災難にあったり病気になった時、それを信心で乗り越え解決できた、という体験を聞きます。しかし、そもそも信心しているのに、なぜ苦しいことやつらい事が起きてくるのでしょうか。つらい事は起きない方がいいのではないか、と思ってしまうのですが。
入信して何年もたつのに、まだわかりませんか。では、改めてせつめいしましょう。
すべての物事は原因によって起きています。
世の中の事象は因果によって成り立っているのです。
そこで、考えていただきたいのですが、そもそも我々は、白紙の状態でこの日蓮正宗の信仰についたわけではありません。入信する以前、家の宗旨だからといって邪宗に手を合わせたり、誘われて神社に初詣に行く・・など、知らず知らずに誤った宗教に関わってしまったり、あるいは、折伏を受けて反対してみたり、と、正しい仏法にそむいて生きてきて、ようやくこの正法の信仰についたのです。
さらにいえば、過去世においても、正しい仏法に背き続けてきたために、その果報で、この濁悪の世である末法時代に生まれてきているのです。
このように、過去世および今世の入信前の人生において、正しい仏法に背いてきたことで、我々の生命には、不幸の原因である罪業が刻みつけられてしまっており、それが人生の上に、病苦や経済苦、家庭不和、あるいは諸々の災難に見舞われる、という形になって現れてくるのです。
これは、正法の信仰をしていようといまいと、全ての人について言えることです。
では、正法の信仰についたことで、そうした罪業がただちに消えてしまい、なかったことにできるのか、といえば、そんな馬鹿なことはありません。
入信しても罪業は依然として残っており、それによって、世間の人々と同様に、様々な悩み苦しみが起きてくるのです。
しかし、問題は、そうした人生の悩み苦しみが起こってきたときに、それを解決していけるかどうか、ということです。
たとえば、検査で末期ガンであることが判明した、というようなケース。
こうしたとき、世間の人々はどうするのか、絶望するしかありません。
しかし、我々の同志の中には、末期ガンや極めて生存率の低い悪性のスキルスガンにかかりながら、それを信心の力で乗り越えて、現実に完治してみせた人達が大勢います。
それが、信心の有難さ、なのです。
それを、そもそもガンにならなければよかったのではないか、というのは入信と同時に罪業が無くなればよい・・・と言っているのと同じで、あまりに虫のよすぎる話です。
ただし、信仰のありようによっては、その虫のいいことが出来るかもしれません。(笑い)
どうするかといえば、もっともっと真剣に信心に励んで、自分の中に刻みつけられている罪業が果報となってあらわれてくる前に、罪障消滅してしまえばいいのです。
それには具体的にはどうしたらいいのか。
それは、真剣な唱題に励むことと、折伏による法難を受けて転重軽受(てんじゅきょうじゅ)していくことです。
そして、たびたび大法難にあって、なお身命をとして折伏を貫くなら、罪業は全て消し果てることができる、と大聖人様は仰せです。
だから、そこまで折伏しぬいたらよいのです。
そうしたら、辛いこと苦しいことはおきません。
大聖人様は、
「当世時に当たって謗法の人々国々に充満せり。その上国主すでに第一の誹謗の人なり。この時この重罪を消さずばいつの時をか期すべき。日蓮が子身を日本国に打ち覆ふてののしらば、無量無辺の邪法四衆等、無量無辺の口をもって一時にそしるべし。その時に国主は謗法の僧等が方人として日蓮を怨み、あるいはくびをはね、あるいは流罪に行うべし。たびたびかかる事できせば無量劫の重罪一生の内に消えなんとくわだてる大術少しも違ふ事なく、かかる身となれば所願も満足なるべし」
と仰せられ、それこそ日本中を覆い尽くすほとに折伏を進められ、その結果、大法難にあい、流罪にも処された。
転重軽受の姿として、そこまでの法難にあったのだから、御自身の罪業は全て消滅したであろう、と仰せです。
ですから、このように、大聖人様が身をもって御示しくださっているとおりにさせていただくなら、罪業が果報としてあらわれてくる前に消してしまうこともできるのです。
おおいに折伏に頑張りましょう。

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