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1091夜:父の命日忌に想う

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アベノミクスが始まった年ね。

もう、8年か。
月日が経つのは早いものです。
今日は、父の命日忌。
休日でしたので朝夕の勤行で、入念に回向できました。
七回忌法要をしていただいたのが一昨年か。
父の入信は昭和34年。
大阪で伯父の家に下宿していた時に、隣で座談会をしていたのを盗み聞きしたのがきっかけって言ってました。
功徳の体験談を話しているのを聞いて、「そんなすごいのか」って驚き、自分も創価学会に入ろうって思ったらしい。
父はこの時27歳。
兄貴に頭下げるのが嫌で、内緒で伯父とは別の寺に自分で願い出て、御授戒を戴いたんだとか。
性格がひん曲がってるよね(苦笑)。
親父の信心はスーパー乞食信心なんだけど、餓鬼界パワーで懸命に勤行唱題・折伏に励み、健康・就職先で大功徳をいただいたんだとか。
母とは創価学会の先輩の紹介でしりあったとか。
御題目をあげてる女の子って紹介されて、付き合うことを決めて家に行ったら、本門仏立宗の本尊が祀ってあって、仰天したというエピソードも聞いたことがありました。
母も創価学会に入って、親類縁者もほとんどが創価に入会。
夫婦そろって草創期に頑張ったんだね。
おもしろいのが母方の祖母で、あの時代に創価学会に入らず法華講に入ったんだとか。
最初の子供を流産してから、なかなか子供に恵まれずに悩んでいたらしいけど、正本堂建立への御供養の功徳で、私が授かったと周囲に吹聴していました。
母は私が中学生の時に他界。
日蓮正宗で葬儀をしてもらい、きれいな相で旅立ちました。
母は子供の頃戦時中の食糧難で、ロクなものを食えずにいたようです。
母が死んだころ、石原裕次郎美空ひばりが50歳そこそこで亡くなりました。
同世代の多くの人が更年期に早世したようです。
一方、田舎の百姓の子だった父は、食べ物に困ったことなどなく、健康で長生きしました。感慨深いものがあります。
母の場合、祖母と二人で戦後の新興宗教を渡り歩いたようで、その害毒もあったのかもしれません。
法華講員だった祖母も交通事故で右足を失い、病院で療養中に母が私を懐妊したことを知り、勝手に帰り支度を始めたところ、片足でベッドの上に立ち転落。
頭を強打して意識不明のまま帰らぬ人に。
私の生まれる3か月前の出来事だったとか。
父は男手ひとつで私を育ててくれました。
感謝しています。
しかし、平成の創宗戦争勃発から顕正会に傾倒し、私を連れて移籍を決意。
日蓮正宗に戻ったのは、死の2年前のことでした。
御書は全く読めず、人間革命と学会幹部の指導一辺倒だった父。
戸田城聖氏のことを崇敬しておりました。
私がもの御心ついた頃には、国立戒壇放棄と折伏大行進中止を決めた学会に不満を持ち、今で言う非活になっていました。
勤行唱題は熱心で欠かしたことはありませんでした。
祖母の影響でお寺が好きだった母とは違い、父はなぜか正宗の御僧侶を嫌い軽蔑しておりました。
これも人間革命の悪影響だったんでしょうか。
国立戒壇を唱え続け除名になった浅井に、かつての創価草創期の面影を見たのかもしれません。
正宗寺院で勧誡式(​かんかいしき)を受けた時も、態度が悪く横にいた私はひやひやし通しでした。
私が登山に誘っても拒否し、結局、戒壇の大御本尊様に謗法を謝罪することもできず。
お寺に参詣しても、なぜか本堂の敷居の内側に入れず。
素直な信心に立てないままでした。
よほど、日蓮正宗僧侶に偏見を持っていたようです。
最期は、重度の認知症を発症し狂乱して死んでしまいました。
死相も酷いもので、色はどす黒く口を大きく開けていました。
「親父。。地獄の相じゃねえか」
私は、枕元で唱題しながら涙が止まりません。
葬儀社に運び込んで翌日の夜に通夜式。
駆けつけてくれた法華講のおばちゃんに、「親父の顔は人に見せられません。」と。
おばちゃんは、私の背中をさすりながら「大丈夫。必ず成仏の相に変わるから。通夜式できれいな白い顔になって、明日の葬式は見事な成仏の相になるのよ。心配いらないわ。」と自信満々。
私は全く信じられませんでした。
通夜式に御僧侶がお出ましになられ、導師御本尊様を奉掲し式が執行されました。
御僧侶がこの後の段取りを私に御教示くださっていた時のこと。
通夜式に来ていた信心をしていない親戚が、「うわぁ!顔が白くなってる!」と大きな声をあげたのです。
御僧侶がにっこりとされ、どうぞって行ってくださったので、父の顔を見に行きました。
「!!!!!」
本当に白い死相に変わっているのです。
表情ににじみ出ていた、不安気で苦しそうな感じもなくなり、ホッとしたような安堵の表情に。。。
私は号泣してしまいました。
翌日の葬儀では、おばちゃんの言った通り、さらにきれいな顔になりました。
血が通っているのかと思うような、頬に赤味が差しているのです。
葬儀は故人の折伏の場と言われますが、父の死相の変化で私の信心は固まり、この日から真剣に信心を持つことができるようになりました。
初七日~四十九日、百箇日、一周忌、三回忌、七回忌と、正宗寺院で追善の法要を執行してもらうたびに、我が家の境界も上がっていきました。
個々人の信心修行は、もちろん基本中の基本ですが、日蓮正宗僧侶の化儀はまさに化儀即化法の実践の場でありました。
本山で御僧侶から、「私たちは猊下様の袈裟衣の裾にすがって、日々の勤行唱題の功徳を頂戴するんですよ」とのお話を聴いた時、「三宝一体」の意味が晴れ渡るように理解できました。

次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によりて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。(四恩抄268㌻) 

父の命日忌に改めて、日蓮正宗御僧侶に報恩感謝の気持ちを表したいと思い、この記事を書きました。
どうか、創価・顕正の諸君、無信仰の諸君、その他宗教に惑乱されている諸君、一日も早く日蓮正宗に帰依したまえ。
人生は短い。
死の成仏も有り難いですが、出来うるなら生きて正しい信仰に巡りあい給え。

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