日蓮正宗のススメ

万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず

創価学会版オリジナル御本尊の出現はいつになるのか?

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カーバ神殿を取り巻く巡礼者

創価学会日蓮正宗から破門されて、来年で28年です。

信徒宅には日寛上人様の御本尊様を勝手に改竄した、コピー本尊が販売されています。

広宣流布大誓堂に安置されている板御本尊は、日達上人のご慈悲によって、“仕方なく”お許しをいただいた「模刻第一事件」の御本尊、そのものです。

創価学会第二代会長・戸田城聖氏が日蓮正宗総本山大石寺第64世御法主・日昇上人に願い出て下付された紙幅(しふく)の御本尊を、池田大作氏が学会傘下にあった仏具店に命じて、勝手に板に彫刻(御本尊模刻=もこく)し、学会本部に安置してしまったのです。しかも、昭和50年1月1日、池田大作氏みずからが入仏式を行なってしまいました。

どちらにしても、今の創価学会の御本尊は、日蓮正宗と縁が切れていない御本尊です。

執行部はそれが嫌でたまらないようです。

そりゃそうだろうよ。

絶対言われ続けるもん。どこの誰が何を書写した本尊ですか?ってね。

だから、大聖人様の真筆御本尊を手に入れたがっているようです。

手に入れたとの噂もあります。

未究竟と言われたくないから、きっと相貌は弘安期の御本尊に寄せてくるでしょう。

改竄は得意ですからね。

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大誓堂の本尊も差し替えられる日が近い?

でも、広宣流布大誓堂で何の広宣流布を誓うのでしょうか?

まあ、パクリ宗教だから結局、日蓮正宗の登山形式を真似るしか智慧がないんでしょうかね。偽本尊にわざわざ参詣しても意味ないんですけど・・・。

日蓮正宗の登山参詣の意味を闡明しておこうか。

総本山登山の意義について
日蓮正宗総本山大石寺は、宗祖日蓮大聖人の出世の本懐、一切衆生の成仏の根源である本門戒壇の大御本尊のおわします一閻浮提第一の霊場である。私たちは、この総本山大石寺に参詣することを「登山」といいならわして、私たち自身の成仏、家族の幸せ、社会の福祉、世界平和、広宣流布大願成就を御祈念してきたのである。


1.総本山大石寺は信仰の根本霊場

いうまでもなく、日蓮大聖人の仏法の基本は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法にある。私たちの幸せも、世界平和も、全てこの三大秘法を受持信行するところに成就するのである。

 

三大秘法の根本は、本門の本尊、すなわち総本山の奉安堂に御安置されている弘安2年10月12日御顕示の、本門戒壇の大御本尊である。この大御本尊への内拝を御法主上人にお許しいただいて、大御本尊にお目通りできることは、真に三大秘法を受持することに当たるのであって、今生で人間と生まれた最高の幸せ、未来世にわたる大功徳の源となるのである。
また、この大御本尊は、宗祖日蓮大聖人が、

日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ」(『経王殿御返事』・全集1124)

と仰せのように、日蓮大聖人の御命であり、御一身である。したがって、私たちが、大石寺に登山して、御開扉を受けることは、日蓮大聖人にお目通り申し上げることである。日蓮大聖人は、『南条殿御返事』に、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり(中略)此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」
(平成新編御書1569)

また、『御講聞書』に、
「本有の霊山とは此の裟婆世界なり、中にも日本国なり、法華経の本国土妙・裟婆世界なり、本門寿量品の未曾有の大曼荼羅建立の在所なり」
(平成新編御書1824)
等と仰せである。すなわち、多宝富士大日蓮華山大石寺は、現に日蓮大聖人のまします霊山浄土であり、私たちの生命のふるさとなのである。
「霊山に近づく鳥は金色となる」といわれるように、総本山大石寺に参詣して、御法主上人のお許しのもとに、本門戒壇の大御本尊の御開扉をいただき、心から罪障消滅・信心倍増・一切無障礙の御祈念をするならば、総本山第26世日寛上人が、
「此の本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来たらざるなく、理として顕れざるなきなり」(『観心本尊抄文段』・文段集443)と仰せのように、私たちの過去世から現在に至る無量の罪業も、一切みな消滅し、現在・未来の所願ないし広宣流布の大願も成就するのである。


2.大石寺の事跡に学ぶ

その昔、日蓮大聖人の御在世に、佐渡在住の阿仏房は、当時、日蓮大聖人のお住まいになっておられた身延山まで、90歳という老体を顧みず、数度にわたって参詣をしたのである。また、日妙聖人は、女性の身でありながら、危険な道中をしのび、渇仰の思いをいだいて、日蓮大聖人にお目通りを願ったのである。現在と異なり、交通機関は全くなく、一歩一歩足を運び、山河を越えての登山であった。距離・時代を越えて、総本山大石寺への登山の基本精神は、これらの人々の「一心欲見仏不自惜身命」の信心行体に存する。この阿仏房や日妙聖人の登山の精神が、後世の檀越に大きな影響を与えたことはいうまでもない。
総本山塔中観行坊の能勢順道師が、先年編纂出版された『諸記録』に、盛岡の感恩寺信徒であった阿部重吉氏の、安政2年の登山道中日記が収録されている。それには、「御大坊様江罷上がり御宝蔵外廻りくさ取りいたし、それより奥にわくさ取、御きゃく殿の前廻りはきそうじ」(同書5-252)とある。往昔の人々は、年に数回の登山参詣など、なかなかできなかった。そのため、ひとたび登山参詣すると、数日、あるいは十数日逗留滞在したのである。そして、阿部重吉氏のように、総本山の清掃、給仕等の奉仕を、進んで行なったのである。
また、徳川時代は、新寺建立の禁止や宗教論争が固く禁じられるとともに、檀家制度が導入されたので、信教の自由は、事実上、全くなかったのである。しかも、為政者の偏見により、本宗は御禁制の宗教のように扱われ、弾圧が加えられてきたのである。
加賀前田藩の金沢信徒も、そうした圧政の中で、大聖人の仏法を学び、弘め、求道心を燃やしてきたのである。しかし、地元には寺院がなかったために、総本山への道中手形を出してもらえず、総本山への登山参詣は、全くおぼつかない状況であった。
しかし、志のある者たちは結束し、禁を犯して登山を決行したのである。喉の渇きは露を啜(すす)って癒(いや)し、夜は枯木を枕に枯れ葉に埋もれ、幾山河を越えて、総本山を目指したのである。大石寺の三門が見えたとき、皆、肩を抱き合い、涙を流して喜んだとのことである。
あるいは、前田家の参勤交代の途中、東海道の吉原宿に宿泊の折に、「抜け詣り」と称し、皆の寝静まった頃を見計らって、夜陰に紛れて宿を抜け出し、大石寺へ向かって走り、早朝まで、御宝蔵の前で唱題し、同輩の起き出す前には、吉原宿に帰ったと伝えられている。
さらに、陸奥の仙台法難によって、流島されていた覚林日如師は、仙台の信徒に宛てて、
「一、未登山輩は老少によらず随分取立候て年々に御登山の願望成就はたさせ申すべき事登山の面々より其方の功徳広大に候」(富要9-334)
「一、御本山え差上げ候風波の渡り幾日がかりもさ候へば彼此物入り島へ渡り候金銭を以て少しも余慶に役立たす候事、何人登山とても島へは渡海は無用に候只書通を以て申し入らるべく候」(富要9-334)
と、教えているのである。
この書状の意味について、日亨上人は、
「登山せざる者を勧めて登山せしめよ、其功徳は登山者に勝る、島に渡りて予を見舞ふ金銭を以て御登山の費用に補へ等の訓辞あり誠に難有き志かな」(富要9-334)と、覚林日如師の登山についての指導を讃えられている。
また、東京妙光寺檀家の話に、「米一升の請書」というのがある。これは、女の身として子供をおぶり、大晦日に箱根の関所を越えて、一升の米を、正月の元旦、総本山へ御供養したというものである。第52世日霑上人は、この奇特な婦人に「米一升の請書」をお認(したた)めになられ、その信心にお応えになられたとのことである。宗門700年の歴史には、数々のエピソードがある。現代に生きる私たちは、ともかくも、こうした先人の、営々と積み重ねた登山の実践と求道心があったればこそ、今日の登山参詣があるということを、決して忘れてはならない。

法主日如上人猊下御指南
折伏した人をできるだけ早く総本山に登山せしめるということが大事ではないかと思うのです。
これは、初登山した方々がお山の佇(たたず)まいを見て、そして戒壇の大御本尊様にお目通りして、本当に命を震わして、感動して帰っていくわけです。その感動を、体験を、できるだけ早く積ませるということが非常に大事だと思うのです。」(大日蓮平成二十二年二月号 二十八㌻)

先達から学ぶ登山の心掛け
福島の信徒・高坂辰次郎の登山
辰次郎は最初、日蓮宗の信者だったが、折伏されて大石寺の信仰に帰依した。辰次郎は罪障消滅のため、二十七歳の時、生涯に三十回登山しようと決意し、福島から大石寺まで百二十里(約四八〇キロ)の道程を一年に二回、三回と登山し、七十六歳で亡くなるまでに四十九回もの登山をした。
さらに仏法外護の志をもって自宅の土地・建物を御供養した(福島市・広布寺の前身)。信仰を受け継いだ子息の伝蔵も、生涯んび十七回の登山をしました。
(平成二十九年度 夏期講習会テキストより)