日蓮大聖人様が、法華経で予証された末法の法華経の弘通者(法華経の行者)であることの証明
大集経および法華経における、末法(釈尊滅後2千年(※1)以降の時代に、釈尊の仏法が隠没し、真の法華経が建立されることの予言。
(※1 この末法の年限算出については異説あり、それについては既に別論で考察し反論してあるが、今はその詳細には踏み込まず一往、この「滅後2千年」という年数を採用する)
【論証】
末法は釈尊の仏法が隠没
後の五百歳に法華経が広宣流布
当に天・人大衆の中の、師子の法座の上に坐すべし。
上行菩薩への付嘱
上行菩薩=仏
勧持品二十行の偈
丑寅の方角
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず = 十界文字曼荼羅御本尊
丑寅 東北 参照
まとめ 結論
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【時期】
『大集経』分布閻浮提品に
■「次の五百年は(※第五の五〇〇年)、我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没し損減すること堅固ならん」
とあり、釈尊滅後2千年以降に釈尊の仏法が隠没することが予言されている。
ところが 『法華経』 には、その滅後2千年以降に 「法華経」 が広まり、衆生を救済する相が顕れる事も予言されているのである。
【文証】
『法華経薬王品第二十三』
■「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん。悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等其の便を得ん」
妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八
■ 普賢、若し如来の滅後、後の五百歳に、若し人有って、法華経を受持し、読誦せん者を見みては、応に是の念を作すべし。
此の人は久しからずして、当に道場に詣して、諸の魔衆を破し、阿耨多羅三藐三菩提を得(※2)、法輪を転じ、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法雨を雨らすべし。
当に天・人大衆の中の、師子の法座(※3)の上に坐すべし。
※2 阿耨多羅三藐三菩提を得 → 即身に(一生の間に)生老病死の苦を開き、常楽我浄の境界となり、常寂光土に住する成仏の境界となること。
※3 天・人大衆の中の、師子の法座 → 末法で法華経を広める人は、一切衆生の中での最上位 → 末法再誕の上行菩薩の資格、立場を予言されているとも言える。
★ ↑ 釈尊入滅後、2000年から2500年の間に、釈尊の仏法は隠没するが、「末法の法華経」が建立され、広宣流布し、一切衆生を成仏の境界へ導き、またその導師は一切衆生の中で最上位の立場になることが予言されている。
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では、その釈尊滅後2千年~2千5百年の間に 「末法の法華経」 を広める方は誰なのか?
【付嘱】
■爾の時に仏、上行等の菩薩大衆(※4)に告げたまわく、
諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。
若し我、是の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故(※5)に、此の経の功徳を説かんに、猶尽すこと能わじ。
要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示頭説す。
※4 上行等の菩薩大衆 ← 上行菩薩 は従地涌出品第十五 での地涌の菩薩の頭首である。
※5 嘱累の為の故 ← 嘱累 とは 付嘱 相伝 のこと。
★ ↑ 釈尊の一切の仏法(その最極の要法=法華経の真髄)を、上行菩薩を代表として、その他の眷属の菩薩方へも付嘱されたことが明示されている。
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更に同じく 神力品第二十一 上記の後。
515下-01
仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に
諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう
是の経を嘱累せんが故に 受持の者を讃美すること
無量劫の中に於てすとも 猶故尽すこと能わじ
是の人の功徳は 無辺にして窮り有ること無けん
(中略)
諸仏道場に坐して 得たまえる所の秘要の法
能く是の経を持たん者は 久しからずして亦当に得べし
能く是の経を持たん者は 諸法の義
名字及び言辞に於て 楽説窮尽無きこと
風の空中に於て 一切障礙無きが如くならん
如来の滅後に於て 仏の所説の経の
因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん
日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く
斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し
無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん
★ ↑ ここでも、嘱累 つまり法華経が付嘱・相伝されることが説かれ、
またその法は、諸仏の 秘要の法 であることが示される。
その付嘱を受けた上行菩薩は、一切諸法に通じ、またそれを説くことに全く障り無く、
また、釈尊の仏法のあらゆる経典の教説の因縁・次第を熟知されており、実際に現実世界に出現し、その意義を深く弁えて釈尊の真意をそのままに説かれ、人々の生老病死の闇を開かれ、無量の菩提を求める菩薩達を必ず成仏せしめることができる。
↑これつまり、「仏」ではないか。
上行菩薩=仏 であるという標示
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ではその上行菩薩再誕の方は誰なのか?
末法で法華経を弘通する方の受ける法難について詳細に説き示されている。
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■ 勧持品二十行の偈
仏の滅度の後 恐怖(くふ)悪世(※末法を示す)の中に於て 我等当に広く説くべし
諸の無智の人 悪口罵詈(あっくめり)等し 及び刀杖(とうじょう)を加うる者あらん(※6) 我等皆当(まさ)に忍ぶべし
悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲(てんごく)に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん
或は阿練若(あれんにゃ)に 納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在って 自ら真の道を行ずと謂(おも)うて 人間を軽賎する者あらん
利養に貧著するが故に 白衣(びゃくえ)のために法を説いて 世に恭敬(くぎょう)せらるること 六通の羅漢の如くならん
是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮つて 好んで我等が過(とが)を出さん
而も是の如き言を作さん
「此の諸の比丘等は 利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く
自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑(おうわく)す 名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説く」と
常に大衆の中に在って 我等を毀(そし)らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士
及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 「是れ邪見の人 外道の論議を説く」と謂わん
我等仏を敬うが故に 悉く是の諸悪を忍ばん 斯れに軽しめられて 「汝等は皆是れ仏なり」と謂われん
此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし 濁劫(じょっこう)悪世の中には 多くの諸の恐怖(くふ)あらん
悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱(めりきにく)せん 我等仏を敬信(きょうしん)して 当に忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を著(き)るべし
是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む
我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん 世尊自ら当に知(しろ)しめすべし 濁世(じょくせ)の悪比丘は
仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して・蹙(ひんんじゅく)し 数数(しばしば)擯出(ひんずい)せられ(※7)
塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも 仏の告勅(ごうちょく)を念うが故に 皆当に是の事を忍べし
諸の聚落城邑(じゅらくじょうゆう)に 其れ法を求むる者あらば 我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん
我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所なし
我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ
我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て 是の如き誓言(せいごん)を発す 仏自ら我が心を知しめせ
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★ ↑ この偈文の通りの法難を全て受けられた方こそ、上行再誕 末法の法華経の行者 である。
特に、※6 刀の難 と ※7 法難によって度々所を追われる この二点が重要。
釈尊滅後2千年~2千5百年の間(当時の仏滅年代計算では西暦1052年~1552年となる)で、法華経 を弘通するが故に、特に、刀杖の難と 複数回の所払い、遠島の大難を含め勧持品二十行の偈文をことごとく御一人で受けられたのは歴史上 日蓮大聖人 のみ。
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【方角】
さらに、その法華経が広まる方角とは
法華経寿量品第十六
衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
我時に衆生に語る 常に此に在って滅せず
★ → 霊鷲山 とは 当時の王城であり、民衆所在の中心地 王舎城から丑寅 つまり東北の方角にあり、法華経は古来から「東北に縁」あり、と言われてきた所以とも言える。
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
これは暗喩として、滅後末法に、上行再誕である末法の法華経弘通者が、インドから丑寅の方角に出現することを予証されているともいえる。
また、この「我」とは、白法隠没する教主である「釈尊」ではなく、結要付嘱された、末法出現の「仏」 つまり外用では上行菩薩を指す。
上行菩薩が末法出現の「仏」である論証 → http://toyoda.tv/kuon.honbutsu.htm
更に、この 時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず とはそのまま、まさに上行再誕である日蓮大聖人が書顕された弘安二年の十界曼荼羅大本尊そのものの姿。
これは、末法の法華経を修行した者のみが感得する実感である。
そして滅後(末法)に、真に日蓮大聖人が書顕された弘安二年の十界曼荼羅大本尊への正当な修行をしたならば、我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず つまり、その修行者の眼前に 「常在する仏と、諸々の諸仏菩薩が出現する。」 ということであり、心身共に 境智冥合 し、 感応道交 する、という事実が起こる。
これが常寂光土に生きる成仏の境界。
これは、まさに体得したものでなければ分からない境地。
しかし、現実に起こる。
仏教の悟りの究極はここにある訳で、これは筋道の正しい正統な仏道修行をした者にしか到達できない、法華経を悟達的・内観的に拝せる境界であって、法華経を文献的にどう読んでも絶対に体感できない境界である。
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【参照】
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■ 弥勒(みろく)菩薩の瑜伽論(ゆがろん)に云はく「東方(とうほう)に小国有り。其の中に唯(ただ)大乗の種姓(しゅしょう)のみ有り」
簡約 東方の小国 → 日本国 そこにただ大乗=法華経の機根を持つ衆生が住む。
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【語句解説】
●瑜伽論
大乗論書。漢訳では弥勒(みろく)説とし、チベット訳では無著(むじゃく)著とする。4世紀ころ成立。玄奘(げんじょう)訳100巻が有名。瑜伽行の実践を詳説し、唯識中道の理に悟入すべきことを説くもの。瑜伽論。
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■ 肇公(じょうこう)の翻経(ほんぎょう)の記に云はく 「大師須梨耶蘇摩(しゅりやそま)、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什(くまらじゅう)の頂を摩(な)でて授与して云はく、仏日(ぶつにち)西入って遺耀(いよう)将(まさ)に東に及ばんとす。
此の経典、東北に縁有り。汝愼(つつし)んで伝弘(でんぐ)せよ」
★→ これはこのままですね。 法華経とは仏道修行者の悟達的、内観的に見れば、東北の方角に有縁の経典 つまり、末法再誕の上行菩薩を志向している。ということ。
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【語句解説】
● 肇公 僧肇(374または384-414)のこと。老荘の学に通じていたが、後に『維摩経ゆいまぎょう』を読んで仏教に帰し、鳩摩羅什くまらじゅうに師事し経典の翻訳を助けた。著作に『肇論』がある。(証巻 P.320)
● 大師須梨耶蘇摩 鳩摩羅什は、カシミールで学んだ後、12歳の時母と共に亀茲国へかえ る。帰路、沙勒(カシュガル)で、大乗の空の思想を教えていた須利耶蘇摩 (Suryasoma)に学ぶ。カシミールでアビダルマを学んできた鳩摩羅什は、今ま で学んできた教えを否定する大乗空の思想に驚嘆する。「高僧伝」によると、そ のとき鳩摩羅什が須利耶蘇摩に学んだのは、中論(ナーガールジュナ作)、百論 (ダイバ作)、十二門論(ナーガールジュナ作)であったといわれる。「今まで の自分は、金を知らずに銅が一番と考えていたのと同じである」といったとも伝 えられる。鳩摩羅什は20歳の時放光経(般若経)を見いだした。当初は、空を 単に無物と解していたが、のちに無物ではなく分別して固執しないことであるこ とであることに気づくようになり、空の思想を体得し、開眼したといわれるが、 その基礎は、須利耶蘇摩から既に学んでいたのである。
本文の「法華翻経の後記」には、須梨耶蘇摩は大乗諸経に通じ、法華経を羅什に授けて、東北有縁の国に流布せよ、と命じたとある。これが日本へ法華経が伝わる予言とされた。
● 法華翻経の後記
中国・東晋代の僧肇(そうじょう)の筆による短文の書・唐代の僧祥撰・法華伝記諸師序集第六におさめられており,肇公の記ともいう.鳩摩羅什の法華経翻訳の後書きの形をとり,以前に訳出された正法華経などと違い,提婆達多品第十二が加わり,28品となっている理由などが書かれている.羅什訳・妙法蓮華経はもとから28品あったことの典拠とされている.
●法華伝記 10巻.
中国・唐代の僧祥撰.法華経の伝訳,法華経を講釈した高僧の伝記,法華経の論釈・流派などを記述した書.内容は部類増減・隠顕時異・伝訳年代・支派別行・論釈不同・諸師序集・講解感応・諷誦勝利・転読滅罪・書写救苦・聴聞利益・依正供養の12部からなっており,諸師序集第六には僧肇の法華翻経の後記が収められている.
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■ 遵式(じゅんしき)の筆(ふで)に云はく「始め西より伝ふ、猶(なお)月の生ずるが如し。今復(また)東より返る、猶日の昇るが如し」
★→ 月は自ら発光しない。太陽の日を反射して光って見えるだけ。
釈尊の仏法(月)は詰まるところ、末法に日本で出現する真の法華経(太陽)の準備段階の仏教であった。という意味。
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【語句解説】
● 遵式 じゅんしき Zun-shi
[生]乾徳2(964)
[没]明道1(1032)
中国,北宋の僧。天台宗に属するが,浄土教に独立した傑出者のなかった宋代にあって,浄土教の思想上の重要な人物。主著『往生浄土懺儀』『往生浄土決疑行願二門』。
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■ 根本大師(※伝教大師)の記に云はく 「代を語れば則ち像の終はり末の初め、地を尋ぬれば唐の東、羯(かつ)※の西、人を原(たず)ぬれば則ち五濁(ごじょく)の生、闘諍の時なり。経に云はく、猶多怨嫉況滅度後(ゆたおんしつきょうめつどご)と。此の言良(まこと)に以(ゆえ)有るが故に」云云。
★ ※ 羯(※別名 けつ) とは、中国の山西省に住んでいた匈奴系民族 しかし、匈奴系の諸部族全般,さらに北方民族全体をさして羯ということもある。
上記御文の意義からすれば、既に「唐の東」と言われているのであるから、この羯(かつ)は「北方民族全体」との意義を取るべきであろう。
そうなれば、まさに、シベリア、樺太、果てはベーリング海峡を跨いで、北部アメリカも含まれてくる。
その「西」ということは、まさに日本国。
■ 又云はく 「正像悄(やや)過ぎ已(お)はって末法太(はなは)だ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是(これ)其の時なり。何を以て知ることを得ん、安楽行品に末世法滅の時なり」
★※ 正像とは釈尊滅後、正法千年 像法千年 のこと。
末法にはまさに 法華経 のみが広まる時であり、衆生の機根も法華経のみで救済される。ということ。
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【結論】
以上の教説から、釈尊の仏法は上行菩薩の再誕者によって再興、もしくは再度立教されることは、釈尊の自らの言として明白。
●時期 釈尊滅後二千年~二千五百年(西暦1052年~1552年)
●弘める経 末法における法華経の要法
●振る舞い 法難の連続 特に 刀による受難 何度も所を追われる
●方角 インドから東北方面
この予言の条件を満たせる方は、歴史上、日本・鎌倉時代の日蓮大聖人しかおられない。
となると、それ以外の人物が勝手に宗教を立てることは、真の仏の悟りという証明がないので、全て邪宗教ということになる。