日蓮正宗のススメ

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邪宗を破折する真意

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『日曜講話』第七号(平成元年3月1日発行)
邪宗を破折する真意

 皆さん、お早うございます。よく、皆様方のお友達の中で、「日蓮正宗もよろしいけれども、ともすると他の宗旨、宗教に対して、邪教であるとか、邪宗であるとか、邪義であるとか、そういう一見汚らしい言葉をもって、他宗を排斥するということが、何となく私の肌に合わない。そういうことを極め付けてしまうというのは、如何にも人を傷つけ、又、失礼に当たる」というように、錯覚をする人が多いと思うのであります。

今まで、いろんな他宗の宗教によって、そういうことの恐ろしさというものを実感として感じ取ってきて、そして、いろんな悩みや苦しさの中から日蓮正宗を求めて、そして大聖人様の仏法によって大きな功徳を頂いた、そうした尊い体験のある人からするならば、極当たり前なことで、今までの他の宗教によって毒された辛い体験を持っておる人からみると、それは当然のことであり、又、本当に大聖人様の正法に浴した喜びと、その功徳に対する確信と歓喜というものを、一生の宝物として持っていらっしゃると思うのであります。けれども、そういう体験の世界でなくて、何となく理論の世界だけで物を見ますと、やはり「日蓮正宗だけが最勝唯一」ということを言うと、何か余りにも偏頗な、自らだけが独勝性を一人よがりに言っているように錯覚をする人が、中にはあると思うのであります。

先般、ある学校の先生をしておる方でありますけれども、そういう意味のことを言って来られる方がございます。私は、「日蓮正宗において、他の宗旨を邪義と深く決判することが出来るということは、大聖人様が末法の今日の一切を見通して、その上から大聖人様が決判されておられるのであって、決して私達が至らない自分の小さな考えで、そういうことを言っているのではない」ということを、お話申し上げたのでございます。

釈尊は、『法華経』の「方便品」に、「正直に方便を捨てて、但、無上の道を説く」(開結一八九)ということをお説きになりまして、一切の爾前権教、方便の教えを、ことごとく捨てて、そして法華の真実に帰依することの尊さ、その大事な信心の筋目というものを、きちっと教えておられるのであります。邪(よこしま)な信心を捨てて正しいものにつく。邪悪なものを捨てて、そしてその唯一の正しい善法、良き教えにつくということが、信心の鉄則なのであります。

 例えば、真っ白な取れたてのおいしい牛乳というものがあって、一方には腐った牛乳や、あるいは毒や汚いゴミが入った不浄な牛乳があって、そういうもを一緒にしてごらんなさい。それは、一転して総てが濁った汚れた不浄の牛乳となってしまうわけであります。正邪・善悪というものを、けじめをつけないで何でもいいという様な安易な気持ちで、それを全部合わせてしまうと、結局それは、全部濁ってしまう。全部、邪なものになってしまうのだということを、深く心に銘記しなければいけないと思うのであります。

そして又、釈尊は『法華経』の「勧持品」に、「悪世の中の比丘は、邪智にして、大謗法・増上慢の悪侶である」(開結四四一取意)ということを、きちっと決判遊ばされております。末法の今日、禅宗あるいは真言、念仏等の寺が、京都や奈良、あるいは各地にどれほど大きな大伽藍を構えていても、見せかけがどんなに立派であっても、その僧侶達は謗法の悪侶であり、又、邪智の輩であるということを、きちっと、釈尊自らが決判されておるということを心に置いてて頂きたいと思うのであります。

そして、大聖人様御自身が末法救済の御本仏として、

 「日蓮が一門は正直に権経の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる」(全五一八)

ということを大聖人様御自身がおっしゃっておる。ですから他宗の人々は、そうした自分が今までやって来た宗旨、自分が今まで貫いて来た宗旨に対して、「邪宗、邪義」と言われますと、何か自分に対して言われたように錯覚をする。だれだって自分の持っているものに対して、あるいは自分が一生懸命、愛着のあるものに対して、自分に縁のあるものに対して、とやかく言われますと、だれだって大なり小なり、そういう因縁もあり、そこに愛着がありますから、ともすると、それに対して、反発をするという人も多いのであります。しかし、それは決してその人を憎んで言うのではない。邪義を憎んで、邪な宗旨に対し、警告の意味を込めて、告発の意味を込め言うのであって、その人を憎むどころか、その人を思い、その人に対する慈悲の心をもって申し上げているんだということの立て分けを、きちっとお話をして、納得をさせて頂きたいと思うのであります。

大聖人様はもっと厳しい言葉で、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(全五八五、七一三)と、四箇の格言をもって諸宗を破折されておられるわけであります。ですから、「邪宗・邪師の邪義」なんていうのは、まだまだ大聖人様の深い御決断の折伏の言葉から申し上げるならば、まだこれは緩やかな言葉でありまして、「念仏は無間地獄、真言は亡国の法」と大聖人様は決判遊ばされて、「禅宗は天魔の所為だ」と破折をされておられるわけであります。「大聖人様のこうした、末法の万年の人々を救済する深い御境涯の上から説かれたお言葉は、決して自分の思い付きで、偏頗な気持ちで言っているのではない。一閻浮提第一の智者がそのように仰せになり、末法救済の御本仏がその慈悲の叫びとして、そのようにおっしゃっておるのだ」ということを、伝えてあげて頂きたいと思うのであります。そして又、皆様がそれほどの大きな確信をもって、邪宗・邪義を打ち破っていって頂きたいと思うのであります。

大聖人様は、なぜそのように諸宗を破折遊ばされておられるのかと申しますと、それは『法華経』の中に、この末法の姿としての五濁(ごじょく)ということがあるわけであります。「方便品」に「劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁、」(開結一七〇)とありまして、一人ひとりの生命の汚れ、煩悩の汚れ、そして又、時代や国土や人々の五濁の時代というものが、これから営々として続いて来る。その一切の汚れの根本がどこから出ているかというと、一(いつ)にかかって、それは宗旨・宗教の混乱、雑乱というものが渦巻いて、今日のそうした姿となっているということなのでございます。

従って、大聖人様は『立正安国論』に、そうしたことを、

 「法師は諂国(てんごく)にして人倫を迷惑し、王臣は 不覚にして邪正を弁ずること無し」(全二一)

ということをおっしゃって、最後に、

 「須く凶を捨てて善に帰し源を塞ぎ根を截(た)つべし」(全二五)

と、おっしゃっておられます。その一切の世の中の混乱の五濁のその根本原因が、それが一(いつ)にかかって宗旨・宗教の混乱、そこが大本(おおもと)となって、総ての汚れ、生命の汚れから思想の汚れ、宗教の汚れ、国土の汚れ、大地の汚れ、この法界の全体の汚れ、時代、社会、一切の汚れの根本が、その誤った宗旨・宗教から起こってお

るということを、末法において、大聖人様お一人が、そのことを見抜いておられる。そのことをお悟りになって、その上から大聖人様が諸宗を破折遊ばされているということなのでございます。ですから単なる思い付きや、浅はかな智恵から、偏頗な気持ちでそういうことを言っているのではないということを、まず知って頂きたいと思うのであります。

それと同時に、邪宗・邪義の恐ろしさというものは、ただ、そういう時代や人の汚れと、社会の混乱ということだけではなくて、一人ひとり、その邪宗・邪義を貫く人のその身の上に及ぶ。大聖人様の『孟蘭盆御書』という御書をご覧になってごらんなさい。大聖人様は「下無量生」、少なくとも下七代にわたって、その人の命の上に、いろんな悪い影響を及ぼすということを大聖人様は説かれておられます。

 「悪の中の大悪は、我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり」(全一四三〇)

ということをおっしゃっておられます。邪宗の恐ろしさというものは七代に及ぶ。今、皆様方が邪宗・邪義に狂うとするならば、その影響は下七代まで及ぶ、ということを大

聖人様はおっしゃっておられるのであります。それほど恐ろしいのだということを、大聖人様は知っておられるが故に、その邪宗の恐ろしさを思えば思うほど、やはり強い言葉をもって、今日の人々のその悪の根源を断つ意味において、「邪宗・邪師の邪義」と大聖人様は論断されておられるのであります。

 ですから、その言葉が好きだとか、言葉が嫌いだとか、人を傷つけるとか、そういう程度のことで大聖人様のお言葉を判断してはなりません。そういうことを危惧して、根本的にその人を救うということの真実の救済の姿を、又、その御精神を、その慈悲の心を失ってしまってはならないということなのでございます。

 確かに、一時的には友達の関係、御親族の関係の中に、多少の諍(いさかい)のようなものがそこに生ずるかも知れませんけれども、やはり本当の誠実さ、本当にその人を思うその慈悲の心というものは、必ずその人の一念に、心に通じていくのだということを深く確信して、多少、一時的に感情の縺(もつ)れのようなことが、友情に傷つくようなことがあったとしても、大聖人様は、この「卞和(べんか)が璞(あらたま)」(全一七二)ということをおっしゃっておられます。一時的に分かって頂けないようなことがあったとしても、やはりこちらの一念心は必ず通じるということを深く確信して、そうして折伏を貫いていって頂きたいということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせて頂く次第でございます。御苦労様でございした。

(昭和六十三年六月十二日)