日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

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天皇陛下護持妙法・外道爾前迹門の謗法退治・本門事の戒壇建立・一天四海本因妙・広宣流布・大願成就御祈祷の御為に

疑って云はく、経々の勝劣之を論じて何か為ん。答へて曰く、法華経の第七に云はく「能く是の経典を受持する者有れば亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云。此の経の薬王品に十喩を挙げて已今当の一切経に超過すと云云。第八の譬へ、兼ねて上の文に有り。所詮仏意の如くならば経の勝劣を詮とするに非ず。法華経の行者は一切の諸人に勝れたるの由之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民なり。法華経の行者は須弥山・日月・大海等なり。而るに今の世は法華経を軽蔑すること土の如く民の如し。真言の僻人等を重崇して国師と為ること金の如く王の如し。之に依って増上慢の者国中に充満す。青天瞋りを為し黄地夭孼を致す。涓聚まりて傭塹を破るが如く、民の愁ひ積りて国を亡す等是なり。問ふて云はく、内外の諸釈の中に是くの如きの例これありや。答へて曰く、史臣呉競が太宗に上る表に云はく「竊かに惟れば太宗・文武皇帝の政化、曠古よりこのかた末だ是くの如くの盛んなる者有らず。唐の尭、虞の舜、夏の禹、殷の湯、周の文・武、漢の文・景と雖も皆未だ逮ばざる所なり」云云。今此の表を見れば太宗を慢ぜる王と云ふべきか。政道の至妙、先聖に超えて讃むる所なり。章安大師天台を讃めて云はく「天竺の大論すら尚其の類に非ず、真丹の人師何ぞ労はしく語るに及ばん。(大田殿許御書754㌻)

 

貞観政要

臣呉兢が申しあげます。私は愚かでございますが、このごろ朝野の士庶人たちが、国家の政教について論及する者があるのを見まするに、皆々、もし、陛下のすぐれて明らかな御徳をもって、よく太宗皇帝の行われた政事のしきたりに従われましたならば、なにも遠い上古の聖王の政術に手本を求める必要はなくして、きっと太平の業を現出することができましょうと申しております。それゆえ、天下の万民たちが、陛下に待望するところは、まことに厚いのであるということがよくわかります。易経に、『聖人のまごころが万民の心を感動させることによって、天下が平和になる』とありますが、今、陛下の聖徳が万民の心を感動させることは、まことに深いものと申すことができます。
 心ひそかに思いまするに、太宗皇帝の政治教化は、太古からその例を求めましても、このように盛んなものはありませんでした。唐尭・眞舜・夏の禹王・殷の湯王・周の文王武王、漢の文帝景帝という聖王賢君の政化も、皆とても及ばないところのものであります。太宗皇帝の賢臣を用い諌言を納れられた美点、後世に教えを示された規範の、帝王の大いなるはかりごとを広め明かにし、最善の道を増し高めることのできるものにつきましては、すべて国家の史籍に明らかに記され、後世の手本となされております。私は早くから史官の職におり、〔太宗皇帝の言行は〕すべて詩誦し心に留めております。その仕官して臣下の名籍に連なり、功を立て徳を立てたり、公正強硬な議論を主張し、その志が君の過ちを正すことにある者があったならば、みなその事につれて載録し、善を勧め悪を戒めるの資に備え、編集して十帙十巻、計四十篇を完成しました。よってこの事の題目を貞観政要とし、謹んで上表文と共に奉進いたしました。どうか天子の御照覧をこの書にめぐらし、書中の善を択んでこれを行い、さらにこれを引伸し、同類のものに出会えはそれらをすべてに及ばして無限の可能性に発展されんことを期待いたします

 易にこのように言っております、『聖人は正しい道を永久に持続されるから、天下はそれに感化されて秩序が完成されます』と。ひれ伏してお願いいたしますには、どうか〔太宗皇帝の政道を〕恒久的に実行され、それを思って怠ることがなければ、〔太宗皇帝の〕貞観の世の高大なる政化をここに実現することができます。昔、駿の湯王が堯舜に及ばないことを、伊尹は恥としました。陛下がもしも御祖先の事業をお修めにならなければ、私もまた恥といたします。詩に『我が皇祖を思念すれは、皇祖が庭に降るのを見るようである』とあり、また、『汝の祖を思念するには、祖の徳を述べ修めよ』とあります。これは誠に先祖に慎みつかえる義であります。ひれ伏して思いまするに、陛下よこのことをよくよくお考え下さい。そうしますれば、万民たちにとって、この上もない幸いでございます。これはただただ真心からのお願いでございます。謹んで明福門に参上し、上表文を奉って謹んで申し上げます。

 唐の良相を侍中の安陽公源乾曜、中書令の河東公張嘉貞という。〔この二公は〕時あたかも、聖明なる天子に逢い、宰相の地位に居る故に、慎んで帝道を明らかにし、王政を助け整え、天下の中、一物もそのふさわしい場所を得られないことを恐れ、国家を維持する四つの道義が張らないことを憂えた。常に自己の欲望にうち克ち精神を振い励まし、遠く昔の〔良き政治の〕事蹟を思うことに手落ちはなかった。太宗皇帝の時の政治教化はまことに限を見張るべきものがあり、太古よりこのかた、このような治世は他に類がなかった。そこで、〔太宗の〕世に示し教えを立てた立派な政治や、天子の教訓と臣下の諌奏の言葉の、政治上の大きなはかりごとを広め明らかにし、最上の政道を更に増崇することのできるものについて、ここに私ごとき下才の者に命じて、漏れなく見分けて記録させた。その体裁の大きな骨組みは、すべて二公の定められた規制から発したものであります。

 そこで、〔太宗の事蹟について〕聞いたところのものを綴り集め、旧史を詳しく参考し、その要旨をかいつまみ、その大綱をあげました。その文詞は質と文とを兼ね、その精神は勧善懲悪にあり、人としての守るべき大きな道が備わり、軍事と国事との政治がここに存しております。すべて一帙十巻、合わせて四十篇。貞観政要と名づけました。どうか国家を保有する方が、この書によってよく太宗皇帝の残された道を守り、その中の善なる点を択んで従われたならば、永久なるべき唐室の事業はますます明らかになり、偉大なるべき天子の功績はもっとも著れましょう。なにも〔遠い昔の〕堯舜の道を受け継ぎ、周の文王武王を手本とする必要はありません。その篇目の次第を左に列します。

人民主権とか主権在民なんてのは妄想なんだよ。

池田大作日蓮正宗信徒を持ち上げて、民衆・大衆礼賛を宗門に持ち込んだけど、そんなのはポン助を持ち上げて利用する魂胆に過ぎなかったんだ。

池田のバイブルはルソーの本。フランス革命の原典だよ。 

ルソーの正体とその影響

この思想的政治的潮流の源泉となつたのが、ホッブスやロックを受け継いで徹底させたのがルソーの思想である。ルソーは、『社会契約論(民約論)』(1762)を書き、その理論の教育的展開として同年に『エミール』を著した。『エミール』が革命前に広く読まれたが、『社会契約論』は革命前にはほとんど読まれなかつたものの、革命後にこれを忠実に実践したのがロベスピエール率ゐるジャコバン党であり、ロベスピエールは、最も急進的に独裁的恐怖政治を暴力的に強行した。 そして、カール・マルクスとその共産主義思想もまたルソー思想の派生であり、その後のロシア革命(1917)を率ゐたレーニンとその後継であるスターリンらもまたルソーの思想に染まつてゐるのである。


バークは、フランス革命を目の当たりにし、『フランス革命についての省察』(1790)を著して、「御先祖を、畏れの心をもってひたすら愛していたならば、1789年からの野蛮な行動など及びもつかぬ水準の徳と智恵を祖先の中に認識したことでしょう。」「あたかも列聖された祖先の眼前にでもいるかのように何時も行為していれば、・・・無秩序と過度に導きがちな自由の精神といえども、畏怖すべき厳粛さでもって中庸を得るようになります。」として、フランス革命が祖先と伝統との決別といふ野蛮行為であることを痛烈に批判した。


そして、バークは、ルソーを「狂へるソクラテス」と呼び、人間の子供と犬猫の仔とを同等に扱へとする『エミール』のとほりに、ルソーが我が子5人全員を生まれてすぐに遺棄した事件に触れて、「ルソーは自分とは最も遠い関係の無縁な衆生のためには思いやりの気持ちで泣き崩れ、そして次の瞬間にはごく自然な心の咎めさえ感じずに、いわば一種の屑か排泄物であるかのように彼の胸糞悪い情事の落し子を投げ捨て、自分の子供を次々に孤児院へ送り込む」とその悪徳と狂気を糾弾した。また、イボリット・テーヌは、「ルソーは、奇妙、風変りで、しかも並すぐれた人間であったが、子供のときから狂気の芽生えを心中に蔵し最後にはまったくの狂人となっている」「感覚、感情、幻想があまりにも強すぎ、見事ではあるが平衡を失した精神の所有者であった」と評価した。


このルソーの人格の著しい歪みと人格の二重性は、ルソーが重度の精神分裂症と偏執病(パラノイア)であつたことによるものであり、犬猫の仔が親に棄てられても立派に育つので人間の子供も同じにするとのルソーの信念は、11歳から16歳にかけて親のない浮浪児であつたために窃盗で生活してきたことの経験からくる怨念による転嫁報復の実行であつたらう。


いづれにせよ、ルソーの歪んだ人格から生まれた思想は、ホッブスの考へを更に発展させた社会契約説である。これは、私的な利害を持つ個々の人民の意志の総和(全体意志)ではなく、個々の人民の私的な利害を超えた公けの利益を目指す意志(一般意志)に基づく一体としての人民がなした社会契約に基づくものとし、一般意志の行使が主権であり、一般意志は主権の作用の基礎とするのである。そして、「政治体または主権者は、その存在を社会契約の神聖さからのみ引き出す」として、社会契約は「神聖」なものとするのであるが、ここにそもそも論理破綻がある。まづ、私的利害の総体である全体意志から抽出されるはずの一般意志がなにゆゑに「公的」な性質に転化するのか、ましてや、それがなにゆゑに「神聖」なのかといふ素朴な疑問について何も説明されてゐない。否、できないのである。


多数決原理は、「数の多さ」は「質の高さ」を推認させるとの仮説によつて支へられてゐるものであつて、全体意志から抽出される一般意志であつても、その数の多さは共通した私欲の数の指標でもあり、決して質の高さの指標ではない。前述の10人と90人とのそれぞれの人格を比較したとき、数の力で10人を抹殺しようとする90人の意志のどこが「神聖」なのか。ましてや、仮に、数の多さが質の高さを導くものとしても、それが最高の質を意味する「神聖」であると断定することは論理の飛躍も甚だしい。つまり、ルソーは、その狂つた思考過程により、「一般意志」を「神の意志」とし、神の意志を体現した「主権」は、「絶対」、「最高」、「無制限」であるとする一神教を創り出し、その教祖におさまり、人民全体を有無を言はせずに強制的に信者とし、絶対服従を強要した。それゆゑ、ルソーの言ふ「市民的自由」とは、主権に基づいて付託された「統治者が市民に向かって『お前の死ぬことが国家に役立つのだ』というとき、市民は死ななければならぬ」「市民の生命はたんに自然の恵みだけではもはやなく、国家からの条件つきの賜物なのだ」と言ひ切るのであるから、「奴隷の自由」といふパラドックスにより、結果的には、自由はないとするのである。これがルソーの狂つた思想の正体なのであるが、このことを我が国で知る人は少ない。


このやうなおぞましいルソーの思想は、我が国以外では概ね否定され、その思想からの脱却がなされてゐる。ところが、我が国では、明治中期に中江兆民がルソーの『社会契約論(民約論)』を翻訳して解説を加へた『民約訳解』を著し、これが急進的な自由民権運動の理論的指導書となつたのである。中江兆民は、晩年になつて、ロシアとの開戦を主張する近衛篤麿が主唱する「国民同盟会」に参加して懺悔改心し、ルソー教から離脱しようとしたものの、それは時すでに遅しの感があつた。また、戦後においても桑原武夫が『ルソー研究』などでルソーを好意的に評価したために、ルソー教の信者(患者)が再び多く出現した。その中で最も影響力のあつたのは、ルソー思想に基づいて造られた占領憲法を支持し、我が国の憲法学界を「ジャコバンの群れ」にした変節学者の宮沢俊義である。そして、今もなほ、これと同じやうなルソー教の信者(患者)は法曹界に多く蔓延し、その影響を受けてゐる者は多い。


しかし、世界は、むき出しの法実証主義からも主権論からも脱却して、君主制国家も共和制国家も、そのそれぞれの歴史伝統を重視する傾向にある。そして、我が国においても、やうやく国家の中心を皇統に見出し、歴史伝統に回帰する兆しが徐々にではあるか出始めてゐるのである。

日蓮正宗信徒が読むべき本は? 

貞観政要 全訳注 (講談社学術文庫)

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  • 発売日: 2021/01/12
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貞観政要」と「フランス革命についての省察」なんですよ。

正しき事相とその根拠を知らなくては、啓蒙なんてできやしません。