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以信代慧

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『日曜講話』第一〇号(平成元年9月1日発行)
以信代慧

 山 本 道 山 代 講

 皆さん、お早うございます。本日は御住職様がお留守のために、私が代りにお話をさせていただきます。御住職も、去年の夏に海外部長になられてからというものは、非常に、何日も留守のときが多くなりまして、また、一時外出という場合も多くなりました。このために日曜講話の方も、毎週必ず御住職様からお話がいただけるということが出来なくなりまして、お留守のときは、在勤者が代りにお話をさせていただいている次第でございます。

 そういうことで、本日は「以信代慧」ということにつきまして、簡単にお話をさせていただきます。この「以信代慧」ということを訓読みにいたしますと、「信をもって慧にかへる」という風に読みます。

 本来この仏道修行におきましては、すぐれた、また正しい智慧によって迷いを払い、また真理を悟ることが重んぜられておりますけれども、私達、末法衆生というものは、智慧というものが備わっていないということであります。というよりも、濁った生命から邪な智慧の方が盛んに起きまして、かえって苦悩ですとか、煩悩が増大しているというのが実際の姿でございます。

 そこで、大聖人の仏法を、この「信心を以て智慧に代える」これは、すなわち、例えば道に私達が迷った時に、正しい道案内の人に、その人を信じて、その人の後をついて行くことによりまして、自分が行こうとした目的地に到達することが出来るわけであります。これと同じ様に、私達、無智また無解な衆生は、大聖人の仏法を心から信ずるという、その信心によって、人生の目的地でもある即身成仏の境涯へ到達することが出来るわけであります。

 大聖人様は『四信五品抄』に、

 「又堪えざれば信を以て慧に代え、信の一字を詮と為す。不信は一闡提謗法(いっせんだいほうぼう)の因、信は慧の因、名字即の位なり」(全三三九)

という風に仰せであります。

 私達は「以信」とあります様に、何事も信心をもって立ち向って行かなければならないわけであります。この信心というのは、「心から信じる」と書きますけれども、あくまでも、どこまでも、この御本尊様を信じ切り、そこにおいて毎日の唱題、また勤行、また座談会とか会合等はそうでありますけれども、それなりに真剣に取り組んで行くことによりまして、即身成仏の境涯すなわち幸福な境涯を得て、智慧を開いていくことが出来るわけであります。

どうか皆様方も今日からまた改めて、一人ひとりが自分自身の目標、また使命をしっかりと自覚していただいて、広宣流布のために邁進していただきたいと念願する次第でございます。

 以上、簡単でございますけれども、日曜日に際しまして、お話に代えさせていただきます。本日は、まことに御苦労様でございました。

(平成元年二月二十六日)