日蓮正宗のススメ

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ダメおやじの御書拝読:「法蓮抄」~親不孝を後悔している人に~

是は書写の功徳なり、五種法師の中には書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり、今の施主・十三年の間・毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏・乃能究尽なるべし夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり、涅槃経四十巻の中に集りて候いし五十二類にも自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか(法蓮抄・平成新編818)

法蓮法師は毎朝口より金色の文宇を出現す。此の文字の数は五百十字なり。一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放つて大地をつきとをし、三悪道無間大城を照し、乃至東西南北、上方に向つては非想非非想へものぼり、いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん。我をば誰とか思食す。我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり。此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん手とならんとこそ、ねんごろに語らせ給ふらめ。其の時、過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向つておがませ給ふらん。是こそ実の孝養にては候なれ。(法蓮抄・平成新編819)

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法蓮抄を拝読いたしました。

学ぶことの多い御書ですが、特に心に残りましたのは、自我偈の功徳の大きさと追善供養の大切さを、日蓮大聖人様がお教えくださっていることです。

今の法華経の文字は皆生身の仏なり我等は肉眼なれば文字と見るなり、たとへば餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり、此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず肉眼は黒色と見る二乗は虚空と見・菩薩は種種の色と見・仏種・純熟せる人は仏と見奉る(法蓮抄・平成新編819)

法華経の御文字は一文字一文字が仏様だそうです。

法蓮法師は毎朝口より金色の文宇を出現す。此の文字の数は五百十字なり。

とありますので、自我偈を1回唱えれば五百十人の仏様がお出ましになるのですね。ありがたいことです。

その功徳は、「唯仏与仏・乃能究尽なるべし」との仰せですから、まさに功徳無量ということでしょう。ありがたいことです。

そのような仏様が、先祖のところへ行って「此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん手とならんとこそ、ねんごろに語らせ給ふらめ。」と救ってくださるそうです。

毎日の勤行・唱題・回向は大切だと実感いたします。

御書拝読の感激は、文章ではなかなかすべてをお伝えできませんが、日蓮正宗で信仰をする人は、自分が人生を切り拓いていけるだけでなく、父母や先祖累代、御縁のあった恩人等にも、生前出来なかった報恩の御礼が叶うことを確信していただきたいのです。

いやむしろ、生前にどのような贅沢や歓楽を与えていたとしても、死後永遠の時を放置してしまえば、むしろ不孝となってしまうのです。

どうか日蓮正宗に帰依し、血脈の通った本物の御本尊様に手を合わせ、勤行・唱題の修行をしてみてください。また、命日忌やお盆・彼岸に御塔婆供養をしてあげてください。

夢で笑顔の両親に出会えることでしょう。

私は叶いました。

妙光寺様の日曜講話でも「法蓮抄」のことが説かれております。ぜひ、ご一読を。 

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