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日蓮大聖人様の愛読書が文庫本になって発刊されましたよ:貞観政要 全訳注 (講談社学術文庫) (日本語) 文庫 – 2021/1/12 呉 兢 (編集), 石見 清裕 (翻訳)

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大聖人様の愛読書って御存じでしたか?

いやぁぁぁぁ!

感激も一入!*1

大聖人様御生誕800年の大佳節を、あの講談社さんが無意識に寿いでくださいました。

そう!

貞観政要の全訳注文庫版が発刊されたんです。 

貞観政要 全訳注 (講談社学術文庫)

貞観政要 全訳注 (講談社学術文庫)

  • 発売日: 2021/01/12
  • メディア: Kindle
 

こんなうれしいことはございません。

今までは、全文を読むのに苦労しました。

お金もかかりましたね。 

貞観政要 上 新釈漢文大系 (95)

貞観政要 上 新釈漢文大系 (95)

  • 作者:原田 種成
  • 発売日: 1978/05/01
  • メディア: 単行本
 
貞観政要 下 新釈漢文大系 (96)

貞観政要 下 新釈漢文大系 (96)

  • 作者:原田 種成
  • 発売日: 1979/01/01
  • メディア: 単行本
 

そう、この高価な本しかありませんでした。

いい本ですけどね。

でも、大きすぎて持ち運びはできません。

私は、長いこと全文掲載の文庫本でないかと、御祈念したこともありました。

そして、ついに、出来したのであります。

佐渡の国は紙候はぬ上、面々に申せば煩ひあり、一人ももるれば恨みありぬべし。此の文を心ざしあらん人々は寄り合ふて御覧じ、料簡候ひて心なぐさませ給へ。世間に、まさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず。当時の軍に死する人々、実不実は置く、幾か悲しかるらん。いざはの入道・さかべの入道いかになりぬらん。かわのべの山城・得行寺殿等の事、いかにと書き付けて給ふべし。外典書の貞観政要、すべて外典の物語、八宗の相伝等、此等がなくしては消息もかゝれ候はぬに、かまへてかまへて給び候べし。(佐渡御書583㌻)

重要法門を執筆された佐渡において、お取り寄せされた旨が確認できます。

大聖人様自ら、筆写されてもおられます。

そんな、貞観政要がどんな本なのか?なんで、私たちが読むべき本なのかについて、今回は取り上げてみたいと思います。

 

目次

基本情報

初版   700年頃
著者
太宗 李世民 626-649*2
※本書は太宗の言行を唐の歴史家呉兢(679-749 ※諸説あり)がまとめたもの

こんな人におすすめ

「リーダーの必読書」を読んでみたい人。リーダーに普遍的に求められる能力について知りたい人。

本書の背景

唐の太宗は、隋末の混乱以来残存していた突厥、西域諸国などを服属させるとともに、国内では律令制を整えた。また、豊かな農業生産、運河や交通網の整備、書画・工芸の発達などもあり、中国史上類を見ない輝かしい一時期を作り出した。この非常に平和でよく治まった時代を、当時の元号から「貞観(じょうがん)の治」と呼ぶ。

太宗が傑出していたのは、自身が臣下を戒め、指導する英明な君主であったばかりでなく、臣下の直言を喜んで受け入れ、常に最善の君主であらねばならないと努力したところにある。

本書は太宗とそれを補佐した臣下たち政治問答を通して、「貞観の治」における政治の要諦、帝王の目指すべき姿が語られる。

なお、全10巻40篇約280条からなる大巨編だが、角川ビギナーズ・クラシックスシリーズでは入門編として47条が厳選されている。

一行紹介

国史上有数の名君の一人と称えられる唐の太宗の言行録で、帝王学の教科書。元のフビライ・ハン、明の万暦帝、清の乾隆帝の他、源頼朝徳川家康明治天皇もこれに学んだ。

作者が伝えたい事

天下を治めるには「徳」が最も大切である。リーダーは常に謙虚に自らを律しなければならない。

書評

リーダーの在り方に関する哲学・倫理がテーマであるが、東洋の古典は、西洋に比べて、非常に実用的かつ具体的で、日本人には非常に馴染みやすく分かりやすい。

東洋ではまず過去の実例が示され、そこから得られる実利的な教訓が展開されることが多い一方、西洋ではしばしば「神」から演繹的に議論が始まる。根本原理がどうだの、イデアがどうだのといった、論理に論理を重ねる理性的な思惟によって超越的な原理を求める形而上学のような議論が多い。

その意味で、本書は古典的作品ではあるものの、西洋の作品よりはよっぽど読みやすくなっている。

要約・あらすじ

・リーダーには、自らを律することができ、人の意見を素直に聞くことができる人がふさわしい。そのために、リーダーは常に自分を諫めてくれる人を自分の周囲に置くべきだ。

・主君にしっかり仕え、諫めてくれる人材であれば、かつての敵でも区別なく重用すべきである。

・リーダー自らが善行を積み、徳を重ねる努力をした周は800年続き、逆にリーダーが奢侈を重ねた秦や隋は2代で滅びてしまった。前の轍を踏んではいけない。やはり自らを律することが大切だ。

・物事は始めること(創業)と、それを守ること(守成)のどちらが大切か。どちらも大切だが、今は創業の時を終えているので、守成を真剣に考えよう。状況に応じて考え方を変えることが必要である

・リーダーは平時の際に、有事に備えなければならない。平時だからと言って安穏と暮らしていると、いざという時に柔軟に対応できなくなる。

・隋の煬帝は、突厥から国を守るために、ひたすら長城を築いた。しかしそれより、しっかりした人を配置して国防にあたらせる方が賢い。国を守るのは城ではなく人である。

・リーダーは常に謙虚でいなければいけない。リーダーは船、人民や部下は水のようなものだ。水は船を乗せることも転覆させることもできる。また、曲がった木でも道具を使えば真っ直ぐになるように、リーダーも周囲の意見を聞き入れれば聖人になれる。

・直属の部下は、自分の右腕として柔軟に動けるようにしておくべきで、雑事に追われているようであれば、仕事を減らしてやらねばならない。

・政治は武力や法律ではなく、儒学や徳に基づいて行われるべきだ。役人は行政のプロであるべきだが、それ以前に儒学を修めた有徳の人でなければならない。

学びのポイント

まずは自らを律すること(ストア派哲学っぽい)

もし天下を安定させようとするのなら、まずは自分自身を正さなければならない。国が亡びる原因は、決して外圧ではなく、みなトップ自らの欲望によってその禍根 を作ってしまうのだ。

洋の東西を問わず、リーダー論では必ず「自己の制御」が問われる。例えばローマの五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、著書「自省録」の中で、このような主張をしている。

人間は神によって理性的に創られたのだから、理性に基づいて生きなければならない。自らの内なる「自然」に従わなければいけない。私利私欲や不機嫌等は理性で制御し、死・貧困・不健康等の理性ではどうしようもないものは粛々と忍ぶだけだ。

神という存在から演繹的に自己の制御を導き出すあたりは、いかにもヨーロッパっぽい。太宗はどちらかと言えば歴史から帰納的に導き出している。いずれにしても、言っていることは全く一緒である。

無知の知ソクラテスっぽい)

最近、良い弓矢を手に入れたので、専門家に見てもらったが「木目が良くない」という。私はこれまで弓(武力)で国を平定したが、木目のことすら分かっていなかった。ましてや、私が天下を取ってからまだ日が浅く、政治の本質などは、より理解が及んでいない。これに気付いた私は、部下から積極的に政治について意見を聞くようにした。

こちらはソクラテスっぽい。要は「自分は何も知らないという事実を謙虚に認識することが大切だ」という教訓である。

ソクラテスの場合は、「ソクラテスより知者はいない」という神託が真実かどうかを確かめるために、アテナイの人々と対話し、「人々は自分の無知さ加減を知らないか、私は知っている。その意味で私が知者だ」という結論に達する。

これも、先ほどのマルクス・アウレリウス・アントニヌス同様、神(神託)から議論がスタートしているあたりは、いかにもヨーロッパっぽい。

一方の東洋では、「弓の専門家が言ったこと」という極めて具体的で実利的な事例から、同じ教訓が展開される。西洋・東洋の発想の違いという点で、非常に興味深い。

リーダーは平時にこそ有事を思うべき

太宗は言う、

「国を治めるには、賢人や能力ある者を任用し、諫諍を聞き入れれば良いのではないか。難しいことではない」。魏徴は言う、「古より、帝王は、憂いや危険のあるときには、賢者を任用し、諫めも聞き入れるが、安楽な状態になると、必ず気持ちが緩んで怠慢になる。諫言しようとする者を、ただおびえさせることになり、国は滅びていく。安らかなときにこそ恐れなければならない」

と。

 

これは皇帝でなくとも、ビジネスパーソン全般に当てはまる教訓である。つまり、平時にこそ、最悪を想定して、何らかの予防策を打ったり、対応策をシミュレートしておけということだ。

ただ、人間は弱い。平時には「ああ、平和な時間が流れているなあ」と安心してしまう。「面倒なことが起こらないといいな」などとも思ってしまう。

しかし、それでは、何か不都合や面倒なことが発生した際に、「ああ、面倒だ」と後ろ向きに対応することになる。事前に備えておけば「ついに来たか!」と前向きに取り組めたりするものだ。

頭では分かるが、なかなか実行できない事柄の一つであろう。

最も有名な「3つの鏡」のエピソード

銅を鏡とすれば、衣服や冠を正すことができる。
古を鏡とすれば、世の興亡を知ることができる。
人を鏡とすれば、善悪を明らかにすることができる。
私は常にこの三つの鏡を保持して、自身の過ちを防いできた。

 

「3つの鏡」を以下のように解釈してみるのもいいだろう。

■鏡に自分を映し、元気で明るく楽しい顔をしているかチェックする(銅の鏡)

■過去の出来事しか将来を予想する教材がないので、歴史を学ぶ(歴史の鏡)

■部下の厳しい直言や諫言を受け入れる(人の鏡)これらの3つの鏡、つまり、今の自分の表情(状況)、歴史、第三者の厳しい意見を知ることがリーダーには不可欠である、ということです。

僕は、前職の時代から、現在に至るまで、リーダーのもっとも重要な役目は、「スタッフにとって、元気で、明るく、楽しい職場をつくること」だと考えています。

僕がこう思うようになったのは、太宗の教えに共感したからです。三鏡の話を読んでからは、部下の前ではできるだけ、不愉快な顔をしないことを心がけています。それがリーダーの最低限の務めです。
銅の鏡の部分にや意訳も含まれているが、「スタッフにとって、元気で、明るく、楽しい職場をつくること」というのは、これからの時代に特に大切な要素であると思う。

人と金をつぎ込めば成長できる高度成長期においては、合理性や論理性(=才)を大義名分に、部下を長時間労働で使い込み、不適なら交代させるという、グイグイ系のリーダーが求められた。

しかし、少子高齢化働き方改革コンプラ重視という流れの中、これまでより「人」という資源が希少なっている。よって、長時間労働パワハラなどはもっての他であるし、「やりがい」や「働きやすさ」が無ければ、人はどんどん会社を去って行ってしまう。

よって令和の時代においては、最低限の才に加えて、人間力(=徳)で、やりがい・成長・心理的安定性を提供し、部下の力を最大限発揮させるリーダーシップこそが求められる。「元気で、明るく、楽しい職場」というのは。この「やりがい・成長・心理的安定性」そのものであろう。

ただし、リーダーといえども、常に「元気で、明るく、楽しい」状態を維持するのは難しいことだ。何故なら、進化生物学的には、人間は生存と子孫を残すことに適した形で進化してきたのであって、決して「元気で、明るく、楽しく」生きるようにはは設計されていない。自然界の中で生きながらえられるように、ある程度の用心深さや悲観主義を本能的に持っているのである。

だからこそ、リーダーは「職業としての上機嫌」が求められるのであろう。もし、あなたの周囲に「先天的上機嫌」のように見えるリーダーがいたとしたら、その人は周囲からそう見られるように努力しているに違いない。

業務量のコントロールも上司の仕事

太宗は、部下2名が雑務に追われているのを見て「君たちは私の憂いと心労を助け、耳や目を広く開いて、優秀な人材を探し求めるべきである」と言い、それらの雑務をさらに下の役人に振った。

 

これはビジネスパーソンなら、誰でも経験のあるシチュエーションではないだろうか。「部下の動きが悪い」と嘆く前に、部下がしっかりと能力を発揮できる環境が整っているかを確認した方がよい。

その最たるものは、先ほども触れた「やりがい・成長・心理的安全性」であるが、業務量が多すぎて雑務に追われているようでは、やりがいは感じられず、成長もできず、心理的にも不安定になる。

業務量の調整は、上司の専権事項だ。そのためには優先順位を明確に示す必要がある。思い付きで部下の仕事を増やしていないか、上へのアピールのための仕事を生み出していないか、リーダーは常に自問自答する必要がある。

「才」は必要条件、「徳」は十分条件

最近の役人は法律に偏重しすぎていて、国がうまく治まらない。役人はもちろん法律や行政のプロでなければならないが、その前に、儒学を修めた有徳の人物でなければならない。

過去の皇帝を見ても、法に任せて統治した者(秦)は、一時的な弊害を救うことができても、滅亡もすぐにやってくる。一方、仁義を根本とした国(周・漢)は長続きした。

 

このサイトで繰り返し論じている「才」と「徳」の議論である。

皆さんの会社にもいないだろうか。確かに頭は良い。規則やルールについても精通している。言っていることは正しい。しかし、何か人間的魅力に欠け、周囲から敬遠されたり、慕われないような人が。

それが平社員なら、まだいい。自分の能力に応じて仕事をするだけだ。しかし、多くの部下を持つ立場だとしたらどうだろう。リーダーの仕事の一つは、部下の能力を最大限引き出すことだ。自分が10%増の力を出すより、部下各人に10%増の力を出してもらって方が、全体のパフォーマンスは上がる。

ましてや、天下国家を統治したり、企業を経営するといったトップ層には、やはり「徳」が求められる。なぜなら、「才」の部分は部下(或いは最近ではAI)が担ってくれるからだ。

トップが判断すべきは、何が正しく、何が善く、何が美しいかといった大局であり、それでこそ人民や部下はそれに安心して付いていける。国にしても企業にしても、最後に求められるのはやはり「徳」ということだろう。

本を読まねば

人は大いに学問をしなければならない。私は以前、武力で世を平定するのに忙しく、読書をする余裕がなかった。君臣父子や政治教化の道は、すべて書物の中に記されている。

昔の人はこう言っている。「勉強しなければ垣に向かって立っているようなもの(何も見えない)。いざ事に臨んだときにも、心が乱れるばかり」。これはでたらめではない。

 

武力で天下を取った太宗でも、国を治めるには学問が必要であり、そのためには読書が不可欠であると認めている。これは非常に興味深い。

先ほど「歴史の鏡」でも出てきたが、過去を知る術は「本」が圧倒的な割合を占める。人ではせいぜい100年前まで、芸術作品や遺跡は情報量が限られる。やはり本だ。

読書で過去と向き合い、人・仕事・芸術・異文化・体験などを通じて現在と向き合い、内省で将来に思いを馳せる。これらが徳を磨くために必要な要素であろう。

ポリ銀のつぶやき

裸の王様になっていないか

昔、皇帝に諫言した家臣が、罰として処刑されたと本で読んだ。これには嘆息するばかりだ。皆は、ひたすら正しい主張で忌憚なく私に諫言し、政治に役立つようにせよ。

強く諫言して私の意に背いたからといって、みだりに責めて処罰したりはしない。

これはビジネスパーソンにも、そのまま当てはまる。役職が上がるにしたがって、自分を批判したり、誤りを正してくれる人は少なくなる。しかしそれに気付かず、「偉そうに」している人のどれだけ多いことか。

ちなみに「最近、飲み会が楽しくなってきた」と感じている年長者の方がいらっしゃれば、気を付けたほうがいい。それは「周囲の人に年下が多くなり、自分の話を全肯定で聞いてくれる人が増えた」だけである。

一時期、「#忘年会スルー」とか「#飲み会スルー」という言葉が流行った。最近の若者は飲み会を回避する傾向があるという。いやいや、それは若者が原因なのではない。単純にそれは年長者が彼らの身になる話や、興味深い話を提供できていないということだろう。

特に20代は、自分の成長に投資しなければいけない大切な時期。若者は自分を伸ばす、或いは本当に楽しい飲み会にのみ参加すべきだし、年長者はくだらない飲み会で若者の貴重な時間を奪ってはいけない。

中国の壮大さと末恐ろしさ

隋の煬帝離宮に出かけたところ、その庭の様子が気に入った。しかし、蛍がいないのを残念に思い、「蛍を捕まえてきて、宮中で闇夜を照らせ」と命じたところ、役人はにわかに数千人を派遣して蛍を採集し、車五百台分の蛍を離宮に送った。

さすが中国、スケールが違う。文脈としては、煬帝の私利私欲がよく見えるエピソードということで語られるが、それにしても煬帝への忖度っぷりが凄い。中国の皇帝となると、とてつもない権力を握れるということの証左である。

翻って、今の習近平共産党総書記はどうか。メディアを通じての姿しか捉えられないが、どちらかというと質素で地味なイメージである。演説もそれほど派手な演出はせず、淡々とやっている。一方、ウイグル弾圧等、やっていることは手厳しい。権力は集中しているが、あまり強力なリーダーシップを見せないように配慮しているのであろう。

ちなみに、「焚書坑儒」というのもスケール感が凄い。おさらいをすると、焚書坑儒とは、紀元前213年、秦の始皇帝が自らの専制支配を貫徹するため、民間にあった医学・占術・農学以外のすべての書物を焼かせ (焚書) 、翌年帝を非難する儒者460人を生き埋めにした (坑儒) こと。現在、中国共産党が実施しているネット検閲(中国ではGoogleFacebookが閲覧不能)に通ずるところがある。

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太宗は、織田信長豊臣秀吉徳川家康を三位一体化したような、スーパーヒーローだったと言えるのではないでしょうか?



 

*1:たった3画で書き終わってしまうシンプルなこの日本語、いったいなんと読むのでしょうか?「いちいり」や「いちにゅう」と読んでしまいそうですが、違います。この日本語も読み方を聞けば誰でも知っている言葉なのですが……ここでヒントを見てみましょう。こちらの日本語は、次のように使われます。「苦戦の末の優勝だけに、喜びも一入だ」「できあがったものを見て、感激も一入です」など。読み方がなんとなく想像できましたか?では正解を見てみましょう! 「一入」の読み方は……「ひとしお」でした!デジタル大辞泉小学館)によれば、「一入」の意味は次のとおりです。(1)ほかの場合より程度が一段と増すこと。多く副詞的に用いる。いっそう。ひときわ。(2)染め物を染め汁の中に1回つけること。普段使っている意味はもちろん(1)のほうです。ちなみに「ひとしお」をスマホで変換しようとすると「一塩」や「一汐」と出てくることがありますが、これらは全く意味が異なりますのでお気をつけください。

*2:唐を建国した李淵の第2子。兄の李建成を殺害し、父の李淵を幽閉して第2代の皇帝太宗(在位626~649年)となった。このような異常な方法で権力を握った皇帝であるが、統治者としては中国史上でも有数の名君とされ、その統治は「貞観の治」と言われている。