1008夜:寸心
信仰は寸心からと思いまして、ささやかな御供物ではありますがお餅を買ってきました。
仏壇にお供えして、「南無下種三宝御報恩謝徳御供養之御爲に」と観念をして、鈴を三打して題目三唱しました。
今日の夜にはお下げして、御相伴に与らせていただきます。
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。(立正安国論250㌻)
立正安国論の有名な御文ですね。
寸心という言葉、御書の中ではここにしか出てきません。
めずらしい言葉です。
わずかばかりの気持。
ささやかな志。
信心というのはそういうものだと思います。
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。」の御言葉も、深いなぁって思うのです。
末法の凡夫の信仰心なんて、たかが知れています。
そのたかが知れた心をちょっと改めさえすれば、「然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。」なんですよ。
やれ、牧口センセー、戸田センセーだ、池田センセーだの、浅井センセーだのって言いますけど、純信さ加減から言ってみれば、あなたの方が上なんですから。
近代異流儀の始祖たちは、みんな邪智で日蓮正宗を利用したんです。
日蓮正宗からお叱りをいただくまでは、それでも功徳を頂戴しておりました。罰も出てましたけどね。
最終的には破門になってすっからかんです。
牧口センセー、戸田センセーは、大石寺にお墓がありますから助かったでしょうけど、池田センセーだの、浅井センセーだのの後生は悲惨なものでしょう。
第二十六世日寛上人は『松任治兵衛殿御返事』に、「かならず、かならず身のまづしきことをなげくべからず。ただ信心のまづしき事をなげくべけれ」と御指南下されております。
「信心のまづしき事」ってのは、「寸心」すらないってことですよ。
日蓮正宗内でも有名なお話がありますのでご紹介いたします。
nichirendaihonin.hatenablog.com
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お葬式で御僧侶に「樒一枚の御供養」を真心こめて施した家族は、御恩返しに何十万円もの御供養ができる境涯を開いたんです。
センセーなんて呼ばれてる連中なんかよりも何倍も立派です。
そして、あなたも必ずそうなれるということなんですよ。
創価学会員で裕福なのはみんな、積善の家には必ず余慶ありってやつで、破門前に信心をしていた先祖のおかげを食いつぶしているだけってことなのよ。
日蓮正宗の御授戒を受けて、可能であるならば御本尊様をお貸し下げしていただき、3年・5年・7年・10年と、お給仕し、御題目を唱えていくならば、人生が変わっていきます。
徐々にね。
人によっては急転する人もいますが、使ってないかった水道をひねったようなもんだと心得て、どっしりとした気持ちいてください。
私の場合は、日蓮正宗に入って人相がすぐに変わったそうです。自分ではわかりませんが。
そして、異流儀の毒が凄すぎたので、好転ぶりに家族が驚いて半年くらい経ったら、自発的に入信したっていうオチ。
僕ってどんだけ~!
相当ヤバかったんだね。
唱題の功徳
一、法華の聴聞すれば未だ発心しないものも御本尊を拝む心が起きてくる
一、慈なき者には唱題の功徳によって慈心がおこる
一、他人の善事にねたみを生ずる者は唱題すれば随喜の心の心をおこさせる
一、貪欲の者には唱題の功徳によって供養の心をおこさせる
一、驕慢の者には唱題の功徳によって仏の戒めを起させる
一、いかりの多い者には唱題の功徳によって忍辱の心をおこさせる
一、修行を怠る者には唱題に功徳によって、精進の心をおこさせる
一、余念雑念多い者は経文の如く唱題することによって心静かに一心に唱題できるようになる
一、おろかな者には唱題に功徳によって仏の智慧を得ることができる
一、まだ折伏のできない人でも唱題の功徳によって折伏をしようとする心がおきてくる