日蓮正宗 法華講員の体験談 「この病気になってよかった」
「この病気になってよかった」大白法H19.04.16より
大修寺支部 O森K平さん
平成十六年四月、高校一年生の私は健康診断で異常が見付かり、埼玉医科大学病院で再検査を受けました。その結果、脈と首のリンパ節に腫瘍がある「悪性リンパ腫」と診断されました。何で自分がこんな病気にならなきゃいけないんだとショックで、診断結果を信じたくありませんでした。しかし、御本尊様に助けて戴くしかないと思い、唱題しました。御住職・国島道保御尊師よりは、
「不信の気持ちを持たないこと。確信により願いが叶います」
と御指導いただきました。そして、私の病気を機に両親は、二十年間反対していた祖父母の折伏を成就しました。夏休みを利用した二ヶ月間の入院と、その後は通学しながらの抗ガン剤治療と放射線治療を行いました。放射線治療では口と喉がただれ、食べることも喋ることも辛くなり、とてもたいへんでしたが、長い治療生活を乗り越えて、御題目のすばらしさを実感しました。
絶対に治す!
一昨年、高校二年生の夏頃、同級生のK暮M美さんから相談を受けました。以来、毎日学校の行き帰りに信心の話をして、折伏したいと御祈念していました。そして十二月四日に、御住職様より折伏していただいたK暮さんは、御授戒を受けることができました。
二十七日、事前に受けていた検査の結果を聞くために病院へ行き、新たに幾つか小さな腫瘍があると説明を受けました。私はその場で落胆し涙も出ませんでした。しかし不思議と立ち直りも早く、絶対に治さなければ広布の人材にはなれないと思い、御住職様の御指導を胸に唱題しました。
二十九日、K暮さんは、ご両親の了解を得て、御本尊様を御下付戴くことができました。彼女は「生まれ変わったみたい」と、とても喜んでいました。
平成十八年一月三日の初登山会にはK暮さんと参詣し、入信の御報告と当病平癒の御祈念をさせていただきました。さらに御住職様のお計らいで御法主日如上人猊下より御秘符を戴き、七日、お守り御本尊様をお持ちして、安心して入院しました。期間は半年と聞かされ驚きましたが、改めて病魔に負けない気持ちが涌き、一日三時間唱題すると決めました。今回の治療は自家抹消血肝細胞移植で、抗ガン剤治療を四回行います。脚の付け根から入れた点滴の管は、治療の終わる半年後まで抜けません。副作用が強く、髪は抜け、味覚はなくなり吐き気で食事を摂れず、歩くことも辛くなりましたが、とにかく唱題を続けました。しかし、副作用がなくなって安心すると、唱題に集中できません。そんな時、御住職様より
「魔とは仏道修行を妨げる用(はたら)きをいいます。集中しようとする努力が仏道修行なのです。」
と御指導いただきました。
御指導のまま唱題
私の病室は八人部屋で、カーテンを閉め横になりながらの勤行・唱題でしたが、それでは駄目だと思い、ベットの上で正座して行うようにしました。
「御祈念の際に『大聖人様の御使いとして広布への使命を果たさせてください』と祈るのです。そうすれば、人生の一切が整っていくのです」
との御指導を実行すると、今まで自分のことばかり祈っていたのが、K暮さんの家族の折伏や、他の患者さんのことを祈れるように変わっていきました。
三回目の外泊の時には、七時間唱題をしました。声を出して唱えられることが嬉しかったです。K暮さんも五時間唱題をしてくれました。
四月七日、八日に移植の肝細胞を六時間かけて採取しました。八日は私の十八歳の誕生日であり、不思議な因縁を感じ、生まれ変わることができると実感しました。
最後の治療を行う無菌室がなかなか空かないため「二十二日、二十三日は外泊してよい」と突然言われ、二十三日の支部総登山に思いがけず参加できることになり驚きました。そして二十二日、病院から一時帰宅してすぐのこと、二十四日から無菌室に入れると連絡がありました。御本尊様が導いてくださったと実感し、感謝の気持ちでいっぱいでした。支部総登山では、久しぶりに御住職様、講中の皆様にお会いでき嬉しかったです。そして、本門戒壇の大御本尊様に広宣流布と当病平癒の御祈念をし、晴れ晴れとした気持ちで病院に戻り、次の日、母と握手を交わして無菌室に入りました。
ついに退院
治療は、一日六リットルの超大量抗ガン剤投与を四日間行った後、肝細胞を移植します。治療は予想以上に辛く意識もはっきりせず、いつ回復するのかとそのことばかり考えていました。母は八時間、父と姉も命がけでお題目を唱えてくれました。K暮さんも自宅で唱題してくれました。辛い時期は二週間ほどで、徐々に回復し、食事も摂れるようになりました。
治療後の検査結果で、すべて消滅していると言われ、御本尊様に感謝のお題目を唱えました。しかし、今度は「再発したらどうしよう」と毎晩考えるようになりました。そんな時は御住職様のお言葉、家族、K暮さん、親戚、講中や鼓笛隊関係者の皆様の言葉を思い出し、立ち直れました。そして約一ヶ月間の無菌室での生活を終え、五月三十一日に大部屋に移動できました。
六月十日に退院できました毎日のようにお見舞いに来てくれた母、K暮さんには感謝しています。翌日には御報恩御講に参詣し、講中の皆様に温かく迎えられ、「お帰り」と優しい言葉をいただき、とても嬉しかったです。
人生が整った
退院後一ヶ月間は自宅で療養し、半年振りに学校に行きました。緊張しましたが、ほとんど知らないクラスメイトからも温かく迎えてもらいました。
進学は、鍼灸師の資格の取れる学校をめざしていましたが、高校の先生からは、一学期の成績がないため難しいと言われていました。しかし、第一志望の専門学校の推薦入試の面接で病気の体験を話すと
「そういう経験をしている人ほどいい医療家になれる」
と校長先生から言われ、合格できました。
退院後初めての検査が、昨年十二月にありました。再発の恐怖で頭がいっぱいでしたが、リンパ腫に異常は見られないとのことでした。治療の後遺症で心臓に水が溜まっていると言われましたが、その後の検査で、「問題なし」と言われ、二年分の苦しさから開放されたと心の底から喜びました。御本尊様に感謝申し上げ、御住職様に御報告すると「よかったね。これからも、共に広布に命をかけていこう」と言ってくださいました。「がんばってきてよかった。本当に人生が整った」と思いました。
試練を克服して
私が今回の体験で得たものは三つあります。
一つ目は、折伏のすばらしさです。K暮さんを救ってあげたいと思い折伏した私が、入信して間もない彼女のたくさんの唱題で励まされました。入院前にK暮さんを折伏できたのは、御本尊様が導いてくださったことなのだと思います。
二つ目は、この病気になってよかったことです。三年前、初めて病気が判ったときは、御題目を唱えていても不安ばかりで、確信のある祈りでなかったように思えます。しかし、二回目の入院のとき不思議と強い気持ちを持てました。大聖人様が私にチャンスを与えてくださり、試練を乗り越えることで以前よりも信心に対する気持ちを強く持つことができました。
三つ目は、御住職様が「焦らず、弛まず、落ち着いて御題目で乗り越えよ」と御指導くださったことです。どんなに辛く苦しいことでも確信のある御題目を唱え続けていれば、必ず自分の力になることを身をもって体験出来ました。
また日蓮正宗の、信仰をしていることに甘えるのではなく、行動に移さなければ何も変わらず、この信心の、すばらしさを実感できないというこも判りました。
また、私は六年間東京第二地方部鼓笛隊で活動する中で勤行・唱題の基礎が身についていたからこそ今回たくさんのお題目を唱えることができ、試練を克服出来ました。鼓笛隊での活動がなければ今の自分はなかったと思っています。
平成二十一年の大結集に向かって、私の目標はK暮さんの家族の折伏です。彼女が一日も早く家族とお題目が唱えられるよう、共に御祈念しています。また、入院中に親しくなった友人の折伏です。彼は白血病で、現在も治療中なので救ってあげたいと祈っています。大聖人様の御使いとして広布のために行動し、このすばらしい信心をたくさんの人に伝えていきたいです。
最後になりましたが、命を救って戴き、今日このようなすばらしい日に元気な姿で発表が出来た事を御本尊様に感謝申し上げます。