1171夜:石原慎太郎さんの死に、天人五衰を観たというハナシ。
石原さんは俺の両親の同級生。
昭和7年の生まれだ。
俺の母は、石原裕次郎に憧れ、石原慎太郎を尊敬していた。
創価学会員だったのに。
慎太郎さんはアンチ創価。霊友会のシンパだったように記憶している。
石原裕次郎は、俺ら世代のボス。
「太陽にほえろ」とか、「西部警察」で後ろに控えている大御所様。
今年50歳になる予定のジジイの記憶ですら、裕次郎はオワコンだった。
その兄貴が今年逝った。
遺された子供は60歳クラス。
歴史上の人物だよね。
さて、思い出深いのが、東京都知事時代と「法華経を生きる (幻冬舎文庫)」かな。
1991年の大学学園祭に、ゲストとして呉智英が呼ばれてて、大学生に向かって東京都知事クーデター論をアジってたのが印象的だったんだ。
結構、説得力のある話で、警視庁の機動隊がクーデターを起こせば、自衛隊に勝てるという話だった。石原慎太郎なら、クーデターもあるかな?なんて、期待したものだ。
皇居を占拠して市街戦に持ち込めば、田舎者集団の自衛隊は大型火器を使用できない。
警察署・交番・駐在所・パトカーをアジトに抵抗すれば、自衛隊は的になるだけ。
そんな論説を顕正会時代の俺は真に受けていたんだ。
当時、熱心に読んでいた本が、文明の衝突 (上)(下)巻セット (集英社文庫)と法華経を生きる (幻冬舎文庫)だった。
サミュエル・ハンチントンの終末論と、石原の実存主義的法華経解釈に、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
実際、世界は文明の衝突が予言したような状況になっている。
そして、日本の国は実存主義者の予言した通りの、末人の跳梁跋扈する社会になってしまった。
末人とは何か?
ニーチェは19世末に、今後100~200年先の未来には、自分の生きている意味も目的も見出せない人間で充満すると予言した。
これが末人である。
そう、俺たちの姿だ。
石原慎太郎の師匠、三島由紀夫の危惧していた未来だ。
それでも、俺にとって石原慎太郎は憧れの存在だった。
弟が石原裕次郎で、自分は大学在学中に「太陽の季節」で芥川賞受賞、映画化すれば大ヒット、国会議員・都知事になり、子供たちも大活躍。。。
まさに人界に生きる天人だ。
福運の壮絶さを思い知らされた感があった。
しかも、シナと朝鮮の前に立ちはだかり、アンチ創価、アンチパヨクの権化になった。
書いた本は概ねベストセラー。。。
末法に咲いた天上の徒花。
焼け跡世代のスターだ。
それでも、最期は天人五衰を顕した。
死の年近年。
国会議員だった二人の息子が落選。
石原プロダクションの解散。
健康オタクは老衰できずに、膵臓癌の苦しみを味わった。
結局、大聖人様の御金言が正しいことを確信したんだよね。
道心あらん人々は此を見きゝて悦ばせ給へ。正像二千年の大王よりも、後世ををもはん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此を信ぜざらんや。彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱ふる癩人とはなるべし。(撰時抄838㌻)
癩人とはハンセン病患者のこと。
末法に天界の果報を受ける人は、逆説的に仏法に巡りあいにくい。
この逆説。。。納得できるかな。
三島由紀夫さん、山本七平さん、西部邁さん、etc.。。。賢い人が日蓮正宗に縁出来なかった不運。
法華講員に飼われている犬猫の方が、彼らよりも福運の持ち主だというパラドックス。
天人五衰は人間の死よりも悲惨だという姿。
納得できるだろうか。