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顕正会員のための御書講義【1月度御聖訓】

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日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし。『諸法実相抄』 文永一〇年五月一〇日  五二歳(御書・六六六頁)

【現代語訳】

日蓮はただ一人、この南無妙法蓮華經の題目を唱へはじめ、二人・三人・百人と次第次第に題目を唱える人々が増えてまいりました。未来でも同じようにお題目を唱える人々が増えてゆくことは間違いがありません。まさに法華経の涌出品に、大地から無数の大菩薩方が出てこられる、と説かれたそのままの姿です。その上、広宣流布の時には、日本国中の人々がそろって南無妙法蓮華経と唱えるようになります。この広宣流布は、大地を的として矢を射れば、決して外れることがないのと同じで、必ず実現いたします。法華経の行者と名乗れるようになりなさい。そして、御本尊様に身をゆだねることができる信心になりなさい。

今日は末寺様の御逮夜に参詣してきました。

大勢の方が参詣されておられました。

和やかな雰囲気で、仕事に疲れた凡夫(筆者)の心も和みました。

顕正会の会合とは全く違います。

浅井センセーの御書講義はいつからなくなったのでしょうか?

定着率の低い組織だから、今の会員は顕正会にかつて月に一度、浅井センセーの御書講義のビデオ放映があったことすら知らないかもしれませんね。

私個人は総幹部会よりも御書講義が好きでした(苦笑)。

御住職様からは、一対一の折伏の大切さが説かれまして、ネット折伏頼みの私には耳の痛いお話でございました。

新年早々、信仰の寸心を改めさせていただいた思いでありますが・・・。

それはともかくとして。

「大地を的とするなるべし。」

ですよ、顕正会員の皆さん。 

浅井先生の大好きな御金言ですね。

そして、もうひとつ。

身をまかせ給うべし。

「大聖人様におまかせして」でしたっけね。

浅井センセーの常套句は、自分の指導や予言は「大地を的とするなるべし。」で、絶対無謬性を強調し、結果については「大聖人様におまかせ」する御都合主義だったんだよな~(笑)。

まさに日蓮大聖人様の教えをベースにした、浅井センセーの教えですね。

「ベース」教は今や、創価を始め多岐に渡りますので珍しくもなんともありませんが、それを信じる人々は、みんな深刻な苦しみの境界に堕ちてしまっているんですよ。

本人様に自覚があろうとなかろうと。

御住職様も仰っておられましたが、信仰心が薄い日本人も、年の初めだけは気持ちを改め、神仏に祈りを捧げようとします。

初詣や、西日本の「十日戎」がそうですよね。

matome.naver.jp

ですが、残念ながら神社仏閣には、神様も仏様もいらっしゃいません。せっかくの志も却って、福運を悪鬼魔神に吸い取られてしまい、いよいよ不幸になってしまうのです。

日蓮大聖人は「神天上の法門」について『立正安国論』に、

「倩(つらつら)微管(びかん)を傾け聊(いささか)経文を披(ひら)きたるに、世皆(みな)正に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる」(御書234)

と御指南のように、世の人々は謗法を信じ、国を正しく治める正法を信じないため、国を護る善神が法味を貰えないために去り、その結果、魔や鬼神が来て災難を起こしていると仰せです。更に同抄では、

「而るに盲瞽(もうこ)の輩(やから)、迷惑の人、妄(みだ)りに邪説(じゃせつ)を信じて正教(しょうきょう)を弁(わきま)へず。故に天下世上(せじょう)諸仏衆経(しゅきょう)に於て、捨離(しゃり)の心を生じて擁護(おうご)の志(こころざし)無し。仍(よ)って善神聖人(しょうにん)国を捨て所を去る。是(ここ)を以て悪鬼外道災(さい)を成し難を致(いた)すなり」(御書237)

邪教を崇める結果、災難が起きていることを御教示であります。
 

第二十六世日寛上人も、神が天上界に去る理由について『報恩抄文段』に、

「問う、開目抄上十に云く『天照大神・正八幡・山王等・諸の守護の諸大善神も法味を・なめざるか国中を去り給うかの故に悪鬼・便を得て国すでに破れなんとす』と云云。太田抄二十五 十五に云く『閻浮守護の天神・地祇も或は他方に去り或は此の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し』等云云。既に『或は去り或は住す』という、何ぞ諸神天上というや。
 答う、或は住する辺ありと雖も、既に悪国を護らず。縦い護らんと欲すと雖も、法味を嘗めざれば威力あることなし。故に住すと雖も住せざるが如し、去らずと雖も去るが如し。故に通じて諸神天上というなり」(御書文段429)

と御指南であります。私達が自行化他にわたり、御題目を御本尊様に唱え、他の人にも御題目を唱えるように勧めることで、神は法味を食することが出来、本来の力を具えて、世の中を安泰にし平和にしてくれるのであります。

「ベース」教徒の顕正会員も例外ではありません。

いやむしろ、世間の謗法の徒よりも一重罪が深いかもしれません。

昨今、世間を賑わせた貴乃花一家を見れば、一目瞭然でしょう。

貴乃花の一族は、初代若乃花を筆頭に霊友会の信者です。霊友会法華経の教えをベースにした先祖供養の宗旨です。「先祖は祟るものでも依存する対象でもなく、父系母系双系のすべての先祖との関係性はDNAの例を見ても分かるとおり、現在の自分自身の中に集約されており、それら先祖の象徴である「総戒名」を前にして法華経を読誦すると言う行為は、広い意味での自分自身の象徴の前で、自身に対して経を聞かせるのと同義である。」などと、まことしやかな教義を吹聴していますが、皮肉なことに名門花田家は、衆目の中で一家離散の現証を演じました。

顕正会日蓮正宗の教義を丸パクリしたうえ、御本尊様も勝手に印刷して会員に授与しています。

戒壇の大御本尊様を恋慕渇仰するなどと言いながら、戒壇の大御本尊様が住んでおられる大石寺を半世紀近く罵り続けています。

そして恥ずかしげもなく、異字体を用いて「冨士大石寺顕正会」を名乗っているのです。

こんな恐ろしい謗法行為は他に見当たりません。

創価学会よりも悪質といえるでしょう。

創価学会大石寺との関係性を否定していますからね。

破門されたのは同じですが。

最後に申すべき事は、

是あに地涌の義に非ずや。

大聖人様仰せの「地涌の義」に、あなたがた顕正会員は一人たりとも該当しないということです。

そして妄想の中でいくら御本尊様や、大聖人様におまかせしてみたところで、浅井センセーが言うような「何があっても大丈夫」などという、安心立命の功徳などいただけないということです。

殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴貴、此の文に委悉なり能く能く心得させ給へ、只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ、火は焼照を以て行と為し・水は垢穢を浄るを以て行と為し・風は塵埃を払ふを以て行と為し・又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し・大地は草木を生ずるを以て行と為し・天は潤すを以て行と為す・妙法蓮華経の五字も又是くの如し・本化地涌の利益是なり、上行菩薩末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之れ有るべき由・経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん・出現せずとやせん、日蓮先ず粗弘め候なり、相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ、煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり、信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり、委細の旨又又申す可く候、恐恐謹言。
 文永九年壬申二月十一日 桑門 日 蓮 花押
 最蓮房上人御返事

 『諸法実相抄』を頂戴した最蓮房に宛てた、『生死一大事血脈抄』にはっきりとお示し下されております。「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と。そしてその血脈とは「只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ」とあります。血脈相承に信をとることが、生死一大事の血脈なのであり、「相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念し給へ」との行の体なのであります。

血脈相承を疑って、断絶しただの言う口でいくら御題目を唱えても、折伏モドキを実践しても、「無益なり」と御本仏の仰せであります。

新年の改まった気持ちの冷めないうちに、正信を取り戻し日蓮正宗の御授戒を受け給え。

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