日蓮正宗のススメ

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ダメおやじの御書拝読法:御書の学び方~ひとつの方法論として

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1 本年の活動を振り返って

本年最後の記事として、私の御書拝読の方法についてお話ししたい。

拙ブログは、創価学会員・顕正会員の日蓮正宗帰依を目標にしている。

それとともに、インターネット検索により、日々悩める人々に日蓮正宗信仰への切っ掛けを提供したいという願いも込めている。

また、すでに日蓮正宗信徒として修行されている、法華講員諸氏の信心向上の一助になることも期待している。

信仰に直接関係する記事については、ツィッターbot機能で自動的に拡散し、少しでも人生に真摯に向き合おうと努力されている方の、目に触れることができるようにと配慮している。

さて、本年のネット上における活動によって、どれくらいの方が日蓮正宗の信仰に目覚め、御授戒・勧誡式を賜ることができたであろうか?

インターネットは集合知である。

私のブログだけでなく、多くの法華講員がネット上で日蓮正宗信仰への道案内をされている。来年も多くの方が、唯一正しい日蓮正宗の信仰に縁出来ますように。

2 ネットでの御書研鑽

なぜ、日蓮大聖人様の御書を学ぶのか?

一つは、日常を生きるのに大聖人様の智慧を拝借するため。

二つ目は、もちろん正統な日蓮正宗教学を学び、信行学の「学」を成就するため。

まずは、大聖人様の考えを知ることに有用な、御書研鑽の方法をご紹介しよう。

使用するのは、日蓮大聖人御書全集 全文検索|会員サポート|創価学会公式サイトです。

これは、創価学会の御書全集で、キーワード検索をする方法。

どのように私が使用しているかを紹介しよう。

例えば来年で平成が終わることから、昨今、皇室に注目が集まっている。

大聖人様が天皇陛下について、どのようにお考えであったかを調べてみよう。

上記サイトの自由語検索の欄に「天皇」と入力。検索をクリックする。表示件数は最大の50件を指定しておくと便利。

すると、検索結果が表示される。

自由語検索 検索結果一覧

天皇での検索結果は77件でした。
それぞれの御書名をクリックすると御書の本文がご覧になれます。

 
 

1安国論御勘由来

 

34ページ

古最明寺入道殿に奏進し了んぬ此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり、其勘文の意は日本国・天神七代・地神五代・百王百代・人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて百済国より仏法此の国に渡り桓武天皇の御宇に至つて其の中間五十余代・二百六十余年なり、其の間一切経並びに六宗之れ有りと雖も天台真言の二宗未だ之れ有らず、桓武

2真言諸宗違目

 

139ページ

真言宗は天竺より之無し開元の始に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等・天台大師己証の一念三千の法門を盗んで大日経に入れて之を立て真言宗と号す、華厳宗は則天皇后の御宇に之を始む、澄観等天台の十乗の観法を盗んで華厳経に入れて之を立て華厳宗と号す、法相三論は言うに足らず、禅宗は梁の世に達磨大師楞伽経等を以て

3行敏訴状御会通

 

181ページ

月氏国に三寺有り、所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺となり云云、一向小と一向大とは水火の如し将又道路をも分隔せり、日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に小乗の戒壇を三所に建立せり、其の後・桓武の御宇に伝教大師之を責め破りたまいぬ、其の詮は小乗戒は末代の機に当らずと云云、護命・景深の本師等

4開目抄上

 

198ページ

りすて此の宗を漢土にわたして太宗皇帝と申す賢王にさづけ給い昉・尚・光・基を弟子として大慈恩寺並に三百六十余箇国に弘め給い、日本国には人王三十七代・孝徳天皇の御宇に道慈・道昭等ならいわたして山階寺にあがめ給へり、三国第一の宗なるべし、此の宗の云く始め華厳経より終り法華・涅槃経にいたるまで無性有情と決定

5開目抄下

 

212ページ

なんどおぼしきを令初発道心とて幼稚のものども・なりしを教化して弟子となせりなんど・をほせあれば・大なる疑なるべし、日本の聖徳太子は人王第三十二代・用明天皇の御子なり、御年六歳の時・百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを六歳の太子・我が弟子なりと・をほせありしかば彼の老人ども又合掌して我が師なり

天皇で検索すると77件がヒットした。

大聖人様の天皇への関心の高さが拝察できる。

次に77件だと多いので、私なら八幡大菩薩守護にちなんで百代をor検索してみる。

自由語検索 検索結果一覧

天皇 百代での検索結果は3件でした。
それぞれの御書名をクリックすると御書の本文がご覧になれます。

 

1安国論御勘由来

 

34ページ

古最明寺入道殿に奏進し了んぬ此れ偏に国土の恩を報ぜんが為なり、其勘文の意は日本国・天神七代・地神五代・百王百代・人王第卅代欽明天皇の御宇に始めて百済国より仏法此の国に渡り桓武天皇の御宇に至つて其の中間五十余代・二百六十余年なり、其の間一切経並びに六宗之れ有りと雖も天台真言の二宗未だ之れ有らず、桓武

2妙密上人御消息

 

1,237ページ

ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし。  されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代・地神五代の後・人王百代・其の初めの王をば神武天皇と申す、神武より第三十代に当りて欽明天皇の御宇に百済国より経並びに教主釈尊の御影・僧尼等を渡す、用明天皇の太子の上宮と申

3神国王御書

 

1,516ページ

ぎいざなみの御女なり、乃至第五は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊・此の神は第四のひこほの御子なり・母は竜の女なり、已上地神五代・已上十二代は神世なり、人王は大体百代なるべきか・其の第一の王は神武天皇此れはひこなぎさの御子なり、乃至第十四は仲哀天皇八 幡御父なり・第十五は神功皇后八 幡御母なり・第十六は応神天皇

すると3件に絞られた。

神国王御書が出た。天皇に関しての重要御書だ。

青文字の御書名をクリックすると。。。

自由語検索 検索結果詳細 御書本文

神国王御書
 
1,516ページ
神国王御書

 神国王御書

 夫れ以れば日本国を亦水穂の国と云い亦野馬台又秋津島又扶桑等云云、六十六ケ国・二つの島・已上六十八ケ国・東西三千余里・南北は不定なり、此の国に五畿・七道あり・五畿と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等なり、七道と申すは東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸道七箇国・山陰道八ケ国・山陽道八ケ国・南海道六ケ国・西海道十一ケ国・亦鎮西と云い又太宰府と云云、已上此れは国なり、国主をたづぬれば神世十二代は天神七代地神五代なり、天神七代の第一は国常立尊乃至・第七は伊奘諾尊男なり、伊奘册尊妻なり、地神五代の第一は天照太神・伊勢太神宮日の神是なりいざなぎいざなみの御女なり、乃至第五は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊・此の神は第四のひこほの御子なり・母は竜の女なり、已上地神五代・已上十二代は神世なり、人王は大体百代なるべきか・其の第一の王は神武天皇此れはひこなぎさの御子なり、乃至第十四は仲哀天皇八 幡御父なり・第十五は神功皇后八 幡御母なり・第十六は応神天皇にして仲哀と神功の御子今の八幡大菩薩なり、乃至第二十九代は宣化天皇なり、此の時までは月支漢土には仏法ありしかども日本国にはいまだわたらず。
 第三十代は欽明天皇・此の皇は第二十七代の継体の御敵子なり・治三十二年、此の皇の治十三年壬申十月十三日辛酉百済国の聖明皇・金銅の釈迦仏を渡し奉る、今日本国の上下万人・一同に阿弥陀仏と申す此れなり、其の表の文に云く臣聞く万法の中には仏法最善し世間の道にも仏法最上なり天皇陛下亦修行あるべし、故に敬つて仏像経教法師を捧げて使に附して貢献す宜く信行あるべき者なり已上、然りといへども欽明・敏達・用明の三代・三十余年は崇め給う事なし、其の間の事さまざまなりといへども其の時の天変・地夭は今の代にこそにて候へども・今は亦其の

前のページ
 
タイトル 聖寿 対告衆 述作地
神国王御書 54   身延

御書本文が出てくる。

前後のページを読めば、切り文じゃなく全体像が読めるはず。

あくまでも、学会の御書全集だということはお忘れなく。日蓮正宗の平成新編御書で、該当御書を確認し拝読することが大事。

平成新編日蓮大聖人御書

3 日寛上人様の御指南を仰ぐ

日蓮正宗の在家信徒が正しく教学を学ぶには、日寛上人様の御指南を拝することが基本だ。上人はご自身の臨終の在り方をもって、自分の教学指南が大聖人様の御意に叶っているかどうかを試された御方。そして、御予言通りの臨終を見事成就されたことで、日蓮正宗教学の柱として六巻抄・御書文段が後世の弟子・信徒に遺されている。

日寛上人御書文段

六巻抄

これも有志の方がネットで研鑽できるよう手配してくださっている。

ご紹介しよう。拙ブログでもリンクを貼らせていただいているのだが。

日寛上人 御書文段 総目次 : 日蓮大聖人『御書』解説

【六巻抄】目次 : 日蓮大聖人『御書』解説

日享上人 六巻抄註解についての総序

 

 

六巻抄註解についての総序

 

日寛上人の六巻抄現本の再治修訂の年月は各巻末御自記のとおりである、ただ未治みじ本についてはこれを知るの便少なし、上人の「未治の本を留むる事なかれ」との御誡を門下が守ったために残影をも見ないのであろう。あるいは衆人について所蔵を閲しても未治本の正写共に発見することはけだし容易でなかろう。幸いに予が雪山文庫にきょう三年純澄日定の転写に属する末法相抄上下一巻がある。その下巻末に「大石学頭だい日寛在判」とあるのみで年月を記していない。今本師の他の末抄に六巻抄中の書目ある分を列挙してみよう。

正徳六年記、撰時抄上に依義判文抄の目あり四、要集疏釈部 三四六頁

享保二年記、取要抄上に三重秘伝抄の目あり四、要集疏釈部 三八一頁

享保六年記、当体義抄に三重秘伝抄の目あり四、要集疏釈部 四〇五頁

同年記、法華題目抄末法相応抄の目あり四、要集疏釈部 三八八頁

享保七年記、報恩抄下末末法相応抄の目あり四、要集疏釈部三七〇頁、また文底秘沈抄の目あり四、要集疏釈部 三七〇頁已上粗見である。

また他抄にもあるかも知れぬ。ただし当流行事抄当家三衣抄とが見えぬのと、立正安国論に六巻抄を例証せられぬのは引用せらるべき御法門がなかったためであろう。開目抄四巻の長編中にないのは開目抄の開講後に六巻抄の始めの三重秘伝抄が筆せられたためであろう。

すでに未治本の末法相応抄に「学頭日寛」の記名があり三重秘伝抄の自序に開目抄の講次に三段十門の草案が成ってそのままであったのを享保きょうほう十年に添削するとあれば、秘伝抄も相応抄も共に学頭時代で正徳三年後の御述記であることは確定する。その余の四巻もまたしかりと推定することを得るのである。

また愚僧が旧著なる日寛上人全伝の中の年表にはその後多少のあやまりを発見した。開目抄の講日を享保元年の下に疑問視したるその一である。本師は正徳元年に学頭として蓮蔵坊れんぞうぼうに入りたるも、正徳三年に開目抄を始めらるる二年の間には未だ年月の記入ある書記を見ない。あるいは如説修行抄妙法曼荼羅供養抄の記など十余部の内がそれであるかも知れぬ。因師は「学頭となりて大弐阿闍あじと称し初めて題目抄を講ず」と記せられたるが、御自筆の題目抄文段には正徳六年六月四日より始められ同八月十五日に終わる事を記せられてある。今、年月の明かなる末抄は開目抄安国論撰時抄題目抄取要抄が学頭時代の物である。それも一抄おわりて次抄に移るという順序でなく数抄交互に混説せられた事もある。また定講日とてないから進捗の程度は明らかでなく開目抄のごとき始講の日は他書にりて知ることを得れども終講の日は知る事を得ぬ。あるいは長編の事であるから二年余にまたがったかも知れぬ。また取要抄や当体義抄には他抄のごとくに日割りが記してないから日付は終講の日か直後の追記ではなかろうか。観心本尊抄のごとく夏に講しおわり冬に文段が成稿したという風ではなかったろうか。とにかく学頭時代に六巻抄の講録も成り、その都度門下にはあるいは内見を許されたものもあろう。

本抄の草案本と訂正本との相違はいかほどであるかについては五巻の未治本が発見せられねば分明せぬ。ただし一巻の相応抄では引文や論旨に繁簡があり、文飾に多くの相違があるが大体の結構においては大差を見ぬ、いま血脈けちみゃく相承そうじょうを受けずとも撰ばれて初代の学頭(六代というはただ名義のみ)となられた位の徳学兼備の大器であったから言動とも自然にその法に即した異材であって、二十六代のかんとなって相承のためににわかに法門に変動を生ずるような凡器とは思えぬ。ただ相承のために自然に磨きが加わった程度であろうと拝察するのである。

本師八十余巻の述作中無益の冗書はないがこれを総括する要本はこの六巻抄であり、自身三十年の言説を要約したばかりでなく、釈迦仏のまた蓮祖大聖の総てをこの中に納めたりとの会心の御作であったのは、候補たる学頭にっしょう師への御譲りの御談にも顕れておる。末徒たるものいたずらにこれを高閣に束ねて木像扱いにせず、日夜不断の研鑽の料として本師の妙義を光顕する事に努められたいのである。

編者が当初の理想はこの六巻抄の全面に少しずつでも簡明な註解を加えたいのであったが、紙面が許さぬばかりでなく、浅智膚学の及ばぬところであるにきょうを生じた。幸いに秘伝抄と三衣抄とには三四十年前の愚註を終訂して加えようとしたが、頁数の都合で秘伝抄だけにした。余の五巻は延べ書きばかりでせんかたなきを許されよ。いずれ老衰の身ながら仏天幸いにみょうありて幾分の余力を有するあらば近き将来にこの責めを果たそうと思う。

 

昭和十二年九月 日         編者日享 識す

 

 

重版にあたりて寸辞を加う。本巻には二巻以下にも秘伝抄のごとく略解を付すべき予定であったが、頃日の病態ではその元気がかぬでこれは幸いに回復の時を記して別刊するから、このたびは旧版の序文に云える相応抄の未治本をこの校本の上欄に加えて本師著作の謹厳の聖慮を学徒に知らしめんためである。また更にしゃが五十余年前に編集した三衣抄の釈文等を延べ書きにして付録する事にした。

 

昭和三十二年十月          編者日享 謹んで識す。

 

日享聖人様の「六巻抄註解についての総序」を付しておいた。

かつては、創価学会第二代会長も観心本尊抄御書文段読解を一級部員の目標とされた。

御書文段によって重要御書を正確に理解し、六巻抄によって精髄を究める。

これが正統な御書研鑽の姿勢であろうと信じるものである。

4 創価教学じゃない御書講義((旧)創価学会員による創価ダメ出しブログ

創価ダメ出しさんのブログに連載中の「創価教学じゃない御書講義」もおすすめ。

カテゴリの教学・御書をクリックすると出てくる。

創価ダメ出しさんの御書理解は、日寛上人様の会通に基づいているから安心。

主に創価の月次座談会御書をとりあげて、「創価教学じゃない御書講義」を書いているようだ。

やはり創価は御本尊をわかっていないらしい。

ひごちゃんさんからのコメントで過日の創価新報に書かれていた創価が大御本尊受持しない理由。
毎度毎度低レベルな話を繰り返していてもう何度も破折済ではあるけど
おバカな学会員がネットで拡散して、なおかつあたかも創価の主張が大聖人の真意であるかのようにウソを書くので
一応、また破折しておこうと思う。
創価新報に書かれている内容は、

C作戦で学会の破壊を企て、御本尊を信徒支配の道具にしたのが日顕である。
そもそも、宗門が宗旨の根幹とする弘安二年の御本尊を、自ら「偽物」と軽んじた日顕である。
つまり、日顕宗は御本尊云々する資格はない。会則変更で学会は弘安二年の御本尊を受持の対象としないとした。
これに対し日顕宗は「学会は弘安二年の御本尊を否定した」などと騒いでいるが難癖に過ぎない。
謗法にまみれた邪宗の寺にあるから「受持の対象にしない」だけである。
学会が、日顕宗以外の寺にある御本尊を受理しないのと同じである。
御書には「弘安二年の本尊だけを根本とせよ」とは一切記されていない。
むしろ、大聖人は阿仏房に与えた御本尊を「出世の本懐とはこれなり」(1304)
と記され、弘安二年の御本尊が唯一絶対のものでないことは
御書に照らして明白である。宗門の主張は文証なき妄説にすぎない。


簡単に言うと大石寺は謗法の地だからそこの本尊は受持の対象としない。
ということで、もうすっかり顕正会と同じようなことを言い出しているわけだ。
これはね。人法一箇ってことが全く分かっていないわけ。
創価はね、大御本尊も本門本尊である。言っている。
本門本尊と言うのは人法一箇であることも認めている。
人法一箇というのは、「ご本仏」そのものという意味だろう。
その「ご本仏」が謗法の地にあるから受持しない。と言っているのは
鎌倉時代日蓮大聖人を信じないといっている僧俗と一緒なわけ。
大聖人ご在世当時の日本はね、上一人から下万人まで謗法であり、当然日本全体が謗法だったわけだろ?
だったら、その謗法の地である日本にいらっしゃる大聖人を捨てるのか?って話。これ道理ね。
この道理以前に、「ご本仏」がいる場所を謗法と思うこと自体間違っていて
「ご本仏」がまします場所こそ寂光土なわけ。

◆教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所喉は誕生の処口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なればいかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊しと申すは是なり(南条殿御返事)

◆設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏法華経も地獄にこそをはしまさずらめ(崇峻天皇御書)

と文証に明確だろ。
人法一箇の本門本尊がある場所が謗法の地になることはないのだよ。

で、この阿呆どもは、

むしろ、大聖人は阿仏房に与えた御本尊を「出世の本懐とはこれなり」(1304)と記され、弘安二年の御本尊が唯一絶対のものでないことは御書に照らして明白である。宗門の主張は文証なき妄説にすぎない。

などど言っているが、これは大聖人の一期の化導の次第ということを
全く理解できていない痴れ者の言うことで
それについては長くなるのでその話はそのうち書くが結論だけ言うとね
大聖人の顕される御本尊というのはね、「弘安」期になって究竟するのだよ。
阿仏房に与えたのは弘安以前の未究竟の本尊。
もちろん未究竟であってもご本仏のご境涯で
一機一縁の御本尊を阿仏房に与えているから「ニセモノ」でない。
しかし、一閻浮提総与即ち総体の本尊たる一大秘法とはなりえない。
しかもお前ら創価のコピー掛け軸だって弘安期の本尊の相貌じゃね~か。
で、この弘安期の本尊の中で「一閻浮提総与」に耐えられる本尊と言ったら
弘安二年の大御本尊以外にはないのだよ。
それ以外の弘安期の本尊で一大秘法の名に耐えられる本尊があるのであれば
その本尊を具体的に言ってみなさいよ。
そもそも「御書に書いてない」とかいってけど、お前ら身延か?(哀)
身延の連中も「御書に日蓮が本仏である」と書いてないから本仏じゃないっていうんだよ。
で?創価にとって大聖人はご本仏なのか?
だったら「日蓮は本仏である」という御書はあるのか?
ね~よ。そんな御書は。
でも依義判文すれば大聖人がご本仏であるという御文は数多ある。そうだろ?
それと同じで弘安二年の大御本尊が一大秘法である御文だって数多ある。
お前らが「身延読み」しかできね~からって
「文証なき妄説」とか五老僧みたいなこと言ってんじゃね~か。
じゃぁ何か、「大聖人が末法のご本仏」っていうのも
「文証なき妄説」なのか?え?どうなんだ?
お前らさ、歴代法主書写の本尊と大御本尊とまったく同じ。
と言っているが御書のどこにそんなこと書いてある?
在家が勝手に化義を変えていいとどこに書いてある?
創価学会仏なんて言葉はどこに書いてある?
在家が在家に供養すると功徳がでっるってどこに書いたあるんだよ。
お前ら創価のいっていること、やっていることこそ文証なき妄説っていうんだよ。
いや信徒をだまくらかしているんだから、妄説じゃなくて詐欺っていうもんだ。

それとな、「謗法の寺」っていうのは身延のごとき寺をいうんだよ。
なぜか?それは身延が大御本尊(ご本仏)に背いているからだよ。
戸田先生も
◇「富士大石寺に背くやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがない」
と指導しているが、永遠の指導者も否定るのかえ(嗤)
それに、なんで創価を破門することが「謗法」なんだね?
結果、お前らは大御本尊を捨てたんだろ?
破門は正しかったということだろ。謗法どころか正法を守ったという方が正解じゃね~か。

その脳みそ足りないオツムで考えてみろよ。
「大御本尊を捨てる」のが正しくて。
「大御本尊を守る」のが謗法ならば
この世のにはすでに日蓮正宗しか謗法は存在しない。
ということは「舎衛の三億 」の原理から言えば広宣流布は完了しているという理屈になる。
だとしたら、もう創価は弘教する必要ないのだから、選挙も新聞もやらなくていい、
いや創価学会そのものが必要ないだろう。
だって広宣流布が終わってるんだから。
違うか?お前らの理屈だと違わないだろ?
もう広宣流布は終わってるんだから「ガッカイカツドウ」なんて必要ないのに
なんで会員にそんなことやらせるんだよ。

全く文証も理証もないこんな幼稚でインチキな創価の主張を
真に受けて納得してる会員ってどんなんだよ。
さっきも書いたがオツムが弱いか信心が弱いか
あとは邪師にだまされ邪教に洗脳されているのか
またはその全てが見事に揃ってしまってフイーバーしたか(笑)

まぁ、別に創価学会がどんな見解を持っていても構わないよ。
ただ、この創価の主張は大聖人の弟子旦那の主張ではないということだし
大聖人仏法でもなく、ただの創価の見解であるってこと。
つまり創価は大聖人仏法とは無関係な新興宗教団体にすぎないし
大聖人仏法を誹謗している邪教団のひとつであるという認識をもってくれよ。
そして、このような創価のような団体と創価を信じる人々を
大聖人仏法では「謗法」と呼ぶことは覚えておきなさいな。

そうそう、最後に書くけどお前たちは自分達の本尊の元になった
日寛上人のご本尊になんで「お目通り」しないんだ?
なんで「ご供養」しないんだ?おかしいだろ?
さっさと、浄円寺に参拝しろよ。浄円寺にご供養しろよ。
それが「信心」ってもんだろ(爆笑)
以上のような感じ。
どうかご参考にして欲しい。
 
5 来年もよろしく
最近は、仕事が忙しくなってしまい、なかなか更新もできなくなってしまった。
ありがたいことではあるが、忸怩たる思いもしている。
しかし、顕正会時代は謗法の害毒で、仕事を中途半端にして生きてきてしまった。
今は、仕事にも充実感を感じられるようになった。
少ない休日は、ブログ更新によって自分なりの普段着の折伏を実践している。
大聖人様の仏法を、創価や顕正みたいに大聖人様の教えをベースにした曲解じゃない、本物のままでお伝えできるよう努力していこうと考えている。
信心を中心として、生活も仏法研鑚も充実した一年だったように思う。
来年も継続して、微々たる御奉公ではあるけれども、頑張っていきたいと思っている。
閲覧してくださった皆様にご多幸と、仏縁があることを祈念して本年を締めさせていただくとしよう。