あなたの悩み、エピクテトス先生に聞いてみよう。2
【著者対談】尽きない悩みがみるみる氷解!古代の賢人エピクテトスの人生哲学とは
『人生談義』は、エピクテトス先生が学校で弟子や知人と交わした会話を記録したもの。でも、本人が書いたのではない。エピクテトスは、かのソクラテスと同じように、なにも書き残しませんでした。
この本の原型となったのは、弟子のアリアノスがどこに発表するためでもなく、あくまで覚え書きのために師との会話をしたためたノートなんだよね。それがエピクテトスの死後、なぜだか「流出」し、おおやけに刊行されてしまったというわけ。
びっくりしたアリアノスは、これは先生の公式の作品ではなく自分の覚え書きであり、もし変なところがあればその責任は先生にではなく自分にある、等々と弁明の手紙を書いた。いまではこの手紙がそのまま『人生談義』の序文になっちゃってる。
おもしろいよね。で、この『人生談義』という本、前にもいったけど、古代ギリシャ時代の人生相談のような内容で。「なあんだ、人生相談か」と侮るなかれ。驚くべきことに、愛、お金、仕事、人間関係……そこには我々が日ごろ思い悩むようなことなら全部そろっているんじゃないかと思えるほど、たくさんの悩み事や心配事が記されている。いわば、古代から伝えられる「悩みのカタログ」だ。
昔も今も、人間の悩みは根本的にはそれほど変わらないものなのかもしれないね。もちろん、なにしろ2000年前のギリシャ・ローマの話だから、意味のよくわからない悩みというのも出てくるよ。たとえば、「先生、私は便器を捧げ持つべきですか」とか。
読んでいくと、便器を捧げ持たないと殴られて食いはぐれるとかなんとかいっている。いまでいえば、会社の飲み会に出るべきかとか、上司におべんちゃらを使うべきかとか、そういう類いの相談なのかもしれないね。
その辺は我々が現代の事例や言葉に適宜おきかえて考えていこう。ちなみにエピクテトスは、もし打算的に考えるなら臆せず便器を捧げ持つがいいって答えているね。
でも生徒は「しかし私は捧げ持ちたくありません」と。面倒くさいやつだな。
エピクテトス先生は、最終的にそれを決めるのは君であって私じゃないって答えてるね。自分を売る値段を決めるのは君自身だと。自分自身を売る値段は人によって違うからってね。
『人生談義』は古くて新しい悩みごとを集めた悩みのカタログであり、それらにたいして快刀乱麻の返答を与える先生の百人組手の記録というわけ。これを読みたくならない人なんているのだろうか?
最後まで読んでくれてありがとう。
本じゃ物足りねえって人は、相談に乗るよ。
俺でよかったら。
porigin@yahoo.co.jp
にメールを送ってくれ。
忙しい身だけど、暇が出来て、気が向いたら返事するかも。