り、直ちにこれを服用して、毒による病がことごとく愈えたのであります」
とご教示下さっております。


私たちが唱題をするのは「色も香りも味わいも勝れて美しい」薬を飲むことです。それは、過去世の一切の罪障が消滅する大功徳を受けることになります。ところが凡夫は、良き薬が目の前にあっても、慣れによって良薬と感じることができなくなってしまうのです。惰性であり、懈怠です。このような生活態度を改める上からも、自分の職業と仏法修行について、この一週間悩み抜いておりました。

今回の仕事上でのミスの連発と、処分の厳しさの理由はどこにあるのだろうかと…。

実際のところ、

・信心上の懈怠

・口から出た災い

の二点ではなかったかと…。

自分の行いを反省しているのであります。

私の仕事は早朝から夜更けまで、幅の広い勤務時間帯をシフトで受け持ちます。

最も早い勤務の時は、朝の6時出勤。

最も遅い勤務の時は、夜の10時まで勤務。

朝夕の勤行が度々おろそかになっておりました。

また、この一年、仕事上で小さなミスを連発しておりましたが、損害額が少なかったり、お客様が寛大で表面上は大事に至っておりました。

そのことで安心し、「たいしたことなくって良かった。」などと、軽口を叩いておったのです。そのことが上層部の耳に入り、いたく心象を害して居ったようなありさまで。

誠に恥ずべきことをしておりました。

さて。

思案のしどころです。

職務に復帰することが叶ったとて、今の仕事を続けていれば結局、懈怠はまぬがれないのではないのか?

そのように思っております。

人手不足もありまして、早朝勤務~遅出勤務へのダブルヘッダーもあります。

とてもじゃないですけど、そんな日に五座三座の勤行を実践することは不可能かな。

現代の日本で人並みの生活をしようとするなら、それくらい働かないと生活が成り立たないのも事実ですが。

悩ましいところです。

御本尊様に祈りながら、この生活上の問題をどのように乗り越えていくべきか。

考えていきたいと思っています。

信心修行や寺院での行事、御登山などが自在に可能な職場への転職が叶えば、これほどの喜びはないのですが。

このような甘い考え方こそが、日蓮正宗信徒として恥ずべき考えなのでしょうね。


何があっても 五座・三座の勤行は欠かさないこと! この基本を守らない者は 何をやっても最後は崩れる 030


何としても 五座・三座の勤行を 欠かさない!012

樋田さんのお話を拝聴する限り、五座三座の勤行は欠かしてはいけないようですね。御僧侶も同じことを申されております。

人生の分かれ道ですかね。

 

勤行―その仕方と観念文の意義 (信心修行の基本)

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