日蓮正宗のススメ

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1182夜:心のモヤモヤは信心で取り去ることが出来るのでしょうか?

引用元:心を元気にしたい | 日蓮正宗 法道院

T. Sさんは、中学生の時に不登校という道を選びました。

何もせずに1日が終わるという日々を過ごす中で、
T. Sさんは徐々に「生きていてもしょうがない」と、自殺まで考えるようになります。

変わったきっかけは、法道院への 参詣さんけいでした。

朝夕の 勤行ごんぎょうや折伏しゃくぶくを続けるうちに仏様の縁に触れ、だんだんと元気になっていくT. Sさん。
信仰を続けることで、明日につながる道を見つけたのです。

体験談の途中にある仏法解説も併せてご覧ください。

※ この体験談の詳細については、法道院機関紙『法之道』第1432号をご覧ください。

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法道院 様

私は中学3年生の時に、不登校になりました。

誰かにいじめを受けたわけではありません。ある日突然、「無気力」になってしまったのです。毎日同じことの繰り返し。学校も家庭も面白くない。そう感じていた私は「何のために生きているんだろう?」と物思いにふけるようになり、ひどい時には「生きていてもしょうがない」と、自殺まで考えるようになっていました。しかも、そんな考えが一度や二度ではなく、何度も頭をよぎるのです。

他の人と変わらない普通の生活を送っていた中で、突如襲ってきた地獄のような精神状態──今考えると、当時の私はうつ病を発症していたのではないかと思います。

なぜ、生きていてもしょうがないと
思ってしまうのか?

十界じっかい①
仏法では、人の生命を大きく十種類の状態に分けた「十界」という教えがあります。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上てんじょう・声聞しょうもん・縁覚えんがく・菩薩・仏の十種の境界きょうがいで、この境界は周りのさまざまな縁に触れて現れます。

十界について
地獄界
瞋(いか)りと苦悩の境界。自分自身を少しも反省することなく、周りのすべてに不満を抱き、妬みや憎しみで苦しみ続ける状態。
餓鬼界
あれも欲しい、これも欲しいと欲を貪ってしまう境界。満足することを知らず、限りない欲望の虜となって、常に満たされず苦しみ続ける状態。
畜生界
理性を欠き、本能的欲求によって行動する境界。目先のことしか見えず、未来も考えることができない状態。
修羅界
常に他人より勝ることを考え、争ってしまう境界。自分の本心は見せずに、従順を装ったり、心に裏表がある状態。
人間界
穏やかで落ち着いた境界。人間らしく平静でいられる。
天上界
永続性のない快楽の境界。一瞬だけ喜びを感じるが持続することはない。
声聞界
仏の教えを聞き、自分を人間的に豊かに、向上させようとする境界。知識や教養を身につけ、自分を磨こうとしている状態。
縁覚界
1つのことを研究し、何かの法則の一部を解明したり、新しいものをつくり出せた充実感や喜びを感じる境界。芸術家が創作活動をしたり、学者が真理を発見したりすることも縁覚界の働きと言える。
菩薩界
自らの悟りを求めるとともに、周りの人を救済しようとする境界。慈悲を持って生き、見返りを求めることなく困っている人を苦しみから救おうと考える。
仏 界
日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が顕(あら)わされた御本尊(ごほんぞん)に向かって「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」と唱えることによって湧いてくる境界。周りの環境に左右されず、何があっても崩れることのない絶対的な幸福境界で、最高の生命状態。

 

中学生当時のT. Sさんは地獄のような精神状態と語っているように、十界で説くところの「地獄界」の境界にいました。そのため、常に苦しみの生命状態となり、生きていてもしょうがないと思うようになったのです。

その後、私は人との関わりを避け、実家を出て祖母の家で暮らし始めました。

とはいえ、祖母と何かをしていたわけではありません。むしろ、気力はなくなっていく一方でした。その頃の私は、特に何もすることなく1日が終わっていくという毎日を、ただ繰り返していたのです。心配した両親が会いに来た時も、嫌ったり憎んだりしているわけではないはずなのに、泣きながら追い返すことしかできませんでした。

祖母や両親の助けもあって何とか高校を卒業でき、大学に進学することもできましたが、「人と関わりたくない」という考えが変わることはありませんでした。

自分の殻に閉じこもって、ほとんど学校に通えることができない日々を過ごしていた私を変えてくれたのは、日蓮正宗を信仰している幼馴染でした。

実は、私の家庭も日蓮正宗を信仰していました。とはいえ、両親は日々の勤行ごんぎょう(御本尊ごほんぞんに向かって法華経ほけきょうを声に出して読み、「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう」の御題目おだいもくを唱えること)をほとんどしておらず、私自身にも信心などありませんでした。そのため、幼馴染が信仰をしようと声をかけてくれても、最初は断り続けていました。

しかし、何度も誘われて根負けしたとでも言いましょうか。私は一度だけと思い、幼馴染の知り合いという日蓮正宗信徒の家を訪問してみることにしました。そしてその時、ずっと気になっていた宗教に対する疑問をぶつけてみたのです。


今にして思えば、若者特有の独りよがりな考えを吐き出そうとしただけだったのかもしれません。しかし、そのご信徒は私の疑問に1つずつ丁寧に答えてくださり、私は初めて、日蓮正宗の正しさを知ることができました。そしてその帰り道、私は信心を改めてみようと決意します。「自分を変えるのは今しかない」。そう思ったのです。

私は翌日から、自分の行動を変えてみました。

朝夕の勤行を続けながら、法道院に参詣する日々。そんな、今までとは違う毎日を過ごす中で、私は幼馴染のご両親から「生命力がついてきた」と言ってもらえるほどになり、私自身も、「この信仰は間違いない」と確信が持てるようになりました。

そして、だんだんと学生部の活動にも参加できるようになる中で、他の人に正しい信仰を伝えていく「折伏」という仏道修行を知ることになります。

 

人との関わりを避けながら生きてきた私にとって、人に何かを説明したり、自分の想いを伝えたりすることは大きな苦痛でした。しかし、友人の悩みを聞き、日蓮正宗の話をしていく中でその人の幸せを真剣に願うようになり、同時に、自分の命が知らず知らずのうちに元気になっていくのを感じたのです。人の目を見て話すことすらままならなかった以前の自分と比べると、この変化はとても大きなものでした。

なぜ、知らず知らずのうちに
元気になったのか?

十界②
T. Sさんが毎日朝夕の勤行の中で正しい仏様という最高の縁に触れ、人の幸せを願い行動することで、十界のうちの最高の境界である「仏界」の生命が現れ、これにより知らず知らずのうちに元気になってきたからです。

私は中学から大学までの8年間、生きていくのが辛く、人との関わりを絶ちながら何事にも無気力、無関心で暮らす日々を過ごしてきました。そんな自分を、自分自身ではどうすることもできませんでした。しかし、日蓮正宗の信仰を続けていくうちに生命力が培われ、人と積極的に関わろうとするまでに変わったのです。

大学では、自分のやりたいことを見つけました。毎日元気に生きる喜びを知った私は、これからも日蓮正宗の信仰を続けながら、大学での勉強に励み、いずれ社会や人の役に立つ人間になっていきたいと思っています。

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