人というのは、他人様のことはとやかく言う生き物です。
近年の日蓮正宗で日顕上人様ほど、誹謗中傷を受けた方はおられないかと思われます。
日顕上人様のお名前は、異流儀三兄弟との対決が真っ先に思い浮かぶかもしれません。
の三団体は、全て日顕上人様との闘争を繰り返してきました。
彼らの怨念の矛先を一身に受けてこられた方なのです。
私自身も長い間、この方に対する偏見を拭い去ることができませんでした。
しかし、日顕上人様が正義顕揚のため出版された、日蓮正宗各種書籍のおかげで、教学研鑽を進めることができました。
私は、日顕上人様が御隠尊となられた後に日蓮正宗へ帰依しました。
直接、その謦咳に触れたことがありません。
書籍を通じてしか、その教えを知ることができません。
しかし、法体である戒壇の大御本尊様の伝持付属を受けられた方であります。
そしてその付属こそが相伝であり、血脈であるのです。
御書も
法華経も
六巻抄も
御書文段も
全て日顕上人様の監修によって出版されております。
そして数々の講義録。
全てを読むことができるのです。
全てを研鑽することができるのです。
自分たちが拘泥していることの小さなことがよくわかるでしょう。
碩学・学匠と呼ばれる日顕上人様だからこそ、増上慢の徒輩に憎まれたのかもしれません。
支部の先輩は、「まずは、妙法七字拝仰を三回読め。」と教えてくれました。
自分たちが日々の所作で唱えている、「南無妙法蓮華経」とは何かについて、とことん向き合うことができると言っていました。
決して分かるとは言いません。
あくまでも向き合うことができるにとどまるのです。
そして、御僧侶への講義の為に著された「三大秘法義」を読むべきなのです。
富士学林の生徒さんでなければ、その講義を聞くことはできませんが、そのためのテキストであり、本来、在家信徒や門外漢は目にすることはできない書籍です。
そのような書籍を公刊されたのには、現在の異流儀がもたらす影響の深刻さが背景にあるのかもしれません。
悪師に誑かされてしまった人々にも、志のある人には読んでほしい。
そして法体たる大御本尊様の御前に帰ってきてほしい。
そのような、日顕上人様の御心を感じずにはいられないのです。
日顕上人様の悪宣伝は真に受けて、真偽のほども確かめず鵜呑みにしてしまった人々に、この言葉は届くでしょうか?
「池田大作のことも、本人が反省するなら許してやりたい」と側近に漏らされたことがあったそうです。
気性の激しさ故の誤解が先行してしまった、日顕上人様の心の温かさは信じることができないのでしょうか?
事実として、日蓮正宗は勧誡式(かんかいしき)の門戸を開いております。
どうぞご遠慮なく日蓮正宗寺院の門をたたいてみてください。
私は、恥ずかしい話ですがノーアポで訪問し、すぐに助けていただきました。
査問に忙しい創価学会とは、正反対の態度ですね。