日蓮正宗のススメ

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1165夜:ユヴァル・ノア・ハラリ、國分功一郎、ロバート・ライト、中野信子…読書の傾向

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ハラリ博士から学ぶことは多い

去年の年末に、行きつけの書店を覘いたら、21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考 (河出文庫)が平積みで置いてあった。
運命を感じたね(笑)。
自分の人生に影響を与えてくれる、恩書とでも呼びうる本との出会いは貴重だ。
20年以上も前になるだろうか、

「銃・病原菌・鉄」を読んだとき、歴史を勉強するということの意味が、自分の中で変容するのを感じた。
それまでの私にとって、司馬遼太郎さんの歴史読み物が歴史を学ぶお手本だった。
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」は、新しい思考の方法論を教えてくれたように思う。
だれでも、「何で西洋人が世界を支配しているのだろうか?」「白人は特別に賢いのか?」、そんな疑問を持ったことがあるかもしれません。
その疑問に真っ向勝負をしたのが、この本だった。
大事なことは、この本が提供しているのは、真実の一つであって事実ではない。
大きな解釈、マクロヒストリーである。
歴史哲学と言ってもいいだろう。
世界的ベストセラーになり、様々な批判的考察の対象となったのは、彼の解釈に共同主観たりえる説得力があったからに違いない。
そして、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」に感銘を受け、その影響下にあることを認めつつ、新たなマクロヒストリカルな思考を呈示したのが、ユヴァル・ノア・ハラリ博士だった。
正直言って、羨ましいというか妬ましい。
身の程知らずのジェラシーを感じてしまう。
ハラリ博士は、私より4歳も年下なのだ。
博士が「銃・病原菌・鉄」を読んだときは、まだ、20代半ばだったんじゃないだろうか?
彼の本意とは異なり、軍事史研究で博士号を取得している。
しかし、彼なりの個人的な葛藤(同性愛)に悩み、実存的不安に直面することで、哲学の勉強にのめり込んだようだ。
「銃・病原菌・鉄」が世界史の哲学とするなら、サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福は、人類史の哲学だ。
その中で、虚構を理解することが可能になった、7万年前の認知革命こそがホモ・サピエンスの、他の人類種との分水嶺であったとの考えにたどり着く。
虚構とは宗教のことだ。
存在しないものを、信じ、共有できる力。
この力が大勢の人々の共同・協同を可能にし、柔軟な環境適応力の源泉になったという。概略は下記の動画を参照して欲しい。


www.youtube.com


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年末に21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考 (河出文庫)

から始まった私のハラリ祭りは、逆順を辿って行くことになる。
ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来をあっと言う間に読破してしまい、今、再びサピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福へと帰って来た。もうすぐ、上巻を読み終える。

ハラリ博士の本を読んでいると、その不可知論的姿勢、寛容の精神からモンテーニュを連想してしまう。風貌も似ているけど。

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モンテーニュ

モンテーニュと言えば、エセー 6冊セット (岩波文庫)が有名。
私も愛読している。
中庸と寛容の精神、そして不可知論的な姿勢。親友のボエシとのホモセクシュアル疑惑。そして、改宗ユダヤであるマラーノという出自。
もしかしてハラリ博士は、モンテーニュの再来か?
そんな想像をしてしまうのだが。。。
それはさておき、ハラリさんから飛び火して、同時進行で暇と退屈の倫理学 (新潮文庫)を読み始めた。

これを読んでいると、ハラリ博士とよく似たことを言ってるなと。。。
それもそのはず、國分功一郎さんが主に研究してきたスピノザユダヤ人。スピノザユダヤ教を信仰しきれなくなって、独自の思想(汎神論)を展開した人だ。
私には、迫害を受けた人の思想と相性がいいのかもしれない。
共通の認識としては、進化心理学の見識が大きいということかな。
そして、大事なキーワードは生化学アルゴリズム
生物学では心をそのように認識しているそうだ。
普遍で一貫した本質を持つ、「私」「主体」など存在しないという考え。
まさに、仏教の考えなんだけどね。
これは、大事なことだよね。
十界互具や一念三千にも通じてくる話だ。
思考は、阿頼耶識が縁に触れて発動する作用。
脳スキャンで観れば、言葉を発する前に脳が活動していることが分かるのだとか。
つまり、私たちの行動は「自分」の意思で決められているのではなく、進化圧ないしは宿業によって形成される、多くの生化学アルゴリズムからランダムに選択されていることになる。
阿頼耶識とは瀑布の如し。
この言葉が蘇って来た。
だから、なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)も再読したいと思っている。

それと、

もね。
脳科学進化心理学と、仏教哲学の共鳴。
読書によって思索が深められていくのが、私の唯一の楽しみなのだ。