日蓮正宗のススメ

法華講員のブログ

本門戒壇の事と義

f:id:ekikyorongo:20180528220040j:plain

大聖人仏法の西漸を願って建立された五重塔

顕正会問題とは1970年(昭和45年)に破棄された「国立戒壇」用語不使用問題が、大きな問題顕現の根源であったように思います。

顕正会の浅井親子は、それまでにも数々の問題を宗内で起こしていました。

当人たちの宿業もあるでしょうが、日蓮正宗創価学会公明党の引き起こした教義歪曲問題は、顕正会のエネルギー源となっております。

半世紀前の話ですから50歳前後の人でさえ、この問題はリアルな問題ではありません。

70歳代後半から、それ以上の年代の方なら当事者として覚えているかも知れませんが。

創価学会は破門当初こそ、この本門戒壇の事と義にこだわり、「正本堂こそが広布事相上の本門戒壇堂」であり、それを自分たちが建立したと言っておりました。無知な輩は「広宣流布はできているんだ」などと言っていました。んなアホな。

1998年(平成10年)から正本堂解体工事が始まり、怒りのボルテージも相当揚がったようですが、今では「戒壇」という言葉すら忘れてしまったかのようです。

たしか、公明党国立戒壇建立の国会発議を目指して結党されたはずです。

大聖人仏法からすれば政治イデオロギーや、大政治家の英断だけで国家が繁栄する道理などないのですから。

悪政や残虐非道な軍事政権よりはましかもしれませんが・・・。

民主主義・人権尊重・平和主義が三大秘法ではないのです。

日本国憲法が本尊でもありません。

万民百姓を哀んで国主・国宰の徳政を行う、然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼られ乞客目に溢れ死人眼に満てり、臥せる屍を観と為し並べる尸を橋と作す、観れば夫れ二離璧を合せ五緯珠を連ぬ三宝も世に在し百王未だ窮まらざるに此の世早く衰え其の法何ぞ廃れたる是れ何なる禍に依り是れ何なる誤に由るや。(立正安国論

福祉の政党では国家も国民も救えないと、大聖人様の立正安国論冒頭にあるじゃないですか。

それが、元祖似非福祉政党の共産党に国会で糾弾され、「国立戒壇憲法違反じゃないのか? 」「宗教政党政教分離に反するのではないのか?」というツッコミに、我らが池田先生は威風堂々と証人喚問に自ら進んで・・・出ませんでした。

当時を記憶していらっしゃる御僧侶は、「選挙に負けるから国立戒壇やめるって、大作が言ってきてね、それでやめちゃった」と、笑ってらっしゃいました。泣きついたのね、先生ったら。

まあ、広宣流布すれば日本国中上下全ての人間が、日蓮正宗信徒なんだから、国立だの民衆立だの言葉の綾は問題にはならないわけですよ。

だから大聖人様も「時を待つべきのみ」と仰っているわけで。

仏様の「待て」の指示に従えなかった連中は、「事の戒法」(鎮護国家の究極の大法)に背いた罰で、みんな消えてしまいました。

公明党は第二の似非福祉政党兼平和政党として党勢を拡大してきましたが、今では自民党の腰ぎんちゃくになってしまいました。戦前の国柱会に酷似してきているのは、皮肉なもんですよ。

池田先生は、共産党の批判をかわすついでに、正本堂を広宣流布後の本門事の戒壇堂と詐称して内外に吹聴し、うっかりしていた会員たちも信じ込んでしまったわけ。折伏大行進もとりやめにして、選挙=折伏主義に転向しちゃうのさ。

顕正会の我らが浅井先生は、それはおかしいと意見書なんかを提出して、日達上人様の「訓諭」を引き出して、なんとか決着したかに見えかけた矢先、暴力事件を惹き起こして除名になります。

正本堂の意義について日達上人猊下より訓諭

さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はここに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕わし、本年十月、落成慶讃の大法要を迎うるに至る。

日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明(せんめい)し、もって後代の誠証(じょうしょう)となす。

正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。

即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。

然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。

宗門の緇素(しそ)よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。

右訓諭す。

昭和四十七年四月二十八日

日蓮正宗管長 細井日達

赤字の部分は、顕正会員が教えられていない部分ですね。

今の奉安堂も厳重に蔵の形式で、大御本尊様を御安置されています。

初めて御開扉を受けさせていただいた時は、 その意味がよくわかりました。

つまり、あくまでも義が事(広宣流布戒壇堂に公開される)に通じる、義の戒壇なんだなって。内拝の時は御姿を拝見できるのですから。顕正会員諸君も早く拝し給え。

仏法は曲げられも、破壊もされていないんですよ。

ただ、法体に約せば、根源の御本尊様であるから御開扉の時には、事の戒壇の功徳を頂戴できるんですよということなのです。

そして現在の日蓮正宗では、法体に約した事と義の立て分けを真っ先に指導しているのです。

それは日寛上人様の御指南にも違背していません。

日蓮正宗 寺院紹介 全国

貼り付けておきますので、熟読してみてください。

法華取要抄文段 三五  富士山に本門の戒壇を建立する五つの所以

 

 

  
  第五 本門の戒壇を明かす

 

およそ本門の戒壇とは、一閻浮提の人の懺悔さんげ滅罪のところなり。云う所の「戒」とは防止を義と為す。いわく、無始の罪障を防ぎ、三ごうの悪をとどむる故なり。宗祖云く「此のみぎりのぞまんやからは無始の罪障たちまちに消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」云云。あに非を防ぎ悪を止むるに非ずや。

まさに知るべし、本門の戒壇有り、理有り。理は謂く、義理なり。是れ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。其の名に迷うことなかれ。故に亦義の戒壇と名づけんのみ。

初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ち是れ義理、事の戒壇あたるなり。経に云く「当に知るべし、此の処は即ち是れ道場」とは是れなり。天台云く「仏の中に住す、即ち是れ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。亦まさに知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、みな嫡々ちゃくちゃく書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖もなお是れ枝流にして、是れ根源に非ず。

正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法をせんす。を受け、教をすべからく根源をたずぬべし。若し根源に迷うときは増上して真証みださん」等云云。いま日本国中の諸宗諸門の徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間あさまし、浅間し云云。
 宗祖云く「根深ければ枝繁くみなもと遠ければ流れ長し」(取意)等云云。およそ此の本尊は久遠元初の自受用の当体なり。あに根深く、源遠きに非ずや。故に天台云く「ほんごくほっしん微妙みみょう深遠じんのん」等云云。

次にまさしく事の戒壇とは、秘法抄十五・三十一に云く「王法仏法にみょうじ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳うとくおうかくとく比丘びくの其の乃往むかし末法じょくあくの未来に移さん時勅宣ちょくせん並に御教書みぎょうしょを申し下して霊山りょうぜん浄土に似たらん最勝の地をたずねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ、の戒法と申すは是なり」等云云。 

本門戒壇の義と事を説き明かす【文底秘沈抄第二】本門の戒壇

 

 

れ本門の戒壇有り、有り、所謂いわゆる義の戒壇とは即ち是れ本門の本尊所住の処、義の戒壇に当たる故なり、例せば文句第十に「仏其の中に住す即ち是れ塔の義と釈するが如し」云云。まさしく事の戒壇とは一閻浮提の人、懴悔さんげ滅罪めつざいの処なり、ただしかるのみに非ず、梵天・帝釈までも来下らいげして踏みたもうべき戒壇なり。秘法抄に云く「王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣ちょくせん並びに御教書みきょうしょを申し下して、霊山りょうぜん浄土に似たらん最勝の地をたずねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ事の戒法と申すは是れなり」等云云。宗祖云く此のみぎりに臨まんやからは無始の罪障たちまちに消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜんのみ」云云。

 

三大秘法の開合を説き明かす 【依義判文抄第三】三

 

 

 

問う、さらに勘文有りや、若ししからば聞くこと得べけんや。

答う、勘文無きに非ず、若し之を聞かんと欲せば先ずすべからく三大秘法開合の相を了すべし。若し之を了せずんば経文を引くといえどおそらくはやすからじ云云。

問う、若し爾らば三大秘法開合の相如何いかん

答う、実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり、此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇し、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目と為すなり。故に分かちて三大秘法と為すなり。 又本尊に人有り法有り、戒壇有り有り、題目にしん有りぎょう有り、故に開して六義を成す、此の六義散じて八万法蔵と成る。例せば高僧伝に「一心とは万法の総体分かってかい定慧じょうえと為り、開して六度と為り、散じて万行と為る」と云うが如し。当に知るべし、本尊は万法の総体なり、故に之を合するとき八万法蔵ただ六義と成り、亦此の六義を合する則はただ三大秘法と成る。また三大秘法を合する則は但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり。若し此の開合の意を得ば亦所引しょいんの文意を得ん云云。

おわかりいただけただろうか?

戒壇の大御本尊様の御前が、いつでもどこでも事の戒壇であるという意味が。

日蓮正宗に戻ってくれば、御授戒を受けます。

その時にもう一度よく考えてみればいい。

自分が受ける戒はなんのなか?

末法の事戒であるということを。

義の戒を受けるのではないのであるということを。

なぜ遠路はるばる戒壇の大御本尊様にお目通りを願い、御開扉を願うのかということを。

 

日寛上人御書文段

日寛上人御書文段

 
六巻抄

六巻抄