エセー Les Essais

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私が自分の息子を母の生まれ変わりだと思う理由

私の母は、昭和62年に54歳の若さで他界しました。 日蓮正宗創価学会の婦人部員でした。 当時は創価学会員も日蓮正宗の御僧侶に、葬儀の導師をしていただくことができました。 私の母も通夜・葬儀・戒名・初七日~七七日・百箇日・一周忌・三回忌と、全ての法要を日蓮正宗で執り行っていただくことが出来ました。 母の死因は多発性骨髄腫でしたが、死後の相は生前より美しく、出棺の時も軽く柔らかくて、当時中学3年生だった私は、仏法の凄さの一分を母の成仏の相によって感じることが出来たと思っています。 葬儀に参列してくれた、創価学会員だけでなく、信心をしていない母の介護をしてくれたおばさんや、中学校のPTA関係者も、「まるで生きているようだ」と、驚きの感想を私に言ってくれたのです。 昔の創価学会員の葬儀はオープンで、参列者に死相を自慢するのが普通でした。 母は、多発性骨髄腫と診断された時には、余命3ヶ月の診断を受けました。 昭和61年の11月頃のことです。 その年末は、自宅に帰って家族と最後の時間を過ごすことが許可されました。 母と二人になった時、母は泣きながら私にこう言いました。 「大人になるまで面倒を見てあげられなくてごめんね。できるなら信心の力で完治してみせたい。でも、どうしても死んで行かなければならないのなら、必ずお前の子供になって生まれてくるから。お前のことを面倒見るから。。」 私は、母にかける言葉を探しましたが、何も言ってあげられませんでした。 ちなみに、この親子の因縁話には、母方の祖母の因縁も存在しているのです。 それは、私が母方の祖母の生まれ変わりかもしれないのです。 祖母は私が生まれる直前に亡くなりました。 交通事故で入院していたので、孫がもうすぐ産まれるからと勇み足をして、帰宅の準備をしようとしてベッドから転落し、頭を打って昏睡したまま亡くなったそうです。 祖母は法華講員でした。 母は幼いころの私の顔を見ては、「母さんが交通事故した時の傷とそっくりの痣がある。」と言い、「母さんが生まれ変わってきてくれたんだね。」と嬉しそうにしていました。父は祖母が嫌いだったらしく、憮然として否定していましたが。 それで、うちの息子の話に戻りますと、生まれたのが平成9年の11月でした。 空には大きな彗星が出ていた年です。 また、そのころ顕正会に入っていた私は、全く知りませんでしたが、創価学会員がこの年の12月に信徒資格を喪失します。 息子は、ギリギリのタイミングで出生したことになりますね。 息子には、その顔立ちから、性格、嗜好など、時々ハッとするくらい母を想像させる振る舞いや言動がありました。また、父親の私を幼いころから心配して、出かけようとすると「どこにいくの?何時に帰ってくるの?気を付けてね」と、どっちが親なの?と思うことがありました。 一度など冬の夕方6時ころに帰宅した時、「遅いから心配で警察に届けようかと思ってた。」と言われたことがありました。小学生の息子が暗くなって帰ってきたら、そういうこともあるでしょうが、当時40前の私が。。。なんで息子に。。。心配されるのかと、家族で笑い合ったことも。 そして、妻も息子も不思議なことではありますが、顕正会への入会は頑なに拒んでいましたが、私が法華講に入ると進んで自分たちもお寺に入って信心を始めました。 私が法華講に入って御書を購入し、初めはお手紙を中心に研鑽していたころのことです。 御書のとある箇所に目が留まりました。
沙羅樹王仏と申す仏とならせ給ふ。生提女と申せし女人は、慳貪のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、目蓮と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候ひぬ。されば子を財と申す経文たがう事なし。   故五郎殿はとし十六歳、心ね、みめかたち人にすぐれて候ひし上、男ののうそなわりて万人にほめられ候ひしのみならず、をやの心に随ふこと水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いへにてははしらとたのみ、道にてはつへとをもいき。はこのたからもこの子のため、つかう所従もこれがため、我しなばになわれてのぼへゆきなん、のちのあとをもいをく事なしとふかくをぼしめしたりしに、いやなくさきにたちぬれば、いかんにやいかんにやゆめかまぼろしか、さめなんさめなんとをもへども、さめずしてとしも又かへりぬ。いつとまつべしともをぼへず。ゆきあうべきところだにも申しをきたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこしへもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をもほらざるべきとをぼしめすらむ。   やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使ひとして、りゃうぜん浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏と申して、大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、しをはみちひぬ世はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ。恐々謹言。(上野尼御前御返事1553㌻)
この御書は、南条時光殿のお母様に宛てられたお手紙です。 時光殿の弟さんは若くしてお亡くなりになりました。 私と母との関係は逆ですが、信心を縁として親子が必ず巡りあえることをお示しくださっています。 私は生前の願いを叶えて、私の息子となり、日蓮正宗信徒としての人生を歩んでいるのだと、確信しました。 日顕上人様のお書き物に、
がございますが、その中に眷属妙に関する説明があります。 その中の下種仏法中の願生眷属妙ないしは、業生眷属妙なのではないかと拝しているのですが。 興味おありの方は、購入して拝読なさってみてください。
過去の宿縁追ひ来たって今度日蓮が弟子と成り給ふか。釈迦多宝こそ御存知候らめ。「在々諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ。(生死一大事血脈抄514㌻)
の御金言が思い出せれます。 ちなみに、息子は私の母の生まれ変わりであることを全否定しておりますが。。。