日蓮正宗のススメ

この世に生まれてきた意味を成し遂げるために

六つのすぐれた境涯

『日曜講話』第二号(昭和63年5月1日発行)
六つのすぐれた境涯

 お早うございます。先週の日曜日は、ちょうど総本山に登山をしておりまして、皆さん方と共に勤行をすることが出来ませんでした。中には四、五日住職の姿が見えないということで、病気をしたのではないかということで、御心配をして下さった方もあったということでございまして、大変失礼を致しました。

実は、宗門の運営と申しましても、その年その年、毎年の予算というものが計上されまして、財務部長が中心になって作られた予算を、宗門の宗議会というものがございまして、その承認を得なければ、宗門が予算的に動かないということになるのであります。一般の経常会計、又、特別会計等、いろんなものがございまして、毎年三月の末に定期宗会というものが三日間、総本山で開かれます。宗門のいろんな規則を決めると同時に、あるいは又、そうした大事な予算の審議ということも行われることになっております。私は昨年から宗会の予算委員長ということを命ぜられておりまして、どうしてもその宗会の方を欠席することが出来ません。許されない。そういう状況にございまして、総本山に四日間ほど登っておった次第でございます。決して、病気で休んでいたわけでもございませんので、一つ御了解を頂きたいと思う次第でございます。

余談はさて置きまして、私達のこの信心を貫く上において受けることの出来る功徳と申しますと、これは皆様方お一人一人、陰に陽に功徳を頂いておられることと思うのであります。大聖人様は「陰徳陽報」(全一一七八)ということを言われまして、そうした日頃の信心の精進の結晶が、末法は冥益と申しましても、それが一つ一つ、我が身の上に現れてくるということを御指南遊ばされております。しかし、私達は、ともすると自分の身の回りの中で、姿・形の上に現れてきたことだけが功徳という風に考えがちでありますけれども、皆様方が信心を通して培うものの中で、世間の人がだれも気が付いていない、世間の人が見ることの出来ないもので、しかも大いにわれわれの心に留めておくべきものが、大要、六つあると私は思うのであります。

今日は、そのことについてのお話を少々致したいと思うのであります。それはどういうことかと申しますと、大聖人様の弟子として一閻浮提第一のこの正法を貫く人には、第一番目と致しまして、増上心というものが培われることを申し上げたいと思うのであります。増上というのは物が増えるという、増加の増。「じょう」というのは上という字を書きます。増上心と申します。これはどういうことかと言いますと、増上というのは非常に優れるという意味があるのであります。増上慢と言われると、あまり良いことではないように思いますけれども、増上というのは非常に優れた、又、力強いという意味がそこにあります。そして、揺るぎない、人をもって侵すことの出来ない、より強固なもの、そういう意味がこの増上という二字の中に含まれているわけであります。その増上心。この信心を通して一人一人が求道心。「きゅうどうしん」と皆さんよくおっしゃいますね。法を求める心、あるいは日々発心をする心、あるいは又、大きく人を包容する、あるいは又、折伏を通しての慈悲の心というものですね。そういう心というものが次第次第に皆様方の胸の中に培われていく。これは、心というものは姿・形としては見えません。私達の体を開いたからといって、胸を開いたからといって、肉体的に、生理学上、その心の存在というものは見えるわけではありません。しかし皆さん方の心の中に、いつとはなしに精進の心も向上して行こうという心も、一切のものに打ち勝って行こうという心も、慈悲の心も、求道心という発心の心も、みんな皆さん方の心の中に一つ一つ、自分では気が付いていないでしょうけれども、そういう心が、きちっと成長しておる、培われておる、皆様方の心の中に秘められておるということを確信して頂きたいと思うのであります。その点において自分は世間一般の人よりも優れておる、尊いものを自分は持っているんだという誇りを持って頂きたいと思うのであります。

その次を増上慧と申します。智慧の慧です。増上慧というものがやはり又、私達の身の上に備わってくるということを信じて頂きたいと思うのであります。皆様方が真剣にこの御本尊を持って南無妙法蓮華経と唱える時、大聖人様は「信を以て慧に代える」ということをおっしゃっておられます。私達は、我々のこの凡夫の智慧でもって、大聖人様の南無妙法蓮華経の仏法の、あるいは八万四千の法門のことごとくを身につける、その奥底を究めるということはなかなか難しいのであります。しかし大聖人様は、この南無妙法蓮華経と唱えて唱え抜いてこの信心を全うする時に、その信の上に自ずから智慧というものが備わってくるということを仰せでございます。と同時に、私達が日々に、大聖人様の御書の御指南を、たとえ一行でも二行でも一ページでも二ページでも拝読していく時に、大聖人様の仏智というものが、私達と大聖人様との信心を通して、その師弟相対の信心を全うする時、大聖人様のお持ちの智慧というものが、自ずからその信心を通して、私達の体内に入ってくるんだということを知って頂きたいと思うのであります。

その次が増上戒。増上は同じです。戒は正しい大聖人様の南無妙法蓮華経のこの戒法、その戒の用、戒の功徳、戒の法門。又、戒の尊さというものが皆様方の身の上にきちっと具足されていく。具わっていく。いつまでもいつまでも、小乗の戒や今までの爾前権経の戒にとらわれている人は、所詮それだけの境界に堕ちて行くのであります。しかし、この大聖人様の事の戒法を持って、そしてその皆様方のお家に御本尊様を御安置申し上げたその所が又、義の戒壇として信心修行の場として、この妙法の信心を貫く人には、この事の戒法を行ずる者の、その福徳というものがきちっとやはり具わってくる。そしてこの正法の値打ちというものが分かってくる。又、謗法の恐ろしさというものが、きちっとその人の信心の上に分かり、理解をし、又その正邪の分別が、きちっと皆様方の身の上に培われてくる。大きく、又、尊いその意味を、皆様方一人一人が感得することが出来る。そういう境界に皆様方が、みんな成長してくるんだということを、これは一人一人が知って頂きたいと思うのであります。

その次を増上縁と申します。因縁の縁。増上縁。これは功徳というものは、どの様な姿・形で現れるかというと、これは確かに即身成仏ということでもありますし、この大聖人様の仏法は、五十二位だとか、あるいは六即だとかいうような、長い長い年月をかけて大変な修行というものを経て、その後に段々に現れてくるというのではありません。やっぱり即ということ。生死即涅槃、煩悩即菩提、娑婆即寂光と言われるように、今日発心した、発心するところから、もう既にこの功徳というものが具わってくる、現れてくるわけであります。初心の功徳ということも言われる通りであります。

 しかし、自ずから物事の成就発展の為には何事もやはり小さな発心が、小さな出発からが大事なのです。その小さな出発の所に皆様方の信心や、又いろんな意味での、陰に陽に、いろんな縁というものがそこに蓄積をされて、それが又発展をして、そういうものがずうっと具わって来て、段々それが山のように積み重ねられて、そうして非常に大きな結果を生むようになってくるわけであります。ですから何事も一歩踏み出してみる。そして、そこにいろんな人の働き、又いろんな人の援助、いろんな善根が更に縁を生んで、そして次第次第にそうした結果というものが現れてくるわけです。

 病気なら病気というものを克服するにおいても、お医者さんの数はもう何十何万とあるわけであります。その何十何万とあるお医者さんの中にもやはり、いろんなお医者さんがあるわけです。良いお医者さんに巡り逢うこと、自分の病にふさわしいお医者さんに巡り逢うということも、一つの大きな功徳だということですね。それから又そのお医者さんが施してくれたその治療というものが、医療の技術やあるいはその薬の効き目、効能というものを含めて、それが良いように良いように変わってくる。本当ならば三か五の力しかないものが、それが七になり八になり十になり十二になる。やはり、しっかりした信心を貫いた人には、そういう風に一つの機縁となったものを、更に大きな働きとして、それをより増幅、増長させることが出来る。そうした力が皆さん方の身の上に具わってくる。これを増上縁という訳であります。一つの縁というもの、一つの「えにし」というものを、より大きな意味を持った縁に替えることが出来る。そういう福徳が、そういう力が、皆様方の身の上にある。決して、これは謗法の人や世間一般の信心のない人にはそういうものはない。この信心を行ずる者の人にはそういう力が自ずから具わっておるんだということを知って頂きたいと思うのであります。

その次が、その縁が更に成長して、増上果、結果の果です。その結果として自ずから自分で、ああなるほどナと、これが功徳なのかということが、つくづく分かるようになってくる。結果が必ず現れてくる。皆様方の、今日の発心ならその今日の発心の因が、それに縁が重なって、そうしてそれが果報となって現れてくるということが、増上果ということなのであります。

そして又それが、同じような意味でありますけれども、もう一歩更に、それが増上証となる。「あかし」ですね。つまりそれが現証の上に現れてくる。皆様方の現実の生活の上に、信心の上に、振る舞いの上に、きちっとそれが功徳結果として現れてくることが、これが増上証ということでございます。

ですから功徳というものも、いきなり、ぱあっと現れるものもあれば、年々節々として成長してくるものもあれば、いろんなそこに助縁が重なって、そして大きな結果に導かれていくものも、いろんな姿・形があるわけです。

 いずれに致しましても、この尊い信心を貫く人の上には、そうした増上心、増上慧、増上戒、増上縁、そして又、増上果、増上証というものが、きちっとこの六つが具わるということを、しっかりと心に置いて頂きたいと思うのであります。そこに、余人に優れた自分の、自ずからなるそうした福徳と、わが信心の成長というものがきちっとある。いろんな意味で、又この正法の力によって、大聖人様の力によって、諸天善神によって又深く護られるということを確信して頂きたいということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせて頂く次第でございます。御苦労様でございました。

(昭和六十三年四月三日)

 

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