啓蒙思想は善か悪か:ルソーの思想を吟味する
今回は、社会契約論者であるジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)について述べていきたいと思います。
ルソーは18世紀にフランスで活躍した政治思想家・教育思想家・小説家です。『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』『告白』など有名な著書が多数あります。
ルソーは独自の社会契約説を唱えました。そしてその思想は彼の死後すぐに勃発したフランス革命にストレートに影響したのです。
さらにフランス革命を介して現代の民主主義思想にも大きな影響を与えているのですが、「功罪が半ばする」と言うかプラスもマイナスもあった思想家のように感じます。
目次
啓蒙思想とは何か
ルソーはジュネーブ(今はスイス)の出身です。
ですがフランス系の家系で、フランス語でものを書き、パリなど主にフランスで活躍しているので分類としては「フランス思想」に入ります。
当時はいわゆる「啓蒙思想」が盛り上がった時期に当たり、ルソーはフランスの啓蒙思想家たちと交流していました。
ルソー自身は「啓蒙思想家」という分類には入らないと思いますが、とにかく啓蒙思想に共鳴したり反発したりしながら、彼独自の思想を練り上げていったのです。
というわけなので、まず「啓蒙思想」について簡単に触れるところから始めましょう。
啓蒙思想にはいろいろな説明があり得ると思いますが、僕なりにまとめるなら「無知な人々を〈理性の光〉で導き、迷信や不合理から解放する運動」となります。
17世紀のイギリスから起こり(前回のジョン・ロックなど)、18世紀にはヨーロッパ各地で盛んになりました。
特にフランスでは大きな影響力を持ち、フランス革命の下準備をなしたと言われています。
この啓蒙思想が発生した理由ですが、次のように考えることができるでしょう。
17世紀にはガリレオやニュートンによって「科学革命」が起きました。啓蒙思想とはそのような合理的思考法を(社会のあり方など)科学以外の方面にも及ぼしたものです。
科学技術の近代化も引き続き推進しつつ、(封建制など)社会にはびこる不合理を改革していこうという機運が盛り上がっていくのです。
ルソーの文明批判
啓蒙思想は基本的に「理性万歳」「合理性万歳」「文明万歳」という感じです。
大自然の中にポツンと置かれただけの原始人は「野蛮」であり、学問・芸術・科学が出てきてこそ人類の進歩であり進化だという発想ですね。
それに対してルソーの基本的な立ち位置は「文明批判」です。
ルソーは「文明や文化の進歩、学問や芸術の発展によって人間の魂は腐敗し、習俗は退廃した」と主張したのです。
森で野性的に生きていればよかったのに、なまじ文明や文化が始まったばかりに身分の違いが生じ、支配と服従の関係も発生してしまった……。
貧富の差が生じ、贅沢・奢侈がはびこることになった。純朴な心を失った人たちはうわべだけの学問や芸術で上品に粉飾し、他人を見下すようになった……。
文明だ文化だと言うが、魂や精神という観点から見れば、それは退歩でしかなかった!
このルソーの考えは、啓蒙思想家たちの楽観的な文化崇拝に対する強烈なカウンターになっていることが分かりますね。
イギリスに追いつけ追い越せ……こんな感じで進歩を加速させようとしているところに冷や水をかけられたように思ったことでしょう。
前述した啓蒙思想家ヴォルテールはルソーに対して「君の本を読むと(動物みたいに)四つ足で歩きたくなるよ」と皮肉を浴びせています(笑)
ルソーは『百科全書』の項目を執筆するなど最初は啓蒙思想家たちと交流していましたが、徐々に距離を置くようになっていきました。
ルソーは「造物主(神)の手を離れるとき、すべてのものは善だが、人間の手に移るとすべてが悪くなる」という有名な言葉を遺しています。
神はすべてを善なるものとして創造しました。人間も神によって創造されたものなので、自然のままであれば善なる存在なのです。
しかし人間が本来の姿から離れていろいろ人為的・人工的にやり始めると、そこからあらゆる悪徳が生じてくる……というストーリーです。
このあたりの考え方は多くの思想家にインパクトを与えたようで、哲学者カントも「自然の歴史は善から始まるが、自由(人間の意志)の歴史は悪から始まる」と言っています。
不自然なもの ~ 家族/私有財産/身分~
さてルソーは人類が辿った歴史を次のように描き出します。
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自然人は狩猟・採集をしながらお互いに依存せずに独立して生活していた。
しかし人間にはすでに自己愛だけではなく他者への同情心も備わっていた。自然人は無垢で善なる存在だったのだ。
やがて第一の革命によって牧畜が始まり、最低限の道具を用いて自然人たちは貧しさを克服した。人間が「家族」をつくるようになるのはこの頃である。
第二の革命は農業の開始だ。人々は土地に定住するようになり、分業による相互依存が強まった。私有財産が生まれて貧富の差が発生し、支配と服従という関係も始まったのだ。
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ポイントはいろいろあるでしょうが、ここでは絞って述べましょう。
1つは「自然人は家族をつくらない」ということです!
ルソーによれば、なんと「家族をつくる」というのは人間の本性ではなく、後から人為的に出てきた制度だというのです。
でもこれはさすがに無理のある想定でしょう。古今東西、いつの時代でもどの地域でも家族というのは基本的な単位です。
これについてはちょっと裏があって、ルソー自身がきちんと家庭生活を営めないタイプの人だったようなのです。
ルソーには5人の子どもがいましたが、経済的に困っていたためにみんな孤児院に放り込んでいます。当時としては珍しいことではなかったようですが……。
こういう自分の行いを正当化するために都合のいい理論をこさえたのだとすれば「ちょっとどうなのかな」と思います(== ;)
この点は後世のマルクスも似ています。マルクスも子どもたちをまともに育てることができず、「子どもは社会が育てるもんじゃー!」という理論をつくっているからです。
こういうこともあって、保守的な知識人の中には(マルクスは当然ながら)ルソーを激しく嫌う人もいます。
ただしルソーの場合、自分の行為をずっと後悔してはいたようで、それが教育思想の古典となった著書『エミール』に活かされているのだと擁護する人もいます。
確かに『エミール』からは子どもへの愛情が感じられますし、それがヨーロッパの教育のあり方を変えた面もあるので、やはりマルクスとは違いがあると言えるでしょう。
もう1つのポイントは「私有財産の軽視」です。
私有財産も本来の自然人にはなかったもので、人間にとって本質的なものではないといいます。ルソーの著作を読むと、あちこちでお金について否定的な記述が見られます。
最後は「身分制(階級)の否定」です。
ルソーの描く人類史では人間は最初は独立した自然人だったのですから、当然ながら「身分」「階級」があるはずもありません。
身分(階級)とは、私有財産において「持てる者」「持たざる者」とが生まれ、支配と服従の関係が固定化された結果として発生した不条理な制度にすぎません。
これらの点もマルクス主義にストレートに影響しているところでしょう。
私有財産への扱い ロックとルソーの違い
ロックとの決定的な違いとして重要なのはやはり「私有財産」についての考え方でしょう。
ロックにとって社会契約とは「自然状態においてすでにある私有財産を確定・保障するもの」という意味合いがありました。
一方、ルソーにとって私有財産はむしろ人間の堕落につながったものであり、社会契約によって守るものではなくむしろ克服すべきものだったのです。
ルソーも自然状態の後期に当たる農耕状態では私有財産や貧富の差があると考えました。
ロックであればそれらの財産をそのまま確定させるわけですが、ルソーはさらに昔の未開状態(真の自然状態)を参照すべきだと言うのです。
その頃には(ルソーによれば)まだ私有財産はありませんでした。真の自然状態を理想として立てる以上、私有財産は社会契約によって克服・制限すべきものとなるわけです。
ではルソーの社会契約によってどんな社会になるかと言うと……。
まず人間は「自由」であるべきです。未開状態では自然人たちは自由に生きていたので当然ですね。そしてこの点はロックと同じです。
そして(上で述べた理由から)貧富の差は最小限であるべきとされます。ルソーは「百万長者と乞食、このいずれをも認めてはならない」と述べています。
また文明で堕落した心を無垢な自然人の心に戻すため、人間の内面(道徳性など)についても様々な変革を求めていますが、ここでは扱わないでおきます。
直接民主制 ~支配関係の否定~
ルソーによれば身分制もダメです。これは「よい家柄で生まれたら支配階層に、そうではない家柄で生まれたら支配される側になるという制度です。
ただルソーはそういう身分制だけではなく、そもそも「ある人が別の人を支配する」という形態そのものが文明とともに生まれたものであり、未開状態にはなかったと考えました。
これだと身分制を克服したはずの僕たちの社会であっても、政治家や官僚に支配されているからダメということになりそうです。
しかし人間が集団である以上、どうしても「支配する側とされる側」という区別は出てきてしまうように思えますよね。
ここでルソーはこう考えます。「そうだ! 〈みんながみんなを支配する〉というかたちにすればいいんだ!」と。
ある層は支配する側、また別の層は支配される側……という感じで分かれるのではありません。そうではなく「一体である人民が、一体である人民の意志に従う」と考えるわけです。
これなら「自分で自分に従う」のだから「自由」であるとルソーは言います。
これがどういう制度になって現れるかというと「直接民主制」です。
つまり僕たちがやっているような「市民たちが選挙によって政治家(代議士)を自分たちの代表にして法律を定めてもらう」という「間接民主制」はNGだということです。
ルソーは「人民が直接に集まって話し合って意志決定をしなければならない」「議員を選んで彼らに立法作業をさせることはできない」と述べています。
自分たちが選んだ人物であるとは言え、これだと結局「支配する側」(代議士)と「支配される側」(選挙民)という2つの層に分裂してしまうからでしょう。
これは間接民主制で成功していたイギリスへの批判でもあるようです。「彼ら(イギリス人)は選挙の間だけ自由なのだ」というルソーの皮肉は有名です。
選挙をしている間は確かに重要な意志決定をしているが、それ以外の大部分の時間は自分が選んだ政治家たちに支配されている不自由な存在だというわけです。
ヴォルテールをはじめ当時の啓蒙思想家の大半はイギリスを理想化していましたが、その彼らに対する攻撃でもあったでしょう。
しかし「直接に顔を合わせてみんなでワイワイ話し合う」なんてことが可能なのは村レベルまでだと思います。
古代ギリシャの都市国家(ポリス)ではギリギリやっていたかもしれませんが、広大な領域を持つ国家では無理でしょう。
ルソーは「小規模な都市国家で直接民主制をし、それらの連邦をつくる」という構想をチラッと述べてはいるものの、実現可能な方法を十分に語っているとは思えません。
全体意志と一般意志
ここでルソーの民主主義を語る上で重要な概念をご紹介します。
それは「一般意志」というものです。
直接民主制であれ間接民主制であれ、民主主義というなら人々が話し合って意志決定をする必要があります。
では多数決で物事を決めればそれでいいのでしょうか?
しかしそれでは多数意見によって少数意見が抑圧されることになってしまいます。またしても「支配する側」「支配される側」という構図の出現です。
こういう多数決によって明らかになる意志をルソーは「全体意志」と呼びます。正確には「個人の特殊利益の総和」と言っていますが、多数決の意志と考えていいでしょう。
しかしそれなら「支配する側」「支配される側」という構図にならない意志決定って何でしょうか? 多数の横暴にならない意志なんてあるのでしょうか?
ルソーは「ある」と考えました。それこそが「一般意志」というものです。
ところがこれの解釈が難しくて昔から専門家を悩ませているんです(汗)
ルソーの説明によれば、一般意志とは「人民全体の意志であり、間違えることはなく、人民全体の利益を目指して法を定める意志」だと言われます。
人民全体の意志とは言いますが、全体意志(多数決)とは違うそうですから、いまいちピンと来ません。ルソーの他の説明もよく分からないというのが正直なところです。
ただルソーの意図を想像すると、どうやら「変わることのない人類の良識」のようなものをイメージすると分かりやすいのではないかと僕は思っています。
多数決なら間違うことはあります。例えばヒトラーを圧倒的多数で支持した当時のドイツ人の多数決(全体意志)は間違っていたと言うべきでしょう。
しかし一時の激情が過ぎ去り、より広い視野から冷静に「あれは間違っていた」と反省する時が訪れたなら、それは人々の「良識」(一般意志)と言ってもいいはずです。
こう考えるなら、確かに全体意志と一般意志を区別することにもきちんと理由があると言えるでしょう。
ただ一般意志(良識的判断)が存在することは認めるとしても、具体的な場面において「何が一般意志なのか」と問われると途端に困ってしまいます。
多数決がダメだとすれば、間違いなく一般意志であると判定できるような基準がないからです。
むしろ一般意志を強調しすぎると危険なこともあります。
多数決で何かを決めようとしても、「それは一般意志ではない」「一般意志はこうだ!」と主張する人が多数決を無視して独裁をやることがあり得るのです。
実際にそれは起こりました。フランス革命期の政治家ロベスピエールはルソーに心酔していて、この一般意志を持ち出して恐怖政治(大量粛清)を行ったのでした。
つまり「必ずしも多数決が正しいわけではない」というのはいいとしても、それを多数決や他者の意見を完全無視して独裁を行う口実にしてはならないということですね。
それなら一般意志を見出すなんて絶望的なのでしょうか?
これについては、ある哲学者がテレビ番組で「一般意志という説は『エミール』(ルソーの教育論)と一緒に考えると理解できる」と解説していて、僕も感心した記憶があります。
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私(ルソー)が『エミール』で示した理想的な教育を行えば、子どもたちは確かな知識・広い視野・豊かな情操を身につけた大人へと成長することができる。
そういう人たちが社会の事柄について真摯に対話してゆくならば、その過程で自ずと一般意志(良識的判断)が明らかになる……。
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ルソーはこう考えていたと想定することも可能かもしれません。実際、『エミール』と『社会契約論』は同じ年に出版されていて、セットで理解すべきだという説もうなずけます。
また『社会契約論』の中でも、ルソーは人々に道徳性の陶冶を求めています。
こうして人間性を向上させた人々がきちんとした条件の下で冷静に話し合えば、社会全体を幸福にする良識的判断を下すとルソーは考えていたのかもしれません。
ただこれはルソーを最大限好意的に解釈したものです(^^:)
正直に言えば、やはりルソーの社会思想には危うい要素もあるような気がします。
危うい要素の1つとしては、すでに述べたように「一般意志を強調すると多数者の意志表示を無視する口実になりやすい」ということが挙げられます。
次に「一般意志を僭称する多数者の意志が暴走していくこと」も心配です。これについてはルソーも教育論とセットにすることで彼なりの解決を考えていたかもしれません。
これらが大丈夫だとしても、さらにもう1つの懸念があります。それは「ルソーは〈社会の一体化〉ということを強調しすぎる」ということです。
もし仮に一般意志の内容がわりと良識的な範囲に収まっているとしても、そこに同調できずに漏れてしまう人々に対してルソーはやけに厳しいのです。
こういう人々は「社会の一体化を脅かす不穏分子」だとルソーは見ているようです。こうなるとそこに「全体主義の匂い」を嗅ぎ取ってしまいます。
例えばルソーは「市民宗教」というアイデアを語っています。
これは「国家と法に忠誠を誓わせ、人々を統合するための宗教」だと言います。市民たちが同じ信仰を共有していると社会の紐帯が強化されるという発想でしょう。
実際に人々の心を結びつける宗教があるというのは構いませんが、問題はそれを信じない人たちに対する扱いです。
驚くべきことにルソーは「市民宗教を拒否するなら追放」「背教者は死刑」と語っているのです! ルソー的社会では「信教の自由」がないわけです。
自分の信じたい宗教を信じたら命が危なくなるような社会では、自由などないに等しいと言わざるを得ません。
事実、ルソーは「キリスト教は地上を軽視し、国家を軽視し、国家を分裂させることにつながるので認められない」という意見です。
ルソーの描く理想社会では、キリスト教信者は迫害の憂き目に遭うのです。
それにしてもなぜ「追放」やら「死刑」やらそんな話になるのでしょう(==;)ルソーは「自由」を散々語ってきたのに、ここでそれまでの議論を台無しにしてしまっています。
ルソー思想は全体主義的なものだと考えて危険視する人たちがかなりいますが、これにも理由があると言えます。
ルソー思想には社会の近代化を促進した素晴らしい側面もありますが、(本人の危うい性格を反映してか……)危ういところもあるというのが僕の考えです。
人権宣言への貢献
フランス革命が始まった1789年、「人権宣言」が発表されています。これは世界の人権思想の発展を考える上で今でも参照される重要なものです。
そこにはロックやルソーたちの思想が色濃く反映されているので、ちょっと確認してみましょう。
例えば……。
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人は生来、自由かつ平等である。⇒ ロック&ルソー
自由・所有権・安全は人間が自然に持っている権利(自然権)である。⇒ ロック
圧政を行う政府なら抵抗することも人々の自然権である。⇒ ロック
主権は国民に存する。⇒ ルソー
信教の自由・思想信条の自由の保障。⇒ ロック
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これらについていくつか簡単にコメントしておきます。
圧政を行う政府なら抵抗していいという「抵抗権」は主にロックの思想です。
ルソーも「政府を作り変える」とは言っていますが、「一般意志への服従」という怪しげなことも言っているので、中心的にはロックと考えた方がいいでしょう。
所有権についてはロックとルソーの考えが分かれるところです。ロックはこれを重視しますが、ルソーは反対に私有財産を制限しようとする傾向が強い思想家です。
ちなみに革命の途中段階で「1791年憲法」というのが出されていますが、この時点ではフランス革命にも貴族や金持ちが参加していました。
だから彼ら自身の財産を守るために1791年憲法にも「所有権の絶対」が入っています。まだ国王ルイ16世が生きていて、イギリスに似た立憲君主制になっているのも特色です。
革命の初期段階で参画していた資産階級にとってはここで革命が終わってもよかったわけです。しかしそうは行きませんでした(汗)
さて人権宣言(1789年)に戻ると「主権在民」はルソーですね。ロックも理論上はそうでしょうが、より明確に打ち出したという意味ではルソーが目立っています。
人権宣言の「信教の自由」「思想信条の自由」はロックからの影響です。
ルソーも「自分は信教の自由を説いている」と思っていたかもしれませんが、「市民宗教」なるものを人々に強制しているので、実態としては違いますね。
なおロベスピエールたち急進派が革命の主導権を握り、ルイ16世を処刑した後には「1793年憲法」が発表されています。
このロベスピエールはルソーに心酔していて、1793年憲法はルソー色が強いものになっています。というのも何と「直接民主制」を謳っているからです。
前回記事でも述べましたが「直接民主制」とは、選挙で代表を選ぶのではなく民衆が直接集まって法律を決めたりする制度です。町内会以上の規模では実際には無理でしょう。
それよりも注目すべきなのは「奴隷制の廃止」を掲げている点です。これは海外の植民地における黒人の解放を含めた広範なものでした。
思いつきレベルかもしれないとは言え、この段階で白人たち自身が「奴隷制廃止」を言い出していることはやはり画期的です。評価しないのはフェアではないと思います。
同憲法ではロック流の「抵抗権」も認められています。ただロベスピエールは抵抗権の扱いには困ったのではないでしょうか。彼の心の内を想像してみると……。
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抵抗権は啓蒙思想の成果そのものだから容認して当然だ。どうだ、私(ロベスピエール)は開明的だろう。
しかし抵抗権ですら認める私のような啓蒙思想の体現者に抵抗する奴だけは許せない。そんな奴は抵抗権を認めるに値しない例外だ。
今、この私への抵抗など認めていたら素晴らしい革命が進まないからな。
あれ? うーん、矛盾かな……。そうだ、平和が到来するまでこの憲法は無期限停止ということにしておこう。
今は緊急事態だから私への抵抗は認められない。うんうん。
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こんな感じで1793年憲法は「平和到来まで無期限停止」となってしまいました(^^;)そして結局、施行されることはなかったのです
人権宣言からこの1793年憲法までを概観した印象としては、やはりそこで謳われた理念の一部は人類史において必要なものだったと思います。
これからフランス革命の「負の側面」を見ますが、だからと言ってフランス革命の中で推進された理念まで否定するのは間違っているのではないでしょうか?
フランス革命の「ダークサイド」
フランス革命に「光」の側面があったことを否定する必要はありませんが、それでも多くの暗黒面(ダークサイド)があったことも紛れもない事実です。
今はどうか分かりませんが、僕たちが中学や高校でフランス革命を教わったときには「輝かしい栄光の歴史!」みたいな感じの扱いだったのを憶えています。
なので大学生になって自分で読書をし始めた時期に、主に保守系の言論人がフランス革命をクソミソに言っているのを目の当たりにして、ちょっと混乱したりしました。
ではフランス革命のどんなところがよく批判されるのか、僕なりにまとめてみます。
① 理性万能主義と反宗教性
フランス啓蒙思想の影響が強いせいか、フランス革命はやはり「理性万能主義」の色彩が色濃く出ています。
革命では、理性的に考えて「不合理」「不条理」と見なされたものが攻撃されました。その最たるものがカトリック教会です。
例えば聖職者は市民の「選挙」によって選ばれるとされました。カトリックでは聖職者はより上位の聖職者(教皇や司教)が任命するはずなのに、それを否定されたわけです。
さらに教会財産の没収、修道院の解散、教会に納める「十分の一税」廃止など、反カトリック的な政策が推進されました。
革命が進んでいた1793年、革命政府は「理性の祭典」というものを挙行しています。
フランス全土で行われましたが無神論的傾向の強いもので、ルソーやヴォルテールの胸像を立て、「自由と理性の女神」を讃えるという意味不明のシロモノでした。
カトリック教会を敵視しながら(ルソーの言う「市民宗教」の影響なのか)国民統合のためには宗教みたいな何かが必要だと考えた結果でしょう。
また革命勢力は経済についても理性主義でした。つまり「頭のいいエリートたちが計画的に経済をコントロールすればうまくいく」という統制経済(計画経済)です。
これは「なるべく経済は自由にして、市場のメカニズムに任せる」という自由主義経済の真逆と言えます。
例えば「戦争資金がない!」となれば紙幣・国債を乱発しましたし、それによって「物価が高騰している!」となれば価格を統制するといった感じでした。
物価が上がっている? なら命令して下げればいいじゃないか……というわけです(笑)
経済を中央政府の理性によってコントロールしようとして失敗しているのです。
この点はハイエクなど20世紀の自由主義思想家も批判しています。
② 結果平等
フランス革命は人々の「平等」を追究しました。
しかしこの「平等」にはいろいろと考えるべきことがあります。
すべての人間には「自由」「基本的人権」が認められます。その意味ではみんな平等です。人種・国籍・民族・性別・家柄・財産による差別は許されません。
これは一般的に「機会の平等」と呼ばれるものですね。その意味で、フランス革命の時代にあった「身分制」のようなものを徐々に解体していくのは歴史の必然だったでしょう。
しかしルソーがまさしくそうですが、人々の「現在の経済状況」を同じにしようとする「結果平等」を求めると恐るべき結果を招きます。
人間はそれぞれ才能も努力量も異なります。だから自由にさせれば格差が生じます。自由と格差は表裏一体なのですから、格差の否定は自由の否定と同じなのです。
自然に生じた格差を無理に同じにするなら、それはとてつもない強制力です。財産の平等を掲げる共産主義がどこも恐怖政治になるのはこれが理由でしょう。
フランス革命ではこの悪い方の「結果平等」を推進しているのです。
カトリック教会の財産を没収したことはすでに述べました。他にも革命で海外に亡命している貴族の土地を強制的に取り上げて再配分しています。
ただし昔の大土地所有というのは、それをできる人とできない人には「機会の平等」においても大きな差があったでしょう。こうなると一種の「身分制」です。
その意味で「大地主-小作人」という制度の解体そのものは必要だったかもしれません。これについては僕ももう少し勉強したいと思っています。
③ 暴力性(大量粛清)
もっとも問題になるのは「フランス革命が恐るべき虐殺や粛清を伴った」ということです。
よく知られている通り、フランス革命では王や王妃、その他多くの貴族が処刑されました。
さらに革命は急進化して仲間内での粛清に発展しました。ロベスピエール派が権力を握っている数年間に処刑された人は(諸説あるようですが)2万人とも4万人とも言われています。
さらに徴兵のやり方に反発して勃発した「ヴァンデーの農民反乱」を鎮圧する際にも虐殺が起きています。
正確な数は分かりませんが犠牲者15万人説や40万人説があるようです。とにかく戦闘員だけではなく女性や子どもを含めてすごい数の人が革命政府によって虐殺されたのは確かです。
他にもリヨンやトゥーロンで革命政府に対する反乱が起きましたが、政府はこれを鎮圧した後に(戦いが終わった後に!)数千人を処刑しています。
フランス革命時代のこういう政治が「テルール」(恐怖)と呼ばれたことから、暴力によって政治目的を達成することを「テロ」と表現するようになったのです。
共産主義の先駆け
フランス革命のダークサイドを、①理性万能主義(反宗教性)、②結果平等主義、③暴力性、としてまとめてみました。
このうち①理性万能(反宗教)というのはフランス啓蒙思想の主流派、そして②結果平等に関してはルソーの影響が感じられます。
③暴力性に関しては「結果平等を求めると自ずと暴力的になる」ということもありますが、ルソー特有の急進性も加わっているかもしれません。
こうして見てくると、これは共産主義の先駆けであることが分かります。
共産主義者のマルクスはルソーからも多くを学んでいるので、「ルソーの危ない遺伝子」が受け継がれた面もあるのかもしれないと思います。