1151夜:隣の創価オヤジが死にました。
私を悩まし続けていた、隣の創価オヤジが死にました。
まだ、60代の後半に差し掛かったばかり。
定年後のシニアライフを満喫しようと、色々、準備していたようでしたが。。。
その矢先の2年前に倒れ。。闘病生活に。。
早死になのか天寿を全うしたのか。。。
私には分かりません。
ですが、ざまあみろです。
僕を悩まし続けたあの野郎は、仏罰で無間地獄に堕ちました。
しかも、卑怯な創価民らしく家族葬です。
創価の人にも内緒に。。。
最期まで卑怯な男でした。
死因は白血病だとか。
発病が8年前というのも知って仰天。
私たちが引っ越してきた時期なのです。
罰は出ていたのでした。
罰に気付くことが出来ないのも、業の深さというべきなのでしょうか?
創価おやじは、はじめは親しげでした。
私の父が、肺炎で倒れたのを聞きつけて近づいてきました。
私は、いい人だと思って、あの野郎に父の入院先を教えたのですが。。
勝手にお見舞いと称して、父の病室を訪問。
後に防犯カメラの映像で確認したのですが、病床の父を笑い転げながら嘲笑していたのです。
くやしかった。
本当に悔しかったです。
父の死後は、善き隣人のふりをしながら、私たち家族を愚弄し続けてきました。
私が外に出ると「何してるの?」と、いちいち問いただしてきます。
「いや、別に」としか答えようがありません。
でも、ニヤニヤしながら、「こっちくんなよ」って言うんです。
意味不明でしょ?
隣の塀越しに散々嫌がらせを受けました。
小便をかけられたり。
トイレや風呂を覗かれたり。。。
私や妻の車のナンバーをメモされたり。。。
私は、御本尊様に訴えました。
なんで、あいつには罰が出ないんですかと。
日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり。過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず、日蓮又かくのごとし。始めはしるしなきやうなれども、今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそろしく想ふ間、今は各々はげむらむ。大田親昌・長崎次郎兵衛尉時綱・大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるゝか。罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰四つ候。日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるゝは総ばちなり。やくびゃうは冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばちなり。各々師子王の心を取り出だして、いかに人をどすともをづる事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干のほうるなり、日蓮が一門は師子の吼うるなり。故最明寺殿の日蓮をゆるしゝと此の殿の許しゝは、禍なかりけるを人のざんげんと知りて許しゝなり。今はいかに人申すとも、聞きほどかずしては人のざんげんは用ゐ給ふべからず。設ひ大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給ふゆへに、ばっしがたかるべしと存じ給ふべし。月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。
我等凡夫のつたなさは経論に有る事と遠き事はをそるゝ心なし。一定として平等も城等もいかりて此の一門をさんざんとなす事も出来せば、眼をひさいで観念せよ。当時の人々のつくしへ、かさされんずらむ。又ゆく人、又かしこに向かへる人々を、我が身にひきあてよ。当時までは此の一門に此のなげきなし。彼等はげんはかくのごとし。殺されば又地獄へゆくべし。我等現には此の大難に値ふとも後生は仏になりなん。設へば灸治のごとし。当時はいたけれども、後の薬なればいたくていたからず。(聖人御難事1379㌻)
やっと、あいつに鉄槌が下りました。
密葬だそうです。
地元の創価民にも内緒だそうで。。。
格好悪いんでしょうね。
魔の通力も勉強させてもらいました。
創価オヤジ、実は一時期復活していたんです。
きっと、その頃、座談会で功徳の体験談を語っていたんでしょうね。
それが急転直下の白血病。。。
異流儀の罪深さよ。
昔から、法盗人は体の深部に病変が起こると言われてきました。
本門仏立宗が広まった時、罰で、リウマチで死ぬ人が続出したからです。
白血病や骨髄腫なんかが、異流儀の害毒による罰として多いようです。
僕は、隣の創価オヤジのことで、長年苦しみ悩んできましたが、彼の訃報を知って勤行の時に、彼の追善供養回向を祈念いたしました。
彼の生きざまを見て、仏法の正邪がはっきりと分かったからです。
正信会の僧侶の最期の言葉を思い起こしました。
「批判が間違ってなくても、戒壇の大御本尊様から離れてしまっては、功徳はない。どうか、みんなに伝えて欲しい。日蓮正宗に戻りなさいと。。。」
改めて、この言葉の重みを実感しています。
他門、異流儀の皆なさん!日蓮正宗に戻りましょう。