日蓮正宗のススメ

人生談義と時事放談

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立正安国論を逆さまに読んではなりませぬ。

種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。加之国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。今此の文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。就中人の世に在るや各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕ちなん。所以は何、大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならんと。(立正安国論249㌻)

広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮に謗教の綱に纏はる。此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。

 客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和はざらん。此の経文を被きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳らかなり疑ふべからず。弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。(立正安国論250㌻)

戦争を手段とした平和はありません。

全く安倍は可笑しい。

こういう論理を転倒解儀 (てんどうげぎ)といって、逆さまにしか世の中を理解しない人たちなのです。

念仏法然をどうして私が反対するのかといえば、この転倒解儀した読み方で経典を逆さに読むからです。

立正安国論』の中で法然に影響された「客人」の思想はまさにこれで、世界平和を唱える創価学会池田大作もこの法然の流れを汲むわけです。

つまり世界が平和である為に、「四表の静謐」を収めなければならないというのです。

これは『立正安国論』の中の日蓮大聖人「主人」の考えではなくて、法然に影響された「客人」の考え方なのです。

平和を実現するために戦いを許す考え方がそこにあったのです。公明党安倍晋三を支持するのは、池田大作のこのような考え方から来ているので、少しもそこに創価学会公明党との両者の相違はないのです。

創価学会の似非平和主義とはこれなのです。

顕正会会長浅井昭衛の三大秘法抄逆さ読みも同工異曲です。

浅井の論は戒壇建立をすれば、戦争に勝てると思っています。

戦前に、牧口常三郎が軍部に対し、「戦艦大和に御本尊を安置して、日蓮正宗の僧侶に御祈念させながら戦えば勝てる」と、意見陳情したのと同じ発想です。

大聖人様の仰せが、「信仰の寸心を改めて」「四表の静謐を祈るべきものか」と、信仰を改めることが万事を差し置いて喫緊の課題であることが判っていないのです。

王臣万民の心法が、日蓮正宗の信心で浄化されれば、国土も安穏になるという仏法の道理が信じれないから、手練手管に走ろうとしてしまうのです。