日蓮正宗のススメ

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1179夜:人間関係に悩むあなたへ、信心で解決できた人のハナシ

引用元:人間関係を改善したい | 日蓮正宗 法道院

T. Sさんは、職場でパワハラを受けていました。

暴言を吐かれたり、不当な評価を受けたりする日々。
T. Sさんは「復讐してやる」という想いを抱き、パワハラの記録を残すようになりました。

しかし、仏法に触れることで考えが変わり、復讐が愚かな行為、虚しい行為であると気づきます。

御本尊ごほんぞんに向かって御題目おだいもくを唱えることで、煩悩に対する正しい向き合い方を知ったT. Sさん。
信仰を続けることで、明日につながる道を見つけたのです。

体験談の途中にある仏法解説も併せてご覧ください。

※ この体験談の詳細については、法道院機関紙『法之道』第1460号をご覧ください。

私は、職場である介護施設の上司や先輩からパワハラを受けていました。

暴言を吐かれたり、不当な評価を受けたりといったことが、何年にもわたって続いていたのです。もちろん、黙って受け入れていたわけではありません。必ず復讐してやろうと思っていましたし、ボイスレコーダーも購入して、パワハラを受けた日時や場所、内容などを文章として残していました。

「いつかこれを公にして、職場にいられなくしてやる」。

そう思いながら、悲しい記録を続けていたある日のこと。私は偶然、日蓮正宗を信仰している方と知り合いになり、法道院に参詣さんけいする機会がありました。

特に、仏教に興味があったわけでも、信仰を求めていたわけでもなく、ほんの軽い気持ちでついて行ったに過ぎません。しかし、御僧侶から日蓮正宗の教義などについて丁寧な説明をしていただいたことで、だんだんと惹かれていく自分がいることに気づきました。

日々の修行である勤行ごんぎょう(御本尊ごほんぞんに向かって法華経ほけきょうを声に出して読み、「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう」の御題目おだいもくを唱えること)を続ける自信はなかったものの、御僧侶が「まずは信じることから始めてみませんか?」とおっしゃってくれたこともあり、私はその場で入信を決めました。

今にして思えば、何かを変えたいと思っていたのでしょう。実際、仏法に向き合う生活を始めるにあたり、お寺でご一緒した方が話してくれた言葉が心に強く残っていました。

「信仰を続けると、その人の生命は少しずつ磨かれてきれいになっていきます。すると、自然と自分自身が変わり、周りも変わっていくんですよ」

正直、正座をすることすら辛かった私は、お経を唱えながら「本当に何かが変わるんだろうか?」と考えてしまうこともありました。しかし、私はこの言葉を信じて信仰を続けようと決意し、お寺の行事などにも積極的に参加しようと努めました。

そんな日々を過ごす中で、私は小さな変化に気づきました。上司や先輩に対する復讐心が、徐々に弱くなっていくのを感じたのです。さらに、その復讐心を改める出来事がありました。御主管ごしゅかんの御法話ごほうわを聞いた時です。


「『日蓮正宗の信仰をすると、ああいう人になれるのか』と思われるような人になりなさい」

この言葉を聞いた瞬間、今までやろうとしていたことは虚しい努力に過ぎず、何も生まないのだと実感しました。そして私は、溜めていた記録をすべて処分し、ボイスレコーダーを持ち歩くこともやめ、プラスの方向に力を発揮しようと決心しました。

もちろん、職場での対応がすぐに変わるわけではありませんでした。しかし、私自身のちょっとした振る舞いが以前と違っていたのでしょう。だんだんと味方をしてくれる同僚が増えていくような気がしました。さらに不思議なことに、人事異動の際には、パワハラをしていた上司や先輩とは違う部署に配属されることになったのです。

新しい部署には新人が多く、今まで「何をやらせても人並み以下だな」と言われていた私が仕事を教える立場になりました。

後輩には、私と同じつらい目に遭わせたくない。そう思いながら、難しい介護技術などは分かるようになるまで何度も教え、いい仕事をしたら公平に褒めるよう心がけました。おかげで後輩にも慕われるようになり、私自身、仕事が楽しいと思えるようになっていきました。

なぜ復讐心が薄れたのか?
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)
仏法において、人の苦しみや悩みの原因は、迷いの生命の根源である「煩悩」から引き起こされると説かれています。日蓮大聖人にちれんだいしょうにんは『当体義抄とうたいぎしょう』というお書き物の中で、「正直に方便(仮の教え)を捨てて、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道さんどうが法身・般若・解脱の三徳と転じる」と示されています。つまり、日蓮大聖人の仏法を信受し、題目を唱える功徳くどくによって、自身の煩悩(衆生の生命に具そなわる欲望や妄信)・業(その欲望や妄信によって起こる身と口と意の3つの所作)・苦(煩悩や業を原因として招いた苦しみの結果)の三道が、清浄にして不動の心(法身)となり、深い智慧と慈愛に満ちた人間性(般若)を開発し、人生を自由自在に遊楽(解脱)させる働きをもたらすと示されているのです。

T. Sさんはパワハラをしていた上司に対し、自身の受けた苦しみを相手にも味あわせようと、煩悩を中心とした考えによって復讐に燃えていました。しかし、仏様に向かい題目を唱える中でT. Sさんの心は清浄となり、慈愛に満ちた人間性が現れ、今までやろうとしていたことでは何も生まないと感じたことで、復讐の心が薄れたのです。

その後、私は働いていた介護施設を辞め、介護士から介護支援専門員(ケアマネジャー)にステップアップする道を選ぶことになります。最後の出勤日には職場の皆さんが総出で見送りをしてくれるとともに、次長からは「君はこれからこの施設の代表として巣立つのだから頑張れ」という激励の言葉をいただきました。

信仰を続けることで私が変わり、私が変わったことで周囲の環境も変わりました。

あの日、法道院に行かなかったら。日蓮正宗に入信しなかったら──私は復讐という愚かな行為に手を出し、今のような結果は絶対に得られなかったでしょう。

新しい職場では、介護サービスそのものの内容を考える仕事をこなすとともに、介護士としての経験を若い職員に伝えるための勉強会を担当させてもらえるまでになりました。上司や同僚との関係も良好で、とても充実した日々を過ごしています。

なぜ環境が変化したのか?
依正不二(えしょうふに)
仏法には「依正不二」という原理が説かれています。「依」とは「依報えほう」のことで「環境」を指し、「正」とは「正報しょうほう」のことで「自分自身」を指しています。つまり、依報(=環境)と正報(=自分自身)が不二(2つのものではなく一体であること)であるとは、自分自身と環境は常に影響を与え合っているということです。

T. Sさんは正しい御本尊に御題目を唱えるようになったことで、人間が持つ最大・最高の生命状態である「仏界」を朝と晩に現せるようになりました。それを毎日継続した結果、T. Sさんの生命は磨かれて綺麗になったのです。また、「自分自身」の良い生命状態が、「環境」である職場にも良い影響を与えたことで周りから慕われるようになり、T. Sさん自身も楽しく仕事に励めるようになりました。

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法道院 様
 

法道院の歴史
総本山大石寺たいせきじの末寺である法道院は、東京における日蓮正宗の信仰の道場として、明治31年(1898年)12月12日に建立されました。

御開基かいきの(にちおう)上人は、総本山第五十六世の御法主ごほっす上人のお立場でありながらも、帝都・東京への布教を志され、法道院を建立されました。その後、太平洋戦争前後の厳しい激動の時代を乗り越え、平成30年(2018年)に創立120周年を迎え現在に至ります。

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