風雪に耐えて育つ
『日曜講話』第九号(平成元年7月1日発行)
風雪に耐えて育つ
皆さん、お早うございます。農林省の附属機関であります作事研究所という所で、麦とお米と、とうもろこし等々の穀物を、苗の段階において、毎日毎日、作業員が一日に三十秒ずつ、朝・昼・晩の三回にわたりまして、小麦やお米の苗の葉っぱを、指でほんのかすかに、こすり続けたのだそうであります。そういう作業を二十日間続けた苗と、ただ普通に当たり前に育てた苗が、どういう過程を経て大きくなって、そうして実を実らせるかという研究をしたのだそうであります。そうした観察の中から分ったことは、たった二十日の間、葉っぱをなでるという馬鹿馬鹿しいようなことでありますけれども、ただそれだけのことをやるか、やらないかによって、たしかに苗が上へ向かって背丈を延ばすという成長過程に関しては、普通の苗の方が比較的早く伸びたそうです。ところが一方の苗は葉っぱをなでて、ある意味では刺激を与えて痛めているわけですから、その痛められた苗は、上に伸びる力は約二割ぐらい押えられるというのです。けれども、いったん田畠に植えて育てますと、根を張ることと、茎がしっかりすることと、風や嵐に強いということと、そして最後の実りの収穫ということになると、たったそれだけの刺激を与えて苦労させた苗の方が、強いものが育つ。そうして収穫は多少多いという結果がでたのだそうでございます。
これは、ただ収穫の話だけではありませんで、私達が生きる、あるいは信心を全うする上においても、非常に大事なことを示唆していると思うのであります。
妙光寺の周りにも色々な木や草花がございますが、こういう植物でも、例えば夏には皆さんは植木鉢に水をやったり、又、何日もお天気が続きますと、庭木にもお水を撒きます。そういう場合でも、植木屋さんの話によりますと、撒き過ぎてはいけない。お水をやりすぎてはいけない。やはり庭の木々も苦労する時にはさせなければいけない。何でも満遍なくやりすぎることはいけないのであって、いじめるときにはいじめなければいけない。庭木でもいじめなきゃいけないんだということを言っておられます。
私達も信心を貫く上において、一生を生きる上において、確かにつらいこともあります。又、病に倒れる日もあります。病ということも、あるいは諸難ということも、無いということと、有るということとを考えると、確かにそれは有るよりは無い方が良いに決っております。けれども、無いとこれ又いけない。一生に一度も苦労することもない、一生に一度も悩むこともない、一生に一度も病に倒れることがないということになりますと、人間は、やりたい放題、したい放題やり抜いて、結局まともな人生、まともな人間というものは出来上らないのでございます。人間にとって、ある意味では、そうした苦労をする、諸難に逢うことも非常にこれは又、大切な意味をもっているわけであります。
例えば子供さんが、どんなにいたずらをしても痛くない。ひっくり返っても、こけても、あばれても痛くない。我が身に痛さを感ずるものがないとするならば、大抵の子供さんは、したい放題のことをして、結局、命を落としてしまうほどの結果を招く子供さんの方が多いはずであります。やはり、こうしたら痛い、ああしたら辛いということが分っているから、子供さんも、ある程度、限度、分を守るということがあるわけであります。
ですからプラスとマイナスというものは、どちらも必要なわけでございます。物事は、やっぱりプラスの面だけに目を奪われてもいけません。むしろ自分にとってマイナスと思われることが、不幸と思われることが大事な意味を持つことが非常に多いということも知っていただきたいと思うのであります。
私達は、日蓮大聖人様は末法の御本仏であるということを知っております。教えられております。又そのように確信しております。その御本仏自らが、どうしてそれでは四ケ度の大難、「其の外の大難、風の前の塵なるべし」(全二三二)といわれるほどの大難の御一生を貫かれたのか、なぜ熱原の三烈士は命を落してしまったのか、御本仏ならば、そんな馬鹿なことがあるはずがない、なんでも悠然と乗切っていけるはずではないか、諸難なんか始めからあるはずがない。そういう風に私達凡人は考えるのであります。
しかし、そうではないのでありまして、仏の化導というものは、また、この妙法にそれだけの力があるということは、実際に病なら病にかかった人がその病を克服する過程で、どのようにして、それを乗切っていくかということの過程の中で、一つ一つそのことが実証されていくわけであります。従って、仏は自らも病にかかってみせる、諸難にも逢ってみせる、それを凌いでみせる。その中において、私達に信心を教え、諸難の時はこうやって諸難を乗越えるんだ。病の時はこうやって乗越えるんだ。蘇生の功徳は、
このように厳然としてあるんだということを、実際に、大聖人様御自身が、すべての諸難を凌いでみせて、私達に教えて下さっているわけであります。仏の教導は、病の時には、自らその病いを通して信心を教える。諸難の時には、その諸難を凌ぐことによって、その諸難を凌ぐことの尊さを教えるところに、仏の教導の意味があるわけであります。ところが、大聖人様ともあろうお方が、末法の御本仏ともあろうお方が、なんでお腹をこわしたなんて御書にあるのか。そんな馬鹿なことはないと考えるのが凡人でございます。
生きた姿において、現実の功徳において、そのことを教えるという意味は、まずその先達となって、自らが乗越えて、凌いで、はじめて妙法の功徳を、又、人生に信心を通して生きるということの値打を、大聖人様が「日蓮さきがけしたり」(全九一〇)として教えて下さっているわけであります。
皆さんも、そうした病に倒れる日も参ります。実際に死に対面する日もやって参ります。その時、その時に、その人の値打、その人の信心の意味が現れてくる。その時に凌いで見せて、そして自分の家族に対し、後輩に対して、そして又、一族一門の人に対して、信心のあり方を、自分が身をもって実証していく使命があるんだということを、知っていただきたいと思うのであります。
本当の幸せというものは、始めからあるものではないのでありまして、自分が不幸せならば、その不幸せをどのようにして幸いへと転換していくかということを知っていただきたいわけです。妙法の功徳は、どこまでも転換して行くところに現われてくるわけであります。煩悩を菩提へと転換して、そこに真実の六根清浄の命、即身成仏の境涯があるということを示していくわけであります。現実の生死というものを菩提へと転じていく。涅槃へと転じていく。そのことによって、生死即涅槃という妙法の境涯が、厳然としてあるということを実証していくわけであります。我々の住んでおる国土世間、娑婆世界を、その信心によって、仏国土、浄土、宝土へと転換していくことによって、娑婆即寂光の功徳は、厳然としてあるということを教えていくわけであります。
大聖人様は、「変毒為薬」(全一四五五)、「七難即滅七福即生」(全四六七)ということをいわれております。その禍いなり不幸というものを、たとえ一回、二回、三回、
七難とおっしゃるんですから七つの大難があったとしても、それを七つの幸いへと転換していくところに、この妙法を行ずる者の値打と福徳が、必ずそこに備ってくるということなのでございます。一つ、二つ、三つ、四つと、諸難が続いた。禍いと思われるようなことが、たとえあったとしても、「七難即滅七福即生」という大聖人様のこの御指南をしっかりと心において、もしも七つの不幸が続くとするならば、七つの幸いが必ずくるという確信を持って、この信心を堂々と貫いていっていただきたいと思うのであります。
私も、かつて昭和三十一年から四十年まで、この妙光寺で、学生時代に御奉公させていただいた者でございます。その間、途中で総本山に在勤をしたりいたしましたけれども、二十何年振りに再び妙光寺へ帰って参りまして、非常に驚いたことは、その中の一つに、妙光寺のいちょうの木にしても、あるいは泰山木にしても、おしきみにしても、どの木にしても、みんな一回り二回り大きくなっていることの驚きでございます。かつて、お墓掃除をしたこともあります。庭の掃除もしました。いろんなお掃除をしながら眺めた妙光寺のこうした木々が、いま再び二十何年経って戻って参りますと、みんな一回りも二回りも大きくなっている。その素晴しさといいますか、毎日毎日見ていても気がつかないけれども、その一まわり一まわり年輪を重ねていくことのその大きさというものは、本当に微かなものでありますけれども、それがたった二十年、二十五年の間でも、眼を見張るほどの大きさになるものでございます。
私達も、この信心の過程において、それがつまらないようにみえたり、意味のないようにみえたりいたしましても、やはり、なんらかの形において精進をする。やり抜くということの積み重ねの尊さというものを、知っていただきたいのであります。一本の植木であっても、一本の名もない木であったとしても、後退したり、あるいは停退したり、我々のように嘆いたり、叫んだり、投げやりになったりするわけではない。こうした木々は毎日毎日、上に上にと、暑い日があっても、寒い日があっても、常に上に伸びていく。常に天に向って自らを伸ばしていく。そうした姿というものがあるわけであります。
我々は、そういう自然の中に、ほんの名もない木が風雪に耐えて成長していく過程を我々は大いに学んで、自分の信心や自分の生きていく姿の上の一つの教訓として、この
大木のごとくに、たとえ何事があっても、常に上に上に成長していく。これが我々の信心の姿だと、こうした妙光寺の小さな木々の中にも、信心の姿勢を汲み取っていただきたいということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせていただく次第でございます。御苦労様でございました。
(昭和六十三年十月三十日)