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ダメおやじの読書:「ホモ・デウス」は現代の未来記になれるか?

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サピエンス全史の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ(以下、ハラリ)が描く未来記です。

とても面白い本なので、ぜひ読んでいただきたいです。

サピエンス全史は人類の過去すべてを描いた話題作でした。

人類のカギは虚構言語の獲得により、認知革命が起きたというもの。

仏法信仰者の私が受けた衝撃は大きなものでした。

まさに仏教でいうところの「空(くう)」に、万物を生み出すエナジーが充填されているみたいな・・・そんなイメージを言語が担っているとは・・・。

ハラリに言わせれば、言語が紡ぎ出す虚構性こそが現生人類を旧人類と隔絶し、唯一存在へと導いた根源力であったということです。

なるほど、国家・貨幣・宗教・会社など、人間同士の絆となっているものは、実体は存在せず、虚構を信じ虚構に生きることが宿命となった人類の"信仰心"の中にのみ宿っている。

しかし、虚構を皆が信じることで、創造性のエネルギーが産み出されていき、人間社会の原動力となっていることを納得させてくれました。 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

さて、話題の続編では今後の人類社会がどのようになっていくのかを、ハラリの明晰な頭脳は説得力のある語り口で、丁寧に分かりやすく教えてくれます。

仏法信仰者の私が感銘を受けた二点をご紹介いたします。

本書の冒頭でハラリは、現状分析と大まかな見通しとして、過去数世紀と比べると、三災(飢渇・疫病・合戦)の軽減が科学テクノロジーと社会思想の進歩により、人類にコントロール可能な次元にまで克服されつつあると述べています。説得力のある論法ではありますが、あまりに楽観的な見通し分析に首をひねらざるを得ませんでした。

三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき、壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり、又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり、飢渇は大貪よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚よりをこる(曾谷殿御返事)

大聖人様の御指南を拝すれば、大貪(資本主義)全盛の現在こそ前代に超えた、経済破綻が起きるように思えるのですが。

そして、貧すれば鈍するで、愚行がウィルス性・細菌性の流行病を蔓延させるのではないでしょうか?

また、米中貿易戦争・米中冷戦のような、世界大戦の火種になりかねないような争いや、民族主義国粋主義の台頭も懸念されております。

三災の克服を宣言できるほどの進歩には、程遠い気がします。

二点目としては、アルゴリズムの進化が人類の存在をも凌駕するという予測です。

アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行うときの「計算方法」のことなんですが、広く考えれば、何か物事を行うときの「やり方」のことだと言っていいでしょう。その「やり方」を工夫して、より良いやり方を見つけよう、というのが、アルゴリズムの研究です。

アルゴリズムの研究は飛躍的に進歩し、様々なテクノロジーと組み合わされることで、人間固有の領域がなくなってしまうかもしれないと・・・。

これは最近の人工知能問題でよく聞く話ですが、私が関心を持ったのはそこではなく、彼の表現を借りれば、人間の意識は有機アルゴリズムで(コンピューターは無機的アルゴリズムで)知能を推進しているという分析でした。

これは、自由意志についての考察で、「自我」はひとつの普遍的な本質を持っていないということの証明でもあるのです。

人は自分の意志で手足を動かしたり、考えたり、様々な活動を行います。そして思考や行動の生化学的な分析や、脳の活動の領域分析はできても、「なぜ」そのような行動を「欲した」のかは、一切解明できないという不思議さでもあるのです。

自分自身に当てはめて考えればよくわかることですが、外的・内的な反応に対して言葉を発したり、言葉を使用して物事を日常的に考えていますが、その言葉自体はどこから湧いているのか、全く自己分析不可能です。

つまり、人間はアイデンティティを持っていますが、それは単なる「自己同一性の」感覚(錯覚)に過ぎないということです。まさに、心法・一念三千の説明みたいじゃないですか。

 摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。
 「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云或本に云く一界に三種の世間を具す。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄

数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。
 問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万が一之を宣べん、所以世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄

十界の衆生・各互に十界を具足す合すれば百界なり百界に各各十如を具すれば千如なり、此の千如是に衆生世間・国土世間・五陰世間を具すれば三千なり、百界と顕れたる色相は皆総て仮の義なれば仮諦の一なり千如は総て空の義なれば空諦の一なり三千世間は総じて法身の義なれば中道の一なり、法門多しと雖も但三諦なり此の三諦を三身如来とも三徳究竟とも申すなり始の三如是は本覚の如来なり、終の七如是と一体にして無二無別なれば本末究竟等とは申すなり、本と申すは仏性・末と申すは未顕の仏・九界の名なり究竟等と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧の法華経とも申すなり(一念三千法門)

縁によって、心に冥伏しているアルゴリズムの流れが、生起しては消えていく作用が人の心。これがハラリの言う有機アルゴリズムではないでしょうか。

コンピューターとは意識なき知能のこと。

無機的アルゴリズムが極度に発達したとき、意識なき知能は人間の力を超えるという予測をしていますが、それは安定的な文明社会の維持が継続すればこそ可能なことでありまして、三災や七難によってダメージを受ければ、文明は喪失されてしまうのです。

読み物としては読みやすく、インスピレーションを掻き立ててくれる良書です。

前著と合わせてぜひ、御一読されてみてはいかがでしょうか? 

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 
ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来