日蓮正宗のススメ

法華講員のブログ

『一期弘法付囑書』を拝す

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『日曜講話』第七号(平成元年3月1日発行)
『一期弘法付囑書』を拝す

 皆さん、お早うございます。今日は少し教学的なお話しを申し上げたいと思います。大聖人様は、弘安五年の九月、身延山におかれまして、いよいよ大聖人様の後の末法万年の流布ということをお考え遊ばされまして、第二祖日興上人に対しまして、『日蓮一期弘法付嘱書』(身延相承書)、『別付の付嘱書』(池上相承書)をもって、大聖人様の後の一切の御化導を日興上人に託されたのでございます。これは、どなたも御存じの事と思いますが、

 「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門 弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、 富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つ べきのみ。事の戒法というは是れなり。就中(なかんず く)我が門弟等此の状を守るべきなり」(全一六〇〇)という有名な付嘱の文書がございます。この付嘱書の中に、実は非常に大事な二つの法門が秘められているということを、皆様方に、ぜひ知って頂きたいと思うのであります。 その一つは、どういうことかと申しますと、日蓮正宗における宗旨の根本であるところの大聖人様御建立の末法三宝ということについて、その仏法僧の三宝が、きちっと、この御文に秘し沈められているということを知って頂きたいということでございます。

 その三宝とは何かと申しますと、それは仏・法・僧の三宝。第一は仏宝、仏の宝と書きます。その仏宝とは、もちろん、末法においては大聖人様でございます。「日蓮一期の弘法」と、その「日蓮」ということが、まさに大聖人様が仏宝であるということを表しているわけです。人の本尊の境涯をお示しでございます。そしてその大聖人様が建立され、御一期を通して御化導遊ばされたその法体を、「日蓮一期の弘法」というふうに示しておられるわけでございます。一期の弘法とは何かと申しますと、それは『法華経』ではありません。釈尊の説かれた経巻ではありません。大聖人様御自身が、久遠の仏様として悟られたところの妙法の当体であり、大聖人様が御建立遊ばされるところの本門の本尊が、これが法の宝、法宝でございます。ですから「日蓮一期の弘法」と、たったこれだけの文字の中に、末法の仏様の御境界、そして大聖人様が建立し、弘通されるところの一閻浮提第一の御本尊様の一切が、そこに、こめられているわけであります。人法一箇の御境界が、そこに示されているわけでございます。

 そして僧宝とは、「白蓮阿闍梨日興に之れを付嘱す」ということ。付嘱ということが僧宝ということなのでございます。結要の付嘱をもって、唯我一人の血脈相承をもって、それを僧宝とするわけであります。つまりこの相伝を通して、日興上人こそ本門弘通の大導師と、大聖人様がお定めになられたのでございます。たったこれだけの一行の御文の中に、大聖人様の一期の究竟の法体、その三宝がきちっと示されているということを、皆様は、しっかりと心に、とどめておいて頂きたいと思うのであります。

 もう一つは何かと申しますと、それは大聖人様が、末法の私達に残して下さったところの三大秘法、すなわち本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇という三大秘法が、この『一期弘法付嘱書』の御文に、きちっと示されておるということを御理解頂きたいと思うのであります。

 本門の本尊とは、先ほど申しましたように、「日蓮一期の弘法」とあるその法体が、南無妙法蓮華経の御本尊様でございます。本門の題目ということは何かと申しますと、この御本尊様を信受して、南妙法蓮華経と唱えるところが本門の題目でありますから、「本門弘通」というところ、その「本門弘通」という文字の上に、大聖人様は、本門の題目をとどめておられるわけであります。本門の戒壇は何かと申しますと、それは、はっきりと、「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」ということをお示しでございます。

 大聖人様は、弘安五年の四月に、『三大秘法抄』(三大秘宝禀承事)という御書をお認(したた)めでございます。一説には、この御書は弘安四年の御述作と言われておりますけれども、大石寺に残されております第六世日持上人の『三大秘法抄』の書写本によりますと、はっきりと「弘安五年の四月」と書かれてございます。大聖人様はこの三大秘法抄の中において、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇について説き明かしておられるわけでありますが、その戒壇について、『三大秘法抄』においては、まだ「どこに建立しなさい」ということのお示しはありません。ただ、「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」(全一〇二二)ということを漠然とおっしゃられておられるわけであります。この『三大秘法抄』は、大聖人様が身延山においてお書きになったということは明らかでございます。身延山におられる大聖人様が「最勝の地を尋ねて本門の戒壇を建立しなさい」とおっしゃることは、身延山が本門戒壇の建立地でないということは明らかであります。これは今、最勝の地に大聖人様が御在住ではないということであります。身延の山中において、大聖人様は、身延が最勝の地である等ということは、一言もおっしゃつてはおられないわけであります。そこを良く考えなければいけないと思います。

 そして弘安五年の四月の段階では、「最勝の地を尋ねて」とおっしゃっておられた大聖人様が、弘安五年の九月になって、この『一期弘法付嘱書』を通して、日興上人に対し「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」という、その御遺命を託されるわけでございます。そういう順序次第になっておるということを、我々は深く知って、心に留(とど)めておかなければいけないと思うのであります。たったこれだけの短い相伝の御文書でありますけれども、日興上人様に対して、この付嘱書を通して、大聖人様は、きちっと、三大秘法ということと、そうして、末法の仏法僧の三宝の所在をきちんと残されており、又、示して下さっておるということを深く銘記して頂きたいと思うのであります。

 このように、たった数行の付嘱の、相伝の御文書といえども、そこに深く、大聖人様の御本意が、本懐が止どめられるということが、これが「如来の秘密」ということなのであります。そして皆様方が勤行の時に読む寿量品の中にも、「如来秘密 神通之力」という御文があります。

 この秘密ということにも、実は二つの意味があります。一つは、卑近な例で言いますと、真言でいうところの秘密と、法華でいうところの秘密の違いというように申し上げることもできると思います。日蓮正宗におけるところの秘密ということは、如来の秘密であり、仏法の奥底、本当の肝心であります。あるいは又、三大秘法ということを申し上げますように、仏法におけるところの肝心の中の肝心、秘法の中の秘法、その奥底を、それを秘密と申すのであります。反面、真言で言うところの秘密は何の秘密かと言うと、それは秘計(ひけい)、つまり秘密の計り事です。謀議を巡らしたり、密謀(みつぼう)をもって、真言の秘密とするのであります。例えば、真言の教えこそが第一で、第二番目が華厳で、法華経は第三であるという、第三戯論というような説を立てております。あるいは又、弘法大師や不空三蔵等々の、真言のキズや真言の計り事を密(ひそか)に隠すことをもって秘密としているのです。しかし法華の秘密は、仏法の奥義、その相伝の仏法の宝をもって、これを「神通之力」と申します。秘法と申します。法華と真言の秘密には、そういう違いがあるということを知って頂きたいと思うのであります。

 いずれにいたしましても、末法三宝は、その所在は総本山に、大聖人様の仏法僧の三宝として、きちっと、とどめ置かれておる。そしてその大聖人様の一期の御化導の根本は、大聖人様御建立の三大秘法の、この南無妙法蓮華経以外にはないということを深く心に置いて、世界一の、一閻浮提第一の正法を行ずる者だという強い、又、深い誇りと確信を持って、この正宗の信心を全うして頂きたい。そして大聖人様の一期の相伝は、きちんと、本宗における御歴代の正師のもとに、とどめられておるということを確信して頂きたいということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせて頂く次第でございます。御苦労様でございました。

(昭和六十三年六月十九日)