日蓮正宗のススメ

凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり。

朝夕の勤行・唱題で乗り切ることが出来ました。

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常にお題目を唱えながら

一週間をなんとか乗り越えることが出来ました。

今日は、所属寺院の御会式です。

家族そろって参詣し、罪障消滅を御祈念してまいります。

日蓮正宗の信心とは何か?

私なりに苦難のなかで考えることが多かったです。

やはり、自分自身と真摯に向き合うことなのではないでしょうか?

日蓮正宗の信心をして目指すことはただひとつ、”即身成仏”であります。

かけがえのない一生のうちに、成仏させていただくことが目標なのです。

その修行の中で、罰も功徳も感じることの大切さを思い出しました。

皮肉なことですが、今の状況になったおかげで、朝夕の勤行がきちんとできるようになりました。

人間関係も職場での評価も変わってきました。

掃除を懸命にする姿で味方が増えたように思うのです。

愚痴の心で掃除するのではなく、”よし、ピカピカにしてやろう”と思うこと。

その大切さに気付きました。

まだ、当分の間は今の状況が続きそうですが、腐らずに頑張りたいと思います。

ただ、職業観を見直そうと反省させられました。

人類の総人口は推定で70億人と言われています。

法華講員数を仮に80万人と仮定しても、

80万人÷70億人=0.00011428571です。

つまり、現在の人口比だけで考えても、たったの0.01%くらいの僥倖に出逢ったような、有り難い存在なのです。

天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」妙楽大師云く「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る、安楽行品に云く末世法滅の時なり」又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云、夫れ釈尊の出世は住劫第九の減・人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間・在世五十年・滅後二千年と一万年となり、其の中間に法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願に云く「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも欝頭羅弗とはならじ」と云云。(撰時抄)

信心修行を優先できる職業に就くべきでしょう。

たとえ今よりも収入が少なくなったとしても、カレンダー通りに休みが取れて、有給休暇も取得しやすい職場に。

今すぐには転職は不可能ですが、仏法修行中心の生活に切り替えていけるよう、御祈念していきたいと思っています。

御僧侶に「仏法を後回しにしないほうがいいよ。」と御指導いただいたことがあります。

優しい方でしたので「仏法を優先すべき」とは仰りませんでした。

創価学会顕正会のような組織至上主義と誤解しないよう、ご配慮された言葉だったのでしょう。

でも、よくよく考えて見れば当たり前ですよね。

現在の私たちは、自分で職業を選択しているわけですから。

朝早く、夜が遅い仕事を選んで、勤行もまともにできない環境に身をおくよう、仕向けたのは私自身なのですから。

考え方が間違っていたと、大聖人様が気づかせてくださった。

そのように思っています。

日蓮正宗信徒としての、貴重な残りの人生を無駄に過ごしては、「万劫必ず悔ゆ」との日寛上人様の御指南に背くことになってしまいます。

当流行事抄第五    日寛謹んで記す 

大覚世尊、教を設くるの元意がんいは一切衆生をして修行せしめんがためなり。
 修行に二有り、
所謂いわゆる正行及び助行なり。宗々殊なりと雖も同じく正助を立つ、同じく正助を立つれども行体おのおのことなり。流々の正助は今論ぜざる所なり、当門所修の二行の中に、初めに助行とは方便・寿量の両品を読誦し、正行じんじんの功徳を助顕す。たとえば灰汁かいじゅうの清水を助け、えんべいめんの味を助くるが如し、故に助行と言うなり。此の助行の中に亦ぼうしょう有り、方便を傍とし寿量を正と為す。是れすなわ遠近おんごん親疎しんその別有るにる故なり、傍正有りと雖もともに是れ助行なり。

次ぎに正行とは三世諸仏の出世の本懐、法華経二十八品の最要、本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地ほんち難思なんし、境智冥合みょうごう、久遠元初の自受用身の当体、事の一念三千、無作むさ本有ほんぬの南無妙法蓮華経是れなり。荊渓けいけい尊者える有り「正助ごうぎょうし、って大益たいやく云云。

 行者まさに知るべし、受け難きを受け、い難きに値う、どんにも超え浮木うきぎにも勝れたり、一生むなしく過ごさば万劫必ず、身命をまずしてすべからく信行を励むべし、円頂えんちょう方袍ほうほうにして懶惰らんだ懈怠けたいの者は是れ我が弟子に非ず、即ち外道の弟子なり云云。つつし可し、慎む可し、勤めよや、勤めよや。

 

六巻抄

六巻抄