日蓮正宗 法華講員の体験談 「眼病からの復帰」
思い起こせば若い日、父母に捨てられ、祖母と生きた日、信心七年目にして両眼を失明し、唱題をすればする程病状は悪化し、三カ月位したころ、申し訳ないことですが信心しても大丈夫なのかなと不信を起こしました。そんなとき、たまたま親類の人が来て、「信心しても眼が見えなくなるのか」と言われた時、自分の信心の未熟さに気付き「眼が見えなくても信心しているんだ、あなたは元気でなぜ信心しない」と折伏し、三十分たらずで入信を決意させました。
それからしばらくして、八十余才の祖母がある朝「お前を残しては死ねないから一緒に死んでくれ」と言ったのです。その時私は「家には御本尊様がある、どこまでゆけるか唱題しよう」と言い、涙ながらに五十時間、夜も昼も唱題したのです。三日目の朝、とうとう御本尊様の前に倒れ意識を失いました。何日かして病院へ行くと、病院長は一目で「この病気は治りません」と言ったきりでした。
私はその時、「あーこれは御本尊様が救ってくださるのだ」と、思わず駆けだしたい気持ちになりました。不思議にその日から薄皮をはぐように一日一日と快方に向かい、そのうち朝と晩の区別がつくようになり障子の組子が見えるようになったのです。今はメガネもかけておりません。
「病によりて道心はをこり候也」との御金言の如く、御本尊様に助けていただいたのだから、と決意し、それから得度をし、今は日蓮正宗の僧侶の端っこに加えさせていただいているのであります。
このような体験から唱題こそ一切の功徳があることを確信します。頑張ろうー全国の我等法華講衆が頑張っています。日寛上人の仰せのように「信心のまづしき」者にならないように貫徹して、六万総会には晴れて全国の皆様と共に笑顔で「頑張っちゅうかネェー」と言葉を交わし、御法主上人猊下の御前に、そして御戒壇様のもとに集おうではありませんか。
(「大白法」平成六年三月一日号)